こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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メモ帳

佐比売山・三瓶山

三瓶山は出雲風土記には佐比売山とよばれ、有名な国引きの綱をくくった杭としてでてくる。そんな印象深い山の名がどうして三瓶という、また不思議な名前になったのか?

同じ山でも東西南北のちがった方向から、ちがう名があることは知られているのだけど、また時代でその名がかわることも多いのだそうだけど、三瓶山でのその名の変化については、いろいろ説があるようだ。

サヒメがサンベと変わったという音の変化の説は、さしもの出雲弁でもそうは発音できないだろう。

ソシモリ(韓国)にオオゲツヒメという、おおきなお尻ではなくて、穀物の女神が悪い神様に切り殺された。そのとき馬や蚕や大豆、稲、麦が体からでてきて、それを末の子、サヒメが赤い雁にのって、まず益田市の比礼振山にやってきて、そしてここに落ち着いて、種をまき開拓したという神話がある。三瓶山に赤雁山がつらなって、多根という集落もある。サヒメ山の名の由来になる。サヒメ山とよばれていたのは江戸時代までともいって、明治になって三瓶山がひろまったと。

三瓶山の西、太田市の郊外に物部神社がある。ここの神様で物部氏の祖先・ウマシマジ様は大和朝廷の軍事部門の神様で国内を平定するために播磨・丹波と渡って、ここ石見を平定した。そこで巌瓶を据えて祝賀会をおこなったようだ。いまもこの瓶で神酒をつくる神事がつづいているという。マジ、ウマクいったことだろう。うまい酒もできたのだろう。そこで同じような瓶二つを山に据えた。一つは浮布池に。もうひとつは三瓶谷に。それから三瓶山となった。朝廷の記録では8世紀初頭には三瓶山とある。この時期出雲風土記ではサヒメ山なんだけど。
武力でこの土地を平定した神様が、なんだか無理やりに山の名を変えたような印象があって、それは、たくさんの人たちも感じることのようで、出雲国譲りにこの物部の軍が圧力をかけていたと考えている人は多いようだ。

江戸時代の記録に物部神社の一瓶社とおなじ神様が三瓶山周辺に八社あるとあって、このうち三瓶谷いまの池田の神様は八幡神社に合祀されているとあった。
「この八社はいずれも三瓶山を仰ぎ見る湧く水の地で、ヤツモトと称し、その周辺から開けていったといわれている。それを裏付ける遺跡もいくつかあり、そのうちの一つは弥生時代前期のもので、農耕とのかかわがみられる。日本の神々7」

湧く水がこんこんと流れて、そこから晩秋の三瓶山がみえる。そんなヤツモトをいろいろしらべてみたのだけど、資料は手に入らなかった。そこで地図に片端から神社マークに○。これをたどって、ヒメにご対面だと。・・・それにしてもえらく登ったり、下ったり。

季節はやっと晩秋・初冬。この季節、着るものに気遣いがいる。登り暑くて、下り冷え込み。しっかり着込むと蒸れてバテバテ。寒いと走れない。
十年以上になるのか、すっかり信頼しているアンダーがある。着替え二枚でほんと毎日使ってきたけど、ほころびもないのだ。
メーカーはパナゴニア。ここは化学繊維のアイテム・フリースをウエアーにしたメーカーで、アンダーはキャプリーン。そこから天然素材のウールのアンダーができたとセロトーレの店長のテッチャンがみせてくれた。
古い話だけど、植村直巳さんが最後になったマッキンレーに入ったとき、彼は初めて化繊のアンダーを使ったらしい。いつもはウールのラクダだった。この化繊のアンダーを提供したのは日本のメーカーでスポンサーでもあった。このことを大学の被服の専門の先生が疑問視して、化繊とウールを重ねて着用した場合の状態をしらべて、もしかしたら化繊のアンダーとインナーのウールかアウターの皮では氷結するか?と。これは直巳さんが見つからないと分からない話なんだけど。限界状況っていろいろ難しいのだな。
パタゴニアが天然素材は・・ないだろう!と、店長にふざけていたら、一度着てみろ!!と、モニターおおせつかった。すっごくいい値段で自転車やでは、とっても手が出ない。が、むかし自転車ウエアーはぜったいにウールだった。・・・ウレシー!!
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さて、直巳さんと同じにアンダー・化繊、インナー・ウールでいくか!なんて。ここは暖かい晩秋の日本です。結果報告いたします。セロトーレ様!!
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# by forumhiroshima | 2006-11-23 18:18

