こひちろうの独り言 |
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古い道は長い間人や牛や馬という生き物に踏み固められてきた。往来が多い道は、自動車の出現で拡張されたり、峠はトンネルにかわったりしてはいるが、拡張するには、家々の移転や所有の問題からバイパスとして新しく整備され、そこには古道が、河川の三日月湖のように残っていたり、車道のそばに、ふくらみとして残ったりしてる。自動車は道を変えて、高速道は空へのぼって、地上からはなれていっている。
残された、置いておかれた時間がそこにある。自転車はその残された時間が、ゆったりとした勾配や急坂やらがつたえてくる生き物の息使いとして感じさせてくれる。 この息つかい、心臓の鼓動が早くなっても、つぎにゆったりと荒々しい鼓動を鎮めてくれる勾配を用意して、あるリズムとおもえる時間がやってきたりする。その呼吸になかから、なにげない景色が強く印象をもって現れることがある。 三良坂の北の尾根を越える場所に、上下川がおおきく蛇行して、その蛇行のあとに残された平地の数軒の集落の中央に、ちいさな、が盛り上がった茂みがあった。その周辺に古墓が傾斜して群れをつくり、茂みの中央に朽ち果てた小さな祠があって、そこへはちいさな枯れた木が横たわって、そこへ入るには、その木を取り除くしたないようにある。が、朽ち果てようとする祠には新しい御幣とサカキが、いきいきと風にゆれている。 この景色は、いくども見てきて、そして通り過ぎた。 庄原の七塚ケ原の丘陵がとぎれて馬洗川へなだれこむ斜面に数軒の民家があつまるそばの、刈り取られた田の中央に、残さなくてはならないかのように、一本の木がちいさな丸い盛り土にあって、そこに小さな祠が田に入って、今年最後の農作業をしている耕運機のじゃまをしていた。田の神と、名だけはしっているが、なぜそこにあるのかと、考えることはなかった。 甲奴の町から北上した道と西へはいる道の交差点に、旧道がのこされて、そこに、晩秋の落ち葉がかさなって、薄汚れたように茂みをぬける弱い日差しの森に数個の石がころがされて、灰色になった御幣が竹のさきでゆらいでいた。交差点は車の往来もある場所で、このままにするより、自販機でもあるのが自然のように思えた。 この小さな森が、じつは、対馬暖流の洗う九州・山陰、北陸に名を変えてあるという。 対馬の天道山、壱岐・西九州のヤボサ、鹿児島のモイドン、種子島のガロー山、奄美の神山。山口県蓋井島の森山、石見の荒神森、福井のニソの森がその森になるのだそうだ。「森そのものが神なのだ・岡谷公二」 この森の起源はもちろんわからない。 が、この森が沖縄の御嶽へと続くという。それは琉球国を作った第一尚氏がこの御嶽を作ったということがあると知って、俄然この景色に引き寄せられた。 備後・神石高原町の油木の中央に鶴亀八幡宮があって、そこに南北朝期に隠岐にながされた後醍醐天皇を擁立して都にのぼった、名和年長の植えた杉があった。 この説がどうかは、わからいのが当たり前なのだが、聖地を森としてつくったひとびとが、古くここ備後国にもあって、そして、朽ちながらも、いまに残す人々があって、それを町でしか暮らしたことのない自分がのる自転車が呼び起こしてくれるとしたら、幸せと思うしかない。これから走る国々は、ついに沖縄までになってしまった。ヘッヘッヘ。
by forumhiroshima
| 2009-12-12 19:45
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