こひちろうの独り言 |
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えらく「地方の時代」がいわれる。これは、大阪の知事さんの功績で、うまくいけばいいのだけど。歴史社会学という、難しい学問の先生が「元来、日本という国は、二十軒ほどの集落が盆地や谷間に自給自足しながら成立した地方をモザイクのごとく組上げた国・地方の国なのである。この国土と、そこに住む人々は、宿命的に地方分散的に配置されてきている。それをいまさら・地方の時代・だというのは、明治初期の地租改正以来の中央集権体制が、いかにまちがっていたか、という告白にほかなるまい。加藤秀俊」といっている。
先日やっと島根県周遊サイクリングに終止符をうったばかりなのに、昭和38年東京オリンピック前年・わたしが高校生のころの、島根県下30地区民俗緊急調査報告書なるものを入手した。おとずれた「地方」たちの詳しい生活が記載されてあって、これもっと早く読んでれば!と。 そこには、その「地方」が、たとえば、大馬木には、瓦工場ができてるが、まだ少ない、とか、ここは古くから隠岐馬を使ったところであるとか、記載してあった。 今このような民俗調査なんておこなわれないだろう。みなTVみて、スーパーで買い物して、自動車で移動している。これで「地方」は? 吾妻山へ入る古道の脇に石灯篭があった。そこに、「比婆山神社参道道の原標にして・・建立。天保年間当地豪族、枝木植左衛門。六の原の全盛期には当地の土民たちの人や駄馬の道と伝えられる。」 比婆山の西の越原に比婆山神社はあって、六の原は比婆山の東になる。この道は西の大膳原から越原へ。途中で分岐して、出雲峠をこえて六の原へ。標識はどちらも正しいことになる。 比婆山は美古登山と呼ばれたようで、山南斜面の西城にはこの名が残っていて、小学校もこの名がついている。イザナミ命なのか?山頂の御陵は、どうして、だれが、と思う。不思議な神々しさが、みあげる山並みに漂っている。 その標識のある側に橋が架かっている。鉄穴谷橋とある。比婆山・吾妻山は砂鉄生産の中心地だったようで、この製鉄事業は仁多の絲原家がおこなっていた。すごい数の人々が働いていたようだ。民俗調査にここらの山はすべて絲原家のもので、山に入るための鑑札を絲原家から購入していたとあった。 川をすこし下ると、石碑がある。 けっこう「地方」があるじゃないか。でも、この「地方」古いよな。重苦しい「地方の時代」がくるのかな?大阪の知事さんは、地方のお殿様ねらってるのかな? 帰りの小峠へはいる。たくさん、ここまで自転車で登ってきた。もううんざり。自転車より、やはり「馬」がいいな。自動車もエタノールという穀物くって走るらしい。それくらいなら、馬はもっといいだろうに。クリーンですよね。美古登山へ馬で登る!いいですね。
by forumhiroshima
| 2009-08-28 16:08
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