紅葉に桜さく

石見・浜田から東の丘陵を走り出す。
集落は一塊から零れ落ちたように民家も少なく,手元の地図にかかれた人家のマークが多すぎると感じる。コースは浜田自動車道にそっていて,車道をブーンと移動する車をみても,その道路を利用するには,大回りするしかない,そんな土地を走ってみた。

平安,鎌倉と時代がすぎて南北朝の時代,石見は狭い河岸丘陵や小河川の氾濫域を開発した小規模の領主が台頭する。これが南北朝内乱の過程では,激しい戦闘を各地で繰り広げることになる。島根県の歴史散歩より。

先日,宇津井いう数軒の集落を通がかったとき,大木の林で屋敷をかこんでいる民家にであった。門のある庭の手前に石碑があって,なにやら,南北朝の時代に,南か北はわからないけど,忠臣であったとある。それが気になっていた。

そこには,戦前計画されていた三次ー江津?の鉄道建設の跡も残っていて,それがいまの自動車道と平行している。どちらもここでは無用の長物??

その南北朝時代の集落へ自動車道をくぐる集落・佐野町・田原へ走った。新しい自動車道を走るのをきらって,古道をうねうねと下ると広い田んぼのひろがる谷間にでた。その谷をつめると正面におおきなエノキが根元にちいさな祠をしたがえて,そのそばにシキミが一本。

高野山で,水をはった鉢にシキミの葉がうかべてあって,これはハスの花びらです。年中ではハスは入手できませんから,シキミで代用しています。といわれたことがあった。

以前,金城の丸原で,昔の古埋葬地には大木・祠そしてシキミの三点セットと知って,それからそんな風景に二度であって,すぐにピーンと,老化した頭でもくる。
大木の後の斜面に登って見ると,はたして,すっかり整理されて,いくつかの塊となっているが墓標をみつけた。斜面を回って民家を迂回すると,そこに桜が咲いている。周囲は,紅葉している。

古埋葬地という,名からの印象では,暗くて,寒くて,物陰で,と思うのだけど,これまで,自分が認定!!?した場所はどこも,明るくて,温かい。

「元来僧侶のいるところは寺院の宿坊であった。・・寺を維持するためには多くの経費が必要であり,したがって寺領をもたねばならぬ。・・寺の檀家になりうるものは,そうした寺領を寄進した人々であった。死にあたってそうした寺の僧侶から回向せられるものは檀家に限られていた。他の者の死はいたってミジメであった。・・身分あるものの墓は土をもりあげ,その上に五輪塔なども建てってある。しかしその他のものの死体は棺に入れたまま放置せられたり,筵の上によこたえたたまま捨てられたものもある。それを犬があさり,カラスがついばんでいる。《餓鬼創始絵巻》宮本常一」

「そうした悲惨なものの為に供養し,その死体を処置したのは,聖たちであった。・・村ではそういった聖たちのためにささやかな住居をつくって提供した。これが庵とか寮とか呼ばれるものである。宮本常一」

この聖たちは,大声で念仏をとなえ,美しい鐘の音をもとめて,また念仏を唱えるとき,恍惚に踊ったという。念仏を唱えることを教えた一遍は,人の死にあたって念仏を唱えさえすれば,紫雲がたなびき,ハスの花がふってくると。
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# by forumhiroshima | 2006-11-16 17:59

トライアングル

「いや遠に,里は離りぬ,いや高に,山も越え来ぬ」万葉集に柿本人麻呂の歌。
江津の東。背景になる島の星山から,廃道になっている道が江の川の河畔千金という集落に落ちている。その河畔に古代の幹線道にあった駅舎の江西駅跡といわれる場所に小さな祠があった。この江西から西へ古代山陰道は次の伊甘・イカンまでは島の星山の西斜面から波子へとつながって,ちょうど多鳩神社の参道を経由したように想像した。
万葉集に土地の名がはいった歌で山陰は因幡に1,出雲が10,石見が25.隠岐,伯耆,丹波にはない。山陰地方では都まで29日かかったという石見が多いのは,もちろん柿本人麻呂による。島の星山にある人麻呂神社は,戦後ここに開拓民として入った人たちが建立したもので,新しい。この江津では新しくつくる神社も人麻呂神社ということ。人麻呂だいすきな人たちだとおもう。

