こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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8.6 2017

原爆ドームと慰霊碑のラインを地図に落としてみた。広島城築城のおける町割りのライン、天守閣と阿武山の連結線に平行に北へ延びると、阿武山に至ることに気づいた。天守閣からのラインは国土地理院1/25000の示す山頂よりわずかに北東へずれている。ドームからのラインは正に山頂に到達する。阿武山のピークの400年前は違っているかもしれない。だからこの二つのラインはパラレルにある。と決める。つまり、天守閣の建築の南北-東西の設計線は平和記念公園の慰霊碑、資料館及び東館、会議場とまったくパラレルだということになる。

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この結果にはすこし引いてしまった。そして笑った。参った。ありえん。いや、まさに広島を背負っているラインだ!(極北をいだかない基本ラインがあっても、いいか!。と妥協したくなる)丹下健三が認定した基軸ラインなのだから、と。

丹下神が降臨する。すると公園の道路が気になりだす。

ドームのラインの基点の資料館ピロティから、左右へ二本のラインが中心線に対象に北上する。ラインは慰霊碑よこから道となって現れ、左は相生橋の連結部に届かず手前の道路に。右は元安橋の西端に届かず、手前の川岸道に合流する。道路としては、すこしおかしいと思う。設計としては、道は橋へ直接連結する、その合理性が見られない。何か?ある。この設計では人々は必ず直接に連結する踏み跡をつくろうとする。

左のラインは南北に設計されていて、東経132.4522の子午線となっている。右のラインが広島城の陸軍大本営跡へ向かっている。

ドーム中心軸ラインに左右対称に引かれたラインが一つは南北の子午線で、一つは明治の広島の中核へと通る。その起点は資料館の中心にある。

設計に子午線、ドーム、広島城を左右対称にした意図ではできない。基点を通る子午線と原爆ドームラインはたやすく決められる。が、原爆ドームのライン中心に子午線と左右対称に引かれるラインが広島城の中心点に通るのは偶然でしかない。三つの要素は公園の設計以前にある要素だからだ。なのに一つの秩序で完成させられている。宇宙の調和を形成している。無理なのにできてしまう。奇跡とよぼうか。

資料館のピロティから慰霊碑に向かって狭まる台形に彫り込まれた芝生が美しい広場は小さな傾斜をもって慰霊碑へのまるで瀬戸内のガンギのような石段にむかって沈んでゆく。まるで海で沐浴潔斎しているようだ。その思いを慰霊碑を囲む水が強調する。

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慰霊碑の向こうのドームとの間に、厳島の弥山の消えず火をうつした炎が立ち上がりドームを陽炎のなかに揺らす。鈴木博之のいう厳島が再現される。


今資料館は工事の白いフェンスにかこまれて、そのピロティの眺望は遮られている。

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慰霊碑前の台形の広場の東西の道を地図上で南方向へ伸ばしてみた。

東は広島湾に円錐形に浮かぶ似島へ、西は江波山の元気象台へ到達する。

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1959年江波山の東の皿山のあった火薬庫の爆発事故があった。中学生だった。すぐに相生橋へ走った。まだ木々もまばらな平和公園の向こうに黒煙が上がっていた。そのころ広島の町は見通し良かった。

黒煙の景色を思い出して、丹下健三が公園設計の着想にこの地に立って眺めまわした風景に見通しできる山々へ、それもドーム中心線に左右対称に南下するラインが現れたのだろうか。


1949年(昭和24年)に制定された平和都市建設法による平和記念公園のエリアに原爆ドームは入っていなかった。


そのころ原爆ドームは台風が襲来の度ごとに、特に南のラセン階段あたりが崩れ落ちていた。子供たちの遊び場だったドームを囲んでいた、さびて切れている鉄条網の柵を撤去し鉄製フェンスが設置されたのは1960年代の初頭ではなかったか。それでも子供たちはフェンスをよじ登っていた。そののちの1966年に市議会が決議し原爆ドーム保全の寄付金募集がはじまった。被爆の記憶のドームの保存か否か、広島の人々の思いは揺れていたのだろう。


広島平和記念公園完成式のあった1954年昭和30年から11年目の保全決定。丹下健三の設計基本線のポイントの原爆ドームはすこしずつ崩れながら、それでも爆風に耐えたように被爆から21年を耐えていたことになる。丹下健三もドーム保全決定まで耐えていたのだろうか。イヤ、ドームは“ヒロシマ”を背負って立ち尽くすと予見していたのだろう。あの宇宙秩序を呼び込む北上するVライン、山を走る龍の風水の知恵を思い起こす南下する∧ライン、この奇跡とも思える着想は、のち、宮島とセットされた世界遺産として実現した、と美しく語るほかナイのだろうな。


