こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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太田川・自転車遡江記-1

太田川・自転車遡江記

①河口の女神?消えてしまった羽衣の天女。
「安芸の国マム島というところにて、みな潮にて髪を洗い、身を清む。国郡志」との記録がある。広島の14世紀ごろの古地図では、五箇荘と記載された五つの砂州と、比治山、仁保島、そして江波島が見られ、江波島は沖からみた姿から、馬にみえて馬島・ムマ島と呼ばれた。
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上の地図は1850年の太田川の氾濫での軒を越す水没、軒下まで、1~2尺の進水を記載している。中州を埋め立てて出来た広島の歴史がその誕生順位どおりに浮き出た様子。

 身を清めたという江波島は上島(皿山)下島(江波山)と丸子山の三つとその間の砂州(桜山)の総称だそうで、そこに沐浴の泉水があったのでしょう。今も丸子山のお不動さんには井戸と水掛不動尊が鎮座している。海の近くで大きな山もないのに泉があるのかと、思われるでしょうが、それがあるのです。西南諸島にある喜界島の石垣の調査の報告(漆原和子)に、「海岸近くでは地下水として海面下にながれこむ地下水流があるので、それを見つけて井戸を掘る」とあるし、西宮市の酒つくりの水「宮水」は、海水面と同じ高さに、現在の海岸線の1kmほどの場所で採水されている。過去は海岸線まじかでも採水できたという。真水と塩水がつくる汽水が地中でも起こって、分離されたまま井戸で取り出せるのだそうだ。瀬戸内の島々も、たくさんの海岸線ちかくの井戸をもっている。
水の記憶は比治山にもある。ここは今も酒造メーカーの採水タンクが設置されているのだが、江戸時代にこの東斜面に茶室を浅野藩がつくっている。お茶屋谷と呼ばれ、良い水があったという。

 海原を航海してこの湾に近づいた船が、そこに水が湧き出ていることを見ると、それは神々の仕業、「神業」と感じただろう。古代にできた丹後国風土記に、丹後の比治山がでてくる。この山頂の池に天女が降りて、水浴びをしていると、おじいさんがみつけて、その衣を持ち帰ってしまった。天女はしかたなく、おじいさんとおばあさんを助けて・・・。のちに、そこをのがれ海へとむかったという羽衣伝説が記載されている。これでは比治山は羽衣をまとった水の女