古代島の星山をめぐるように幹線道があったのだったら,ここに人たちの営みがあったといえないだろうか。今もこの山麓東には池が山中に点在している。その周辺にはもう民家はみられないのだけど。

江の川の河畔の川平からこの山麓東を走ると,たくさんの石仏と,まるで道路標識のように一定間隔で祠にであった。平は比良,あの黄泉の比良坂,死後至る場所だと聞いた。石見海浜公園のある波子にある津門神社・ツトで多鳩神社が真東にあって,海岸から春分・秋分の太陽がそこから登ってくるという配置に,この平とが関わりあるように,また点在する石仏や祠がその土地の在り様を感じさせる。

この国で古代の名は,男は彦,女は姫。これは日子,日女だという。太陽をお天道様と信仰する人々は東から再生してのぼってくる太陽に,命の復活,ときには人生の再生をいのったのだろう。だから東の土地に平・比良という場所をさだめたのかもしれない。日の登る場所に。

死後墓標を立てる習慣がなかった時代,その死後をたくす場所が決められていたようで,そこを後谷と呼ぶのだそうで,この東の山麓にいまの地図でもいくつか見つけられる。そうしてそこにりっぱな寺院がたっている。
その場所は走った限り,陽射しをいっぱいにうける明るい谷間だった。

川戸から跡市を回って,波子の神社へついたとき,その三角形の場所にみな”ト”がつくと,思いついた。トは入口出口の戸,門にちがいない。と,あったってるこどうか?よりも,確信の思いがひろがっていた。

波子から約14kmは海岸にそって走ってみた。工場が点在し,その道には砂があがって,快適とはとてもいえない。海はもう荒涼と白く波立っていて,古代,「天ざかるひな」な,でも人麻呂が歌い上げてくれた土地は,再生する装置をいまに温存している。

そうトライアングルの中に人麻呂も入浴したと地元で確信している有福の湯へ行くしかないのだ。
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# by forumhiroshima | 2006-11-11 16:19

自然暦

石見の神様を調べていると,とっても御利益のありそうな神さまを見つけた。

石見海浜公園とかアクアスとかですっかり,この広島で知られてきた海岸が波子の海岸。波子は土師という古くは古墳のハニワをつくった焼き物で歴史に残っている古代の氏のハジから付けられたのでは・・といわれ,海水浴より,砂浜の砂の下に広がる粘土をとれる海岸に定着した人たちで,石見の焼き物のおおもとになってる。

そんな石見の風土と密着しての生業の人たちの集落は,江津ではめずらしい漁港をもつ。その漁港を風からまもるように突き出ている岬に津門神社がある。

この境内に合祀されている薗妙現早脚神社におられる神様はこの岬から遠望できる出雲の日御碕神社へ一日で行きかえりできるという。
プロトンごっこで必死に走っている(いなのもいるけど!!こいつが速い)みなさんに,お守りでも売ってないかとたずねてみた。
公園の一部に境内が長い階段をもってある。その森は古くから人手がはいっていないそうで,保護林に指定されて,そのカンバンがそこかしこにある。いまも大切にされている様子。そして境内には蓋がされているけど,おおきな井戸。森と水とは神社の必須アイテム。それがそろってる。

保護林では遠望はできなくて,漁港へおりる参道の石段から浜から突き出た防波堤にでてみた。妙にあたたかい風の海の向うには,神様が疾走した日御碕はみえなかった。
手持ちの地図には日御碕まではカバーしていない。ふと,地図に赤くマークした東の山中の多鳩神社をみつけた。この神社と多鳩神社とを結ぶと,まさに東西になる。

日御碕神社は出雲の古代の中心であった国府をとおり,信州の諏訪神社,そして常陸の鹿島神社とを結ぶ直線にある。これは,よく太陽のルートとして春分・秋分の日の出,日没のラインになる。出雲は鹿島神社の神様,タケミカズチと諏訪神社の神様でオオクニヌシの息子,タケミナカタの争いののち,タケミナカタは信州・諏訪に落ち,タケミカズチの勝利で国譲りとなった。この主要な神様がおなじラインに鎮座している。このラインには出雲大社ははいらないのだが,大社と伊勢神宮をむすんだラインに奈良の宮古の京極殿がある。
ちかくの場所では,宮島の弥山と神社本殿と大鳥居と地御前神社と五日市の極楽寺が一つのラインにある。

