こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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信長の苦心

「今日の交通条件のうえを走っているかぎりは、信長の苦心などは、まことに実感をうしなう 司馬遼太郎 街道をゆく 1」
信長が37歳、越前の朝倉氏を攻略したとき、琵琶湖、信長の妹・お市を嫁にやっていた湖北の浅井氏が背後から攻撃を仕掛けてきた。慌てた信長は主従数駒で戦場から脱出した。このときの脱出ルートは朽木渓谷を南下し京都大原へ逃げ込んだ。小浜から都への鯖街道にあたる。この道の険しさを“信長の苦心”と司馬さんは表現している。

“今日の交通条件のうえ”を自転車で移動していて、それだけで、この国の最初の開拓者・パイオニアの気分を探そうなどと、考えている “妄想持ち”には、反論もできそうにない、司馬さんの言葉。だが、人の生活は地球を離れて暮らせない、その地球は長い時間を抱いて車輪の下にあると、ふと、自分の人生よりも遠い遠い過ぎ去った時間を感じることがあって、老体を転がしてしまう。こんなの○○って言うね。

出雲・熊野大社の谷は南北に開いていて、日陰がない好地で、家々が散らばってあって、明るくて、そして緩やかなのびやかに時間に包まれている。この谷から分け入る尾根への道は九十九で古い景色の中を高さをかせぐ。八雲山の山村の峠を越えての下りも九十九にあるが、そこはいきなりのガードレールの幹線道路で“自動車の空間”にぶつかる。そこで、「我に」かえされる。

熊野大社から、川沿いに下り、右からの来た幹線道路にのって、川を渡ると出会う登りに「神納・カンナ峠」との表示があった。そばに、宮内庁「岩坂陵墓参考地」の森がある。明治33年宮内庁指定陵墓参考地、イザナミの陵墓だという。神納!の名に妄想が反応して、急ブレーキ!。“カンナ”は神無月のカンナと頭の中で共鳴する。ナゼ?ここに神はいるのか、いないのか。と、

神はいます。峠を下るとそこは大草町“有”です。そこの神魂神社の神紋が「有」なんです。
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松江藩が江戸時代 上巻・1653年と下巻・1661年に編纂した地誌「雲陽誌」に「古事記いわく、イザナミ神は母里郷日波村(比婆)に葬と書く。後に大庭に遷し祭て、神魂大明神という。故に日波村に社なし・・・」と書かれて、遷して神を納めたことで、神納峠となったという。が、今その母里・比婆山に久米神社があり奥宮はいまも御陵とされている。ま、問題ない!

熊野大神のいます谷へ幾度か走ってきた。谷の西の大東には海潮温泉、熊野大社の境内にも温泉がある。温泉からスタートしそこかしこへ、夕刻のフィニッシュの温泉三昧出来る出雲を楽しんできた。そして古道を探して。幾つか古道の鼓動にであえた。

熊野大社から国府の大庭へ幹線道をさけてウロウロとさまよっていて、いつも振り返り止まって、ナゼ?とおもう場所があった。なぜか、そこに四次元にワープするドアーがある、と。

大社前を緩やかに流れてきた意宇川にそって下ると、川底が一枚の凹凸の岩になり、流れが白く落ちて渦巻いている。ここまでの穏やかな川面が、荒々しい流れの特異な景色に変わり、轟いて、また穏やかな川面に戻ってゆく。
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ここ、江戸初期の1650年にそれまで西から神納山の尾根が伸びて、川の流れは大きく蛇行していた場所が幾度も洪水をおこすことの対策で、この地の一軒の農家・周藤家の三代が50年にわたって、幅30m高さ20mを槌とノミで開削した跡だという。日吉切通しと呼ばれる。
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神納山から切り離された尾根の残りの上に剣神社が鎮座している。由来はイザナミとイザナギの黄泉の国の出来事でイザナギが剣を振るって窮地を脱出したことだという説明が「雲陽誌」にあるが、意味不明です。祭神はイザナミ・イザナギ。屋根の千木が縦と横に切られ男神、女神の二柱が鎮座することを示す珍しい形式だという。(千木のENDを男神は垂直に、女神は水平に切られる)
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すぐそばの神魂神社の参道が東西を女坂、境内への石段を男坂と特別に言われることと、共鳴してくる。なにか一つ気になっていることが、解けたようだ。神魂神社も祭神はイザナミ・イザナギとされている。
北の大橋川を越えて松江城の北に孫の佐太の御子神、叔母のキサカイヒメ、母のウムカイヒメが鎮座し、その親がカミムスビと風土記はいっているのだが、カミムスビを漢字では神魂と書く、神魂神社の祭神ではない。さみしいね。

日吉の切通しが完成する以前の景色は、出雲東部の八雲・天狗・星上山の山塊からの豊かな水流が尾根に受け止められ、留まり、谷奥へと広がり、そこは淀んで、鳥が飛び交い、幾つもの池に舞い降りて、行き止まりになる谷は、そそり立った尾根で、閉じられていた。