ふと、丹下健三はドームが失われても、平和記念公園の基軸ラインは原爆ドームを人々にいつでも再現させるだろうと、確信していたのかもしれない、と思いだした。うしなわれたものほど、大きいのだと。


※この基軸ラインを平和道りとの直角になる交差で求めたといわれる。が米軍の原爆投下直前のS45.7の航空写真ではまだ百メートル道路とよばれた軍による強制立退きで計画された平和大道の基本線は現れてはいない。この道は空襲に際の防火帯として考えられたものだという。軍は平和道路などつくらない。防火効果のある広さはいるが、直線として管理するほどではないのだから。帯であって道ではない。いまも幾分曲線をもっていて、広島城下基軸ライン(大手通り)に直角に交差してはいない。自転車で東から西の山を目印に走ってみればわかる。

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この国は、中心の広場から同心円にまた放射線状に道が広がる町はお好きでないようだ。この円心状の道は町を囲み、放射状の道はその囲みの外の異界・周縁に切り込む。町は城壁で内向きに固定される。このような壁の区分は造られてすぐに伏見城へ解体された京都・聚楽第の土手のほかまだ見ていない。

部屋を障子やドアで区分していても開けば一体化する生活のように、いくつもの多様なものがつらなって、それらの一つ一つの障子をあけて尋ねるように、道は開放されて家と道との区別を失い“庭”となってしまう。路地は花壇となる。

この国の旅の一つに三十三か所、八十八か所、百景、と個別だが連なりとして括ってしまう事がある。東海道五十三次のように「次ぎながら」旅は直線状につらなっている。聖地の巡礼が輪になって連結する旅となるのは、そこが辺地・ヘチ・遍路、この世と冥界との境界を回ることのためで、それゆえ無限に連結させる。地の果て“偏、辺”であるから直線は境界を越えられず、戻されるから連結するのだと、認識するからだろう。死をもってしか越えられない。円は空である。

広島と長崎の平和記念公園は平和都市建設法によって、その成立はつながっている、が個別である。この間を走ればそれは平和行進や巡礼とよばれるだろう。その旅は連なる町の障子を一つ一つ開きながら訪ねるものにしたい。その道は車に占有されず、人の道路であった江戸期山陽道や小倉からの長崎街道の古道を走るものになるほかないだろう。そこには、きっとその町の障子があるのだから。その旅の中で広島の基軸と尋ねた町の基軸との違いに広島を自分の中に再現出来るかもしれない。

201786の朝の公園は早朝から人の群れで埋まっていた。皆カジュアルな軽装で集まってくる。いつも、この日に、ここに、平和への一体感が生まれる。だれも平和を守ろうとしている。公園の木陰に置かれたTVのモニターからの黒い正装の声はいつものようにその人々の遥かに上をすべってきえる。ボーイスカウトの少年と、彼が配る片手いっぱいの献花用の束が朝日の中で輝いて、アットの間に人々に渡され、受け取る外国人たちに、仏たちのような微笑が口元にこぼれた。

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広島城天守閣の位置を見立てしたという己斐旭山と尾長山とのラインの中央公園に一つの慰霊碑がある。8.6早朝に訪れた。

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「爆心地から、南に向かってまっすぐ二里の海上にある島にいた挺身隊の少女が、放射能の閃光の一瞬後、ガラスの破片で片方の乳房をえぐり取られたという話を作品の中に描こうとしても、容易には描き得ない。」原爆にかかわる作品を残した大田洋子の碑だ。

悲惨さの繰り返しはもうたくさんだ!との自分の思いに、だからもっと伝えなきゃいけないのよ!との大田の声がかぶってくる。だから、あなたは・・・、ドームは立ちつくしているのよ。

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by forumhiroshima | 2017-08-06 17:29

聖地創造

2世紀ごろに大陸からもたらされた鏡に刻まれた銘文は、紀元前2世紀ごろに成立した「淮南子」から引用されたものが多いという。(鏡が語る古代史・岡村 秀典)

「円なる天を頭に戴き、方なる地を踏み、正しく東西南北の方向を体すれば、内は身を治め、外には人を得、天下に号令してみなその風に従わせることができる。淮南子・本経訓」の

意味が銘文される。卑弥呼由来の渡来の百の鏡にもこの言葉の意味が刻まれている。

この国の古代からの統治者たちが従った、極北方位への理解が広島城築城における町割りの都市設計にそぐわないこと。それ故に、この町に正しく東西する、春分・秋分の冥土信仰が土地に刻まれてないこと。が不思議だった。西国の王者の毛利輝元が望み、下って明治の緊急であったとしても首都とされたこの町に、・・・である。