どうも神様を祀るのに,森と水ではなくて,おおきな設計図をもっていたような時代がある。
自分も以前は御来光をお正月に弥山で拝んでいた。昔の人たちはもっとしょちゅう御来光や日没をみていたから,かと。でもそんな小さな経験の積み重ねでは,こんなおおきな設計図はかけない。この設計図を自然暦という。

日御碕神社と津門神社をむすんでみた。正確かどうか,いまいちなんだけど,このラインは日御碕から冬至の日没が津守神社の岬,津守神社からは日御碕が夏至の日の出のラインではないかと・・。
こんな知識は,当然思いつくわけなくて,参考文献・「神社の系譜・なぜそこにあるのか」宮元建次から。
この本のあとがきに「古代。日置部という人々が東西線,あるいは南北線をもちいて村を定め,」とある。日置という地名は山口にも石見にもある。出雲風土記では大社の管理人として記載されている。そういえば,総理大臣の故郷は山口の日置だった。

壮大なライン。これがいいのかどうか?。自分としては水と森にちいさくたっている祠の神様をもっとみつけたいのだけど。
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# by forumhiroshima | 2006-11-06 17:58

平,比良・・ヒラ

江津の本町の幾通りもあつまってくる路地に肩をよせあってつながる古い大きな民家や商家や使われなくなった役場,現存する建物では日本一古いという郵便局。医院や酒造家。こんなに時間を止めて,そぉーと息づいている町はしらない。町にはコンクリートやプラスチックなまぜものもない。

そんな家並みの中をぬけ小さな峠をこえると江の川。この川は太郎ともよばれる大河だけど,一方で馬鹿川とも。それは河流の地形が硬いがために,河口におおきな平野をつくらなかったかただと。だが,江津の町のJR駅そばで江の川太郎というお菓子をうっている和菓子屋さんも,本町の民家にまけず,ひきこまれる古さがあった。

江の川を川沿いに川上の川平の集落へ走った。途中の千金に人麻呂が渡ったという川の港。古代の江西駅後を見つけた。川平から島の星山を上り,そこから江津に降りず,南に走って跡市に向かうコースが前半の予定。
島の星山にも人麻呂が旅に詠ったという場所があって,そこからこの江西駅が古代の道であろうと推察されている。今この道は歩けないのだけど。江津と人麻呂とは,そこらじゅうに痕跡を標示されている関係で,みつけると,ほほえましくて,これもけっこう楽しい。

が,川平への目的は別にある。平という地名は大田にもあって,ここにはたくさんの神話とその神様たちの神社がある。

平は比良とおなじで,比良坂といえば出雲神話でスサノオがおとされて,やっと逃げ出したあの世への道になる。
先日,この川平走ったとき,地域の案内版に山深く島の星山の山中に神社とお寺が記入されていた。地図でも民家も数軒しか書かれていない。
川平の集落の真中にある駐在所は松平駐在所。そのそばに川平郵便局。なんで??。
道をたずねた郵便配達の人は平とか平床とか,話されるけど,地図には川の名としか書いてない。どうも,ここは,なにかある?と比良と同じでないかと?

琵琶湖の西は比叡山。その西に比良の山やま。ここも比良坂といわれている。比叡山の僧が行うもっとも厳しい過酷な行に千日回峰という修行がある。
その修行は858年天皇家におこった病をある僧が祈祷するために呼ばれた。僧は修行の途中,御所にたちより土足のまま,祈祷をおこない,その病を治癒することができた。依頼,回峰修行の僧は御所に土足参内する。その僧は比叡山からさらに奧,比良の山中に修行場をもとめた。

比良はあの世との境界になる。そんな情景をさがしに山登り。やっと地図にあったお寺を見つけた。二軒の民家のそば。が,無住になって,集会所がわりの様子。そこからまた登りはじめた。
石造りの鳥居がみえる。そばにおおきな石柱に厳島神社とある。その石柱に神社の由来が掘り込まれていた。
江戸時代,江津の廻船問屋の沖田屋(横田屋)のお庭にあった神社をこの地にうつし祭るとある。この沖田屋は,いまも江津本町にデーンと座っていた。この地にわざわざ神社をつくるということ,そこにこの場所のなにか特異な領域を感じる?かと,クンクンしてみたけど,解らなかった。神社の横に一軒だけある農家へ。誰もおられないけど,いまも生活されている様子。珍しく表札があって「沖田屋」とあった。もうすこしここらを探したかった。

