こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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琥珀のみち

中東シリア・ダマスカス郊外ドゥマーの戦禍の町の自転車の写真があった。(newsweek)
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都市の喧騒が消えた静寂の車道に不発のクラスター爆弾、と不穏な景色なのだけど、自転車が写真に入ると、どこかその不穏さが自分の気分の中では薄くなる。自転車でできること、は戦場から逃げることだけ、だからだろうか。

イラン、イラクが中東・middle eastよばれるのは、日本が極東とよばれることと同じイギリスをセンターとした位置情報の命名で、それはイギリスの植民地が地球を覆っていた時代の記憶。

いまこの地域から発信しているフリーランスジャーナリストの川上奏徳のブログ“中東ウオッチ”もこの地名が使われている。過去のヨーロッパの植民地をウオッチ!からだろう。

“中東”を拒否し「IS・イスラムステイツ」という主張が渦巻く地域の川上泰徳の“ウオッチ”の2015.8.2付ブログ、「ドイツまで歩いたシリア難民の証言」に難民の歩いたコースの地図が添付されていた。イランからドイツへ。そのコース地図から連想した地図があった。
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古代に北欧バルチック海からドイツを抜けアルプスを越え中東イランへ琥珀が運ばれた地図だった。
紀元前3200年ごろの古代エジプトの古墳から多数のバルチック・アンバー(バルチック海原産琥珀)が多数発掘されている。
トロイを発掘したシューリマンは紀元前1850ごろの地層から400個ほどのバルチック・アンバーを掘り出している。それはマッシリア(マルセイユ・仏)から運ばれている。

琥珀は樹液の樹脂が水分によって、ある条件で歳月を重ねるうちに硬化するものがある。その生成の年月は3000~9000万年といわれる。その奇跡の個体はバルチック海から採取され、それを布で磨くと火花をちらし、羽や木片がくっつく。その不思議な力を古代ギリシャ人はギリシャ語の“琥珀・elektron”にちなんで“electricity(電気)”と名付けている。また“霊魂”ともいわれた。磁石の磁鉄鉱は鉄を引き付けるだけで、木片や羽は引き付けない。琥珀の引力とされた“霊魂”の不思議には磁鉄鉱は昇格できなかった。バルチック・アンバーはただものの宝石ではなかったのだ。特別なのだ。
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バルチック・アンバーはバルチック海の住民たちが、オーストリアの岩塩抗のあるハッシュタルトに運び、そこで岩塩のほかに、イタリアやギリシャから人々の運んできた金属装飾のされた杯などと交換された。それら金属装飾品は地中海沿岸からきた人々よってもたらされ、琥珀を入手して、彼らは小さくて軽く持ち帰って交換価値の大きなバルチック・アンバーをロバの背中に積み込んでかえっていった。その彼らから海の商人とよって地中海を越えエジプトへもたらされた。「道の文化史・シュラバー」
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この本に掲載されていた、古代のバルティク・アンバーの運ばれた道の地図から信州・和田峠で採掘された黒曜石の東日本に広く運ばれたルート地図も距離こそ比べものにならないが、連想した。琥珀も黒曜石も、美しい!。そして、その世界は消えてしまっている。から思いが深くなる。

「東から西から南からも、長い脚のラクダは何年ものあいだシリアへ向っていた。そこへゆくには比較的困難な道を通らなければならなかったが、それだからといってこの国の魅力が減るわけではなかった。シリアの町々は何度も、ヒッタイト人、エジプト人、ウラルトゥ人、アッシリア人、メディア人その他の争いの種となった。何度も争奪戦が繰り返され、占領され破壊されてはまた新たに建設された。道の文化史」

「BC500年ごろ琥珀の道はかなり頻繁な商業交通のすこし改修された自然の道であった。そのそばに、ペルシャ王の道が建設された。
それはまったく明らかにはっきりした考えからできたものである。それはペルシャ帝国の道、帝国の力の、帝国の制度の道となるべきで、けっして他の道のかわりとなるべきものではなかった。古い商路と小道、都市やオアシスに通ずる商人の山路や出入路にはいっさい手がつけられず、そのまま利用されつづけた。現代の高速道路が出発地点と最終地点を最短の距離に設計され、途中の都市にはそこから連絡道がつけられている設計思想を紀元前5世紀に実現されていた。この道は紀元前4世紀のアレキサンドロスの遠征にも、シリアが古代ローマへ遠征した紀元前2世紀にも忘れられたように使用されなかった。 道の文化史・シュラバー」