古代、川に阻まれた谷に入りこんだパイオニアがいた。それまで入れなかった谷に神の降臨を感じ、結界を造り、膝まづいた。この空間は神の庭で、出雲の国の支配者はその川下に遥拝場所を置き、後に国府をつくり、大庭と呼んで彼らの御祖のパイオノアを伝承のページにいれた。その歴史を祝詞としてかたり継いだ。
“四次元にワープするドアー”から見えた景色です。

谷の西に八雲山の山塊があり、尾根のヒダにいくつもの山村があり、その幾つかに風土記時代からの神社がある。その中心は、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに・・・」の須賀神社。スサノオの新婚新居だ。宇留布神社、ウルフですよ、祭神はイザナミ。坂本神社はスサノオ。除川神社の祭神もスサノオ、河原神社はイザナギ・イザナミ。志多備神社はイザナミ・イザナギ。須賀神社の陪神は新妻のイナダヒメと、ファミリーでかこんでいる。大元の熊野大社の祭神はイザナギノヒマナゴで「イザナギが可愛がる御子=スサノオ」の意味だとウイクペディアは書いている。オヤジ・イザナギの海の神になれという言いつけを聞かずに、スサノオはイザナミを髭が胸まで伸びるほどの時間をすぎても、恋しがって泣き続けたというマザコン野郎だ。

だが、お姉さん・アマテラスが鎮まっている伊勢神宮には、スサノオの居場所はない。イザナギ・イザナミと兄弟の月読とがいっしょの摂社があるだけ。ファミリーは崩壊している。さみしいね。

ところで、ラッカディオ ハーンが国籍を取得した名、小泉八雲の「八雲」はどんな動機からなのだろうか。

八雲山の北山麓の熊野大社の谷に続く尾根に、日本一小さな公立劇場の「しいの実シアター」がある。車道からは、見逃しそうに、森の中にこの劇場はしずんでいる。
「108席しかない日本で一番小さなこの劇場は、演じている人のエネルギーを日本で一番に感じることのできる劇場です。しいの実シアターは、運営を行う劇団あしぶえの夢「100人劇場の建設」に、旧八雲村長が賛同したことで、あしぶえの預金、そして、全国のファンからの寄付が元手となって建てられました。しずかな森の中に佇む小さな木づくりの劇場は、訪れた人が“こころの食べもの”に出会える空間です。」劇団HPより
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古代から人々の心を刺激しつづけるこの森の“空間”には、いまも神々が鎮座している。神は森がつくる、と修正しなくては、ならないだろう。

「信長の苦心」を今も感じられる、そんな場所だとこの谷を思っとるのですが、司馬さん。
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by forumhiroshima | 2016-09-21 03:46

神々の変遷

島根半島・佐太の御子神を祭る佐太神社には三つの本殿があって、中央・正殿にイザナミ・イザナ、北殿アマテラスとツキヨミ、南殿にスサノオと江戸時代初期の記録にある。いつのまにか、御子神がきえてしまった。そうなったのは中世からだろうと言われる(日本の神々7)。明治になって維新政府から正殿にサルタヒコとせよ、と命令が下ったが、神社は抵抗して佐太御子神としたが、このことで社格は低くきめられた。出雲二の宮に昇格したのは50年後だった。現在の祭神は13柱もおられる。神々が時代に洗われる。

余談。明治のこのころ、博物館の所蔵品は国の宝とされ宝物館に名称変更され、多くの宝の所有は皇室となった。以後国宝は宝物館に運び込まれたという。そんなこともあったようだ。昔話としても、忘れたい話です。

佐太神社裏山の「萩の一本・ハジノヒトモト」の社はイザナミの御陵といわれ、佐太神社のHPによると、中世・陰陽道の卜部家の説によって、八百万の神々は陰暦の10月になると、「当社にお集まりになり、母神を偲ばれるのだとされ、この祭りを「お忌祭」と呼び、」とある。海蛇との関係は分からない。
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平清盛が太政大臣になった1167年ごろ、京都の賀茂神社の賀茂明神が都から遁走する事件が起きる。朝廷は大騒ぎになる。その事件よりずっと前の944年に奈良・長谷寺で長谷観音が女人の身に変じ、京都・広隆寺の薬師如来に、当分不在になるから、あとは宜しくと願にきたという。(“未来記”より。)遁走する神もあるから、集まる神もある?ってことか。

出雲大社の神在祭11月11-17日は荘厳な絵巻物としておこなわれる。佐太神社では5月20-25日に裏神在祭11月20-25日に神在祭と二重に行われる。このほか朝山神社(旧暦10/1-10)、万九千神社(11/17-26)、神原神社(11/10-26)、神魂神社(11/11)、朝酌下神社(11/25)、日御碕神社(旧暦10/11-17)熊野大社(旧暦10/11)に行われている。調べた限りで一応参拝してみたが、出雲大社、佐太神社のほかは、“お忌み”どおりに、しずかな境内であった。来訪する神々は客殿に鎮まって、各々の神名も見せない。
出雲大社
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佐太神社
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だからといって、過ぎ去った中世の名残香をもたのしまない手はないよ。神在り、神去る、季節がもう出雲にやってくる。神魂神社の神紋の「有」がカッコいい。