この谷をつめて,分水嶺を超え,敬川・ウヤガワにながれこむ谷への破線の道は地図にはあるのだけど,痕跡もみつからない。
予定にしていた山登りから,人麻呂さんの歌碑をみつけて,ここから江西駅ゆきかいな。人麻呂さんは,かなりな健脚であったと,実感した。人麻呂は兵士であったとう人もいて,そうかも知れないな。

島の星山を南に走って谷への下りにはいった。ここらは,古代から戦前まで焼畑農業が残っていたという話。焼畑が2年から3年の周期でまや山へ戻すとき,紅葉松つまり唐松をうえるときいてた。
唐松ま信州の風物詩のようにおもえるけど,広島でも吉和や八幡高原にはあって,これが紅葉する様は,すさまじい。一面すきまなくまっ黄色。この時期紅葉では見つけやすい。この唐松林発見も楽しみにしていて,キョロキョロ。

盆地ほどとはいかないが谷間にすこしひろがった田んぼの集落,といっても一軒屋のみ。そんな場所へ下ってきた。谷金。人麻呂さんの川の港が千金。なにか因縁ありそうだけど。

下り入口に杉林。うすぐらくなった樹木の元に,しきみの木がびっしりうえてある。その奥におおきなイチョウがそびえて,お寺があるのかな?と地図。が記入なし。そのイチョウのその隣の民家の入口に地藏さまの祠。そして,その奧に祠と墓所が,秋なのに,夏の終わりのような陽射しの中にあるのをみつけた。

墓所もちいさなものでなく,お寺の墓所ほども。祠そばにすわってあたりをみわたした。
ひろくて,あかるくて,ここちよい風がふきあがってくる。この墓所にはいった祖先たちの幸せを感じる。
ふと,すぐ足元と地藏さまのそばの木に花がさいている。エー,サクラ咲いてます。唐松林どころじゃありませんです。
比良はあの世の楽天地なんですね。
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# by forumhiroshima | 2006-11-02 20:14

神の依り代

神様が天上から地上に降臨するとき,その物を依り代というのだけど,その物は岩であったり,山であったり,またおおきな樹木だあったりする。
津野津の古道が直角にまがる場所に二本の松の大樹があったと標示されている。一つは大年神社の前にあった。もう一つが柿本神社の人麻呂松。
大年神社の松はこの松を矢でいるという的となった神事の木であり,人麻呂松はここで急病になった人麻呂が回復したという口伝がある。ふたつともいまは枯れてしまって,説明文があるだけだ。

多鳩神社への道をまちがえて神社のある谷の尾根に入り込んだ。そこに石碑で多鳩神社遥拝の松跡と草の中に埋もれて石碑があった。ここで神社が見えていれば,すぐに引き返したのだけど,潅木の中で見通しはきかなかった。

12月の後半に奈良の春日神社で境内の松の下おこなわれるお祭りは,ここに翁となった神が出現したことから,だという。この伝説から能の舞台には背景として松が画かれる。それは神の降臨の依り代の松と。
この松も枯れてしまっているのだろうか。出雲ファンとしては,国譲りを強要した春日の神はあまりふれたくないのだけど。

多鳩神社の周辺一帯から海岸まで(もちろん昔の海岸線を予想して)なにか,不思議な空間をかんじた。そうして地図をみているうちに,あの津野津の二つの松はいまは角をまがって出会うのだけど,道はそうはついていなくて,松の並びに一直線であったのでは?とおもいだした。そうなると,山中の遥拝松もその直線にならぶのだ!!

丹後半島で丹後一宮の籠神社に参拝して門をでると,そこに海を割って天の橋立がのびて,まるで参詣道の並木のようだと,ふとその奥にそびえる山の山頂がこの真中にあることに気付いた。その山はヤマトタケルが命を亡くす原因となった伊吹山。伊吹山山頂から天の橋立をみてその直線の半島にあたる場所に籠神社があると。さてどちらが??

