備北三大祇園社のひとつ、庄原・山内の日吉神社は閑散として、秋の日差しが明るすぎるとおもえる様子だ。ここから馬洗川を南へ遡るコースのスタートにした。三次・庄原は江の川のながれる盆地にあって、中国山地を北側にして、ここから南への瀬戸内海までは、つい下っているように思おうのだけど、実は盆地の南端には山がつらなって、のぼりになっている。三良坂、上下と地名がよく示している。
高速道路のすぐそばの「甲平」という数軒のあつまりの集落へ入った。自動車道のブーンという音のなかに。よく通る声が聞こえてくる。午前の日差しがやっと、朝霧を追い払った時間だ。なにか仏事でもおこなわれているのかと、はしっていると、「払えたまえ・・・」といっている。たしか地図にはここには神社はでてなかった。道路そばで人影がうごく。ここから声が聞こえてくる。
神主の衣装のおじさんと、そんばにおばあさん。道路と彼らまでは、2mほど。生垣がわりの芝が隔てているだけ。御幣がサーと振られて、一礼。道路にたってる自分にされたのかと、勘違いするほど。はずかしくてこのにある木の陰へ。
立ち去られて、覗き込むと、ブロックでかこまれたちいさな池のそばに、一本の御幣が差し込まれている。この池にお払いがあったようだ。
ラッカディオ ハーンに「古風な迷信、素朴な神話、不思議な呪術-これら地表に現れた果実の遥か下で、民族の魂の命根は、生き生きと脈打っている。この民族の本能や活力や直感も、またここに由来している。・・・この国の人々の美の感覚も、芸術の才も、剛勇の炎も、忠義の赤誠も、信仰の至情も、すべてはこの魂の中に父祖より伝わり、無意識の本能にまで育まれたもの・・神々の国の首都より」
西洋人に指摘されたくはないことだけど、ここのちいさな御幣は、彼の観察がいまも正しいことを証明しているかのようだ。