佐太神社の御子神のお母さんのキサカイヒメ(キサカヒメ・風土記での名)の御祖カミムスビは「神魂」とかかれるが、この名の神社、神魂神社は今、イザナミ、イザナギを祭神としていて、なぜか、カミムスビ神ではない。イザナミ・イザナギの神々は神在祭に松江JR駅から南正面に直線でのびる道の行き当たりに鎮座する売豆紀・メヅキ神社を経由して佐太神社へ巡行したといわれる。
このルートを探して走ったことがある。売豆紀神社横は石段で参った。ただこの神社は昔に東からの移設だという。風土記時代のルート探しを中断していて、今も気がかりなのだ。
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ルート予想を伸ばすと、大橋川を渡れば、風土記時代の法吉郷の庁舎であった摩利支神社を通り佐太神社へゆく古道がある。法吉郷の「法吉」は風土記にウミカイヒメが法吉鳥・ウグイスとなってここに来たとある。法吉・ホウキは伯耆の国のことだろうか。法吉神社そばにうぐいす団地があるのは、出雲らしい、オシャレだ。伯耆の国が鳥取県と呼ばれる一つのその訳かも。
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ウミカイヒメは佐太の御子神の母・キサカイヒメと、オオクニヌシが八十神に騙されて坂道を転げ落ちてきた真っ赤に焼けた大岩を抱きとめで瀕死の怪我をしたとき、オオクニヌシの母親に頼まれて治療し、完治させた。この姫神二柱はカモスの神の子供たちだ。この治療した場所は伯耆の国の今の鳥取県南部町の赤猪岩神社で、焼けた大岩は赤い猪とされ、きっと「もののけ姫」の腐れ神となった巨大猪のモデルだろう、と思っている。
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その赤猪岩神社が麓にある母塚山はイザナミの陵墓がある場所の伝承がある。出雲と伯耆の国境になる山、出雲の東部の母里の東にあって、「母里」という地名にひかれて訪れたとき、地図の母塚山の名を見つけて、面白いとむかったことがある。米子と母里とに昭和初期に結んだ電車道が残っていて、雰囲気がいいのだが、峠にトンネルがある。暗くて怖くて入っていない。そこからは丘は連なり国境らしい景色もない田園地帯が続いて、自転車に走らされる景色のなかで、米子の市街地に引き込まれた。地名のことはどこかに忘れてしまっていた。そして国境も気づかなかった。あのトンネルが国境だった。

イザナミもイザナギも神様だから死去するなんてことが、不思議なんだが、この兄妹は夫婦でもある、アマテラスもツキヨミもそしてスサノオもその子供たちだ。神様だけに許される関係という不思議さだから、不思議なんだろう。

「かれその神避りしイザナミの神は、出雲の国と伯耆の国の境、比婆の山に葬りき 古事記」とあり、明治33年に政府内務省は「出雲母里郷日波山の比婆山は、古事記所載の出雲伯耆の堺、比婆山にして即ちイザナミ命の神陵なり」としている。
赤猪岩神社から10km南の伯太町横屋の久米神社の所在する比婆山は母里の町から5kmほど。伯耆の国境からすこし離れている。中国山地へ南下する高度をあげる道は尾根に撥ね返され北上するルートをいつの間にか走っている。そのうち今の位置を失った感覚に覆われる。松本清張の「砂の器」で放浪する親子が現れるシーンがそのうち自分にダブッてきた。これからは“力走り”になるぞ!。ダイジョウブ?

備後の国から出雲の国へ山地の峠を越える。西城からイザナミの神陵遥拝所の比婆山山麓の熊野神社を通り、西の吾妻山の西へ回り出雲へ下る。“大峠”と呼ばれる。下り終えた大馬木は牧・マキで、夏に出雲各地から集まってくる牛、馬を吾妻山山麓へ放牧させる牛馬道を車道に拡張された道路で、標高991mからの坂とは思えないほど緩やかさを持っている。大馬木の入口の背の高い一本のポプラがここから出雲とトウセンボするようだ。

広い田園の景色に道は山麓に沿って伸びて緩やかにくだる快適さに、ゴキゲンさんだったとき、プスッときた。パンク修理に田んぼ向うにある鳥居の神社の手洗い水をめざして、歩いた。雨模様で南の空を振り返ると、ポプラのような比婆山の烏帽子が起立して雲を分けていた。
イザナミの神陵の所在にふさわしい景色だった。
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明治政府は比婆山御陵を認めなかった。その御陵は烏帽子の向うになる。備後の国と出雲の国との国境ではあるが、古事記のいう伯耆の国との国境はもっと東の三国山になる。那智の滝まで用意されて、「日本書紀」の紀伊の熊野の有馬の花窟とよく似た設定も、維新政府を動かせなかった。
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by forumhiroshima | 2016-09-17 09:57


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