松はまつり木だという。神事の松も人麻呂松も多鳩神社の神様,コトシロヌシがこの海岸に降臨し,谷奧に鎮座する,そのことを示してきたのだ。
現実には,この津野津に上陸してここを開拓した人々はこの巨大な松を目印にした。そうして,この海岸を潤す水を吐き出す谷奧に自分たちの神様を祀った。そのうすれた記憶のなかでいまもお祭りがつづけられているのだ。
多鳩神社の神文も大元神社のそれも同じマークだった。
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# by forumhiroshima | 2006-10-28 19:55

人麻呂対決

江津の和木から津野津へ。和木は山口県岩国にも同じ地名がある。どんな秘密があるのだろうか?と。山陰道は地図では破線になっている。すこし不安と石見ではこんな道がけっこう生きてるというこれまでの感ですこし草が茂っている入口へ。

すぐに小さな祠,またすぐ祠と鳥居。こりゃ生きている。すっごくうれしい。やっと山陰道古道。

ブルドザーでひろげられている山肌がまだあたらしい工場横にでた。こちらから探しても,みつけられないだろうと,少しの幸運。民家のなかに細い路地となって山陰道があのゆるやかな曲線をつけて伸びている。すぐに大年神社。その前に枯れてしまった神事につかわれた松の説明があり,そばに地蔵堂。その隣の民家の壁にこの神社を基点とした巡礼ルートを掲示されている。

日本海の岬には八十八ヶ所めぐりのお地蔵さんをならべた巡礼道がたくさんある。ここまで海がきていて,この巡礼コースがいまにのこっているのだろうか。ここで山陰道は二つに分かれて山ルートと海ルートになる。
山ルートに路地を直角にまがると,つのつの里とかかれた標識。そこがひろい広場になって,祠が二つとその横に拝殿のような建物。柿本神社とあって,ここにあった人麻呂松の切り株が,神社横にちいさな小屋に大事に保管されている。この松は高さが13mもあったという。
なぜ枯れた松をわざわざ小屋や石碑までたてたのだろうか?

万葉集に柿本人麻呂は石見国鴨山で死亡したとかかれている。歌聖とまでいわれ,万葉集の中心にいるという人麻呂が死去した石見・鴨山はどこかと?論争がつづいている。
益田市沖の地震で沈んだという鴨島説,江津市神村・カムラからカモ連想説,湯抱温泉亀山説,奈良県葛城山説といろいろ。益田には柿本人麻呂神社と郊外の小野の柿本神社がある。

人麻呂の「石見のや高角山の木の際より,我が振る袖を妹見つらむか」の歌の高角山が津野津の高い山で,島の星山がそれだということも根拠になっている。益田では高津川そばの山,鴨山に柿本神社があって,そこが高津の山でもあると。

湯抱温泉の亀山と鴨を唱えた斉藤茂吉の説は梅原猛の水底の歌でコッテンパにやっつけられた。どうも形勢不利。

いろいろと江戸時代からの論争なんだけど,どれも確証なし。で,石見でも決ったわけじゃない。がそおうもいっておれなくて,津野津の柿本神社は人麻呂が袖を振った相手,依羅娘子ヨサミノオトメの生誕地だと。その祖先もおられて井上さんというのだ。
この江津にもう一つ人麻呂神社がある。
問題になる島の星山。地元では高角山の中腹にその神社がある。そこへは南をグルーっと回って,そこに入る谷間の古道をたどることにして,コース最後の登り。
神村から谷を巻いてのびる道は古道と民家の庭に柿木とで秋がせまってきて,ほんに満足して気分もグー。新しい車道の工事が中断している場所から,すこし道幅もせばまって,イヤな予感。これが当たりました。すこし入ってブッシュ。そして木立いっぱい。
ほかに迂回路はとさがしても,石見の特徴。一本道の設定だ。

くやしいけど,帰り予定の有福温泉直行か?も,イヤイヤ,完走せよと,不思議な気分が湧いてきた。ままよと,一度江津市内へくだる。そこから新しい車道の登り。自動車道路は,自動車でこそ,道路。自転車で斜度7%を続けられると・・・。
小さな標識で人麻呂神社をすぎているほど,集中???。
人麻呂神社は小さな祠。そのそばに高く柿本人麻呂,そのてまえの平地に依羅娘子と銅像。人麻呂さんは袖ふってなかったけど。

人麻呂神社はいくつか出会ってきた。人麻呂人気なのか,古代に柿本族が漂泊したのか?とおもっていた。ある人曰く。「ヒトマロ,は火止まる,火事災難予防」エー,ただのおやじギャグ!!
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# by forumhiroshima | 2006-10-27 18:17