この王の道は25kmごとに宿舎と馬が置かれていた。ここを使い王へ伝令を届けた使者の速度をアンガレイオンと呼ばれ中世には速度はあらわす最高の単位だった。2500kmの行程を10日で走破していた。この制度が古代中国でも我が国でも早馬飛脚の駅伝制度として幹線道に整備され、いま、人が走って人気の競技になっている。
ギリシャ・アテネで戦勝の使者の走った距離がオリンピックのマラソンになり、王の道の一日250km走破が自転車ロードレス世界選手権の距離であること、を合わせて考えてしまう。

道を高速で走りたい!思った人々がいた。自転車をゆっくり転がして楽しもうとした人々がいた。自転車が現在の形態、チェーン駆動になったのは1879年イギリスでローソンが開発し、1885年になるとやはりイギリスのスタンレーが開発したローバータイプ・セイフティと命名された現在の形が誕生している。
それまでのダルマ型オーディナリーは走行不安定であったから、セイフティ・安全と命名されたのか、それでなくても転倒の多い自転車の操縦で歩行者が安全になったから?。
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1890年代にガソリン自動車は14km/hほどの走行ができるように開発され、1901年にはニースでメルセデスは86km/hで走り出した。だたエンジントラブルの続出で、イギリスでは路面が悪いことにもあって、自動車走行にはその前を赤い旗の人が歩いて先行しなければならない法律があった。自動車に自由な道はなかった。

イギリスでのスポーツクラブの活動に自転車ライディング取り上げられ、それに没頭する愛好家たちが、サイクリスト・ツーリング・クラブとナショナル・サイクリスト・ユニオン (後、数か国の連合によるUCIに発展する) とを創設し、またこの二つの組織が強力な共同体を創っていた。それが「道路改良協会・The Roads improvement Association」で既存道路改良を推し進めた。クラブはイギリスの上流社会で構成されていた。彼らが乗った自転車はクラブモデルとよばれる。彼らは“最高高速・アンガレイオンを実現しようとしていた。彼らはペルシャ王になりたかった。
しかし、この道路改良の恩恵は1896年にクラブの貴族の御曹司たちは自転車から自動車に興味を移し、テムズ河の堤防で自動車のデモを敢行するという“ヤンチャ”で、一般道路走行許可を勝ち取ることになりこの地球に自動車世界誕生を生み出すきっかけとなった。
ペルシャ王の高速道路が、イギリスの“御曹司”たちの国ではなく、自動車社会のアメリカで再生された。

「古い商路と小道、都市やオアシスに通ずる商人の山路や出入路にはいっさい手がつけられず、そのまま利用されつづけた。道の文化史・シュラバー」
この自動車社会のすき間な、ニッチな空間がとても、いとおしい。決して、イギリス上流社会の御曹司たちの、自転車から自動車への心変わりも糾弾しませんね。彼らがおっぽり出した、いまも進化しないクラブモデルに郷愁を感じますね。あのシンプルさに、道具の妖精がいますね。もっと走りたくさせる、ふるい、変わらず利用されつづけた道と自転車なのです。

追伸
北欧の琥珀、バルティク・アンバーがここに陸揚げされた港とおぼしき都市「ラス・シャラムを発掘したシェファー(仏)は紀元前2千年紀の商業地区を発見し、その当時六つの民族が各々別の地区に居住して、死者を家の下に葬った。それは民族の違う人々の間での永遠の休息をしたくない意志だった。この町の役人たちはギリシャ語を加えた7か国語の辞典を製作し、準備していた。そのある時、町の荒廃が起こり輝かしい光が消え失せても、長い道をたどってここに流れ込んだものは残っていた。それは生命の多様さであり、多様な言語であり、多様な種族のすがたであった。道の文化史・シュラバー」

「何度も争奪戦が繰り返され、占領され破壊されてはまた新たに建設された。」
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by forumhiroshima | 2016-03-02 21:07


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