「広島というところは、死んだ人のゆくところであったようだ。人が死ぬと“あの爺さんは広島へたばこを買いにいったげな”と噂するものがあった。広島という土地は一つの幻想の世界だったのである。宮本常一・私の日本地図」宮本の故郷・周防大島での話。

「広島へ煙草買ひに行くというのは、伊予の内海側では“死ぬ”という代わりに使われる忌み言葉になっている 柳田国男・夏山雑談」

伊予の内海側の町・今治の旧制中学を1930年に卒業し、広島の旧制高校・広島高校(現広島大学)の図書館で閲覧した海外建築雑誌に掲載されていた、ル・コルビュジェに傾倒し建築家を志望すると決めた青年がいた。東京帝国大学の工学部建築学科大学院を1946年卒業ののち、平和記念都市建設法の1949年成立に際して行われた広島平和記念公園設計コンペでル・コルビュジェが提唱したピロティ(独立柱)で二階に持ち上げられた広島平和記念資料館の設計などに評価をうけ、入賞し1954年にその設計による公園は完成した。

(ドームの北側そばに暮らしていて、小学二年生のころの1954年、公園の北の位置に大きな木製の卒塔婆なのか、建ててあり、そこはいつも線香の煙が立ち昇っている場所だった。たしか、そのころの8/6の慰霊祭の会場だった。慈仙寺という寺があった場所で、いまは無縁の遺骨が収められた原爆供養塔になった。細い立木がバラバラと植えられている周囲の町並みとは別格の景色の公園だった。むき出しのコンクリート壁の建物はどこか廃墟におもえた。)

このコンペの作品は1951年のNO8近代建築国際会議・CIAMで発表され、日本建築学会の戦後世界へのデビュー作品となり、戦後の日本建築設計の世界への出発点となった。(鈴木博之)

こう紹介する鈴木博之は1945年生まれ、東大建築科の教授(2014年歿)。かれの著作・日本の地霊・聖地創造で「丹下健三の広島」と題して“彼の平和記念公園”を紹介している。

「平和記念公園の中心である原爆慰霊碑は、HPシェルという数学的な曲線でできている。HPシェルとは放物線を双曲線に沿って移動してできるカーブである。・・・考えてみればこうしたかたちの碑というのも変なものである。屋根のようなかたちを採用しているから中空のトンネル型をしている。向こう側にぬけるような記念碑というのは、あまり例がない。意図的にこうしたかたちを選んだとしか考えられない形態なのだ。・・・祈りのために集まった人々は、このHPシェルのトンネルを通してその先に建っている原爆ドームを見ることになる。すべての焦点は原爆ドームなのであり、そこに向かって計画は周到に練り上げられている。 日本の地霊・聖地創造」

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「広島平和記念公園の計画は原爆ドームをすべての中心に置き、この一種聖性を帯びた廃墟に捧げられた場所を造り出すための計画なのである。日本の地霊・聖地創造」

※ドームの聖性(原爆ドームとよばれる廃墟は、鉄骨の骨組みの上に銅板で葺かれたドームが原爆の熱線で溶け、鉄骨がむき出しになり、続いて襲った原爆の衝撃波は、隙間だらけになった鉄骨の間を通り抜けて、下の床や窓を吹き飛ばした。この理由で衝撃波に破壊され跡かたなく消え去ることを免れた)この存在の奇跡を“聖性”といっている。

「原爆ドームをピロティの反対側からも印象的に眺められるようにし、原爆ドームと慰霊碑を結ぶ軸線を建物に遮られることなく延長させ、通過させる。こうした場所のデザインは、ただちに厳島神社の境内配置を想起させる。日本の地霊・聖地創造」

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「神社が島を避けて海上に設けられたため、その構成は地形によって制約されることがなく、じつに整然としたものになった。基本的に左右対称の構成をもつ建築物配置がなされ、中央に海上の鳥居から神の山にいたる軸線がまっすぐに通る

こうした構成が広島平和記念公園の計画に影を落としていることは明らかであろう。原爆ドームから慰霊碑を経て平和記念資料館のピロティの間を貫いて延びる軸線は、厳島神社の弥山から本殿を経て海中の鳥居にいたる一本の軸線とまったく同じ性格を秘めているからである。厳島神社の本殿が弥山を背負い、さらに厳島全体を背負っているのと同様に、慰霊碑は原爆ドームを背負い そのドームはさらに広島の町全体を負っているのである。日本の地霊・聖地創造」「慰霊碑のモニュメントは水を張った掘割のようなものによって囲われている。・・・厳島神社の大鳥居が海上に立てられていることを想起させるものでもあるのだ。日本の地霊・聖地創造」


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by forumhiroshima | 2017-08-05 18:12


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