祈りの領域

石見も江津までやっときました。もう半年以上も通ってますからね。
島根県の歴史街道というガイドブックをたよりに古道をトレースしてきたのですが,ほとんど古道らしい風景には出会えてません。古道の上に道路がのっかったか,廃道になってるか,です。
そんな失望は地図の細い道や破線の道へはいることで,もう充分に石見の古道を満足してます。

山陰道で江戸時代にルートが変わったところがあって,パンフにはその両方やまぞいと海ぞいが記載されている江津から波子までをみつけました。ならば,山。(登りおっそいくせに)。

江津市二宮町神主って所です。江津の西隣の都野津の山際から小高い丘にあるりっぱな寺院,太平寺へあがって墓所のみちから高速道の横をくだると,小高い丘にポツネンと神社。その境内にはこれでもかと幟と吹流し。道端は注連縄。お祭りのようです。ここからは,田んぼの中に祠のように,古道やしき道は分断されています。
その田んぼに直径2mほどの笠が開いて,その笠にはあか,きい,あお,ぴんくととりどりのリボンがびっちし。島根半島で神社境内でみたこのような花笠には造花でした。ちがってるのはこの笠みたいなものがあちこちの田んぼに立てられています。

「山陰道は当初,南,山側におおきく迂回していたが,寛政年間に直進する,浜街道,に変えられた。かっては砂浜で道筋にするのが難しかったため,山そでを通したのだろう。歴史街道より」
いや,山そでなら大平寺へあがらずに,その前の丘すそも充分に高度がある,それに高速道まであがって,いきなりヘヤピンUターンな道が街道なんてこと・・・。おかしいよ。

山陰道をパンフでトレースして,そこから江津への周回のために有福,跡市と走って,跡市から古道に。ここはよかった!よかった。うねうねと登り下り。その間にいくつものお地蔵様。すこし多すぎやしないかい,ってほど。軽四いっぱいの幅が数キロ。農家,柿木,青い野菊とロケーションも満足。ここらをニ宮町神村。うーん仏村??
この山奥に石見・ニ宮の多鳩神社がある。だからニ宮の神村なんだろうけど。

多鳩神社への道は細線で一本。ここを曲ればと古道に入る。いくら登っても,石見・ニ宮の貫禄をしめすだろう鳥居や灯篭もでてこない。道が舗装から地道に変わるところにお堂。そこに仏教伝来伝承地の石柱。そばに万葉道。
どうもこの道は地図にない。折り返して,ほんの少しで神社への道標。まいったね!
一,ニとおおきな鳥居をすぎると,巨木のなかに苔むした神門。その奥にりっぱな拝殿・本殿。たしかにニ宮。

谷口にかえると,海がみえ,すぐ下に高速道。あれ,さきほどの笠林立の田んぼたち。

山陰道はこの多鳩神社の参道でもあったのか。
でも先ほどの仏教伝来伝承地は?とうりがかりのおばあさんに聞いてみた。お堂は弘法大師のお堂だそうだ。それに,ここには面白い伝説がある。仏教を国是とした聖徳太子の一族は蘇我氏に根絶やしほどに滅ぼされる。が,太子の長男の嫁とその息子,石見王はこの地にのがれて,生きのびたと。

それで伝来伝承の地なんだろうか。
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ちいさな谷に,いっぱい神様と仏様がつまっている。神領だと思った。
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# by forumhiroshima | 2006-10-26 14:50

笹・佐々

石見の山中で旧家とか庄屋とか,でっかい,古い家屋に出会うと,百姓屋でなく鉱山関係とおもってもまちがいないようだ。それにササがつく。

石見・久佐に峠をこえてくだった小川そばに嶋村抱月の家跡というおおきな標識をみた。少し谷をあがると掲示板が「抱月生育の地」とある。
島村抱月は東京専門学校,いまの早稲田の出身で演劇の芸術座をおこした人だと。ある。松井須磨子という当代第一の女優さんとのスキャンダルや劇中歌のカチュシャの歌が大ヒットやとか,聴いたことがある,程度の知識。

生育の地から久佐の中心地にくだって,また標示をみつけた。久佐八幡宮にある。神社そばの小学校に抱月は通ったとあって,本名・佐々山滝太郎。実家は鉄山師であったと。
そういえば都茂で記念館もある泰佐八郎博士は泰家へ養子になる前の名は笹利家。ここも鉄山師の家。
久佐八幡宮から少しのところの家並みがつづく丘におおきな屋敷がたっている。そばの寺院の大屋根にもひけをとっていない。石見・中通りの中にある庄屋さんの旧家。佐々田家。ここも鉄山師で後に酒造家。並んでいた蔵はいまは打ち壊してしまったとそばのおじいさん。

石見の鉄山・砂鉄は江戸時代に盛況になり,有名な鋼も出荷していたのだそうで,それが明治になって一挙に輸入の鉄におされて衰退したという。そんな時代がいまもかすかに垣間見られる。

ササという名から。古代朝廷が四方に派遣した軍隊の親分のうち近江から越へとはいった大彦命に平定された豪族で佐々貴山君という一族があった。この一族に小野や柿本の名がある。
鎌倉になって,守護として因幡から出雲,石見,周防と支配したとある佐々木氏。その一族になる尼子氏。この尼子氏が毛利氏に負けた戦国。かれらが石見各地にちって,ササとい名をのこしたと。長い歴史のそこの流れを感じる。
石見を走っていて,佐々とつく表札をみつけるたびに,ニンマリとしているのだ。
だから・・・どうした!!
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# by forumhiroshima | 2006-10-24 12:11

温泉

温泉というイメージがこのごろ変わってきたようで,りっぱな施設がたくさんある。
が,石見では温泉は温泉。って,ちょっと突き放した感じ。湯がよければええじゃろー。ごもっとも。
車で自転車もって,どこかにパークして,周回するってケースでは,自分はとにかく温泉をさがす。終わって入浴もサイクのうち,だもんね。

先日そんなパークにはしなかったけど,古道をうねうねやってると,ちいさな道路標識で伊木温泉ってのをみつけた。浜田ダムの東になる。民家もない川沿いの道をくだって,いきなり明るい農村に入った。そこにも道路標識。これを入るまえに集落一周ときめた。数軒が円の中心を田んぼにしてその外周にならんでいる。その家のつづきのなかに大元神社があった。石見でもっとも普通の神様で必ずどこにも鎮座されるか,八幡宮へ合祀されている。土地を開いた祖先を祭る神社だそうで,御神体はおおきな樹木とその傍の墓標ってことの様子。それが神社の裏に見られることが多い。

ここ伊木でも神社そばに大木・たしかイチイだった記憶。でもこのごろアルツっぽいからちがってるかも。集落を周回できるとおもっていたけど,道が山へと入りだして,引き返し。さっきの標識から温泉へとはいった。

民家のそばの沢のそのおくの少し高い場所に集会所のようなたてもの。そこが伊木温泉。営業日は水曜と土日。入浴料300円。2時から8時までの開業時間。冬期は早仕舞い。とある。
老人がおられて,ここは集落でやっているのだそうで,そのうち当番がくるから,ゆっくりしてゆけ。とバイクで去って行った。まだ昼過ぎで水曜日だけど営業までは待てないし。

見渡す風景は周囲をかこまれて空がまるい。コスモスがゆれて,そこし沢の音がしてくる。たしかイチイの落ち葉を燃やすと良い匂いがして,古代その匂いが占いにつかわれていた。という説をおもいだした。山村の生活も悪くないだろうと,おじいさんが田んぼの向うの神社のよこの家に入るのをみていた。

またの日,美又温泉にパークしたのだけど,近くに湯屋温泉のカンバン。あたらしい施設のキンタの里ではないようだった。帰りの車を美又に入らず,この標示へとすすめる。川沿いの古道へはいり,あたらしくつけられたようなのぼりからちいさな丘へあがった。子安華湯館とあって,400円。湯船から稲刈りがおわった景色だった。石見にはまだまだ温泉たくさんありそう。
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温泉はどこも川沿い。地下水が地中で温められるのだから,水が豊富なところがいいのだろう。
島根半島の温泉もそんな立地だった。火山帯のはいる土地の川沿いってことになるのかな。
そういえば気になる発見があった。平田から出雲大社へゆく古道で山塊が平田平野へおちるキワに「要石」という丸い石を積んだ祠があって,出雲風土記ともかかわりがあるほど古いものだ。そのカナメイシは鹿島神宮にも諏訪大社にもあるんだそうで,出雲神話の戦いの神様の御里がそうだ。その要とは土地が動かないようにする重石なんだそうで,国引き神話とかかわっている。土地が流れないよう。そしてそばに温泉地帯があるのだそうだ。平田の温泉はだいすき。

でも島根半島はけっこう動きそうなところ??
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# by forumhiroshima | 2006-10-23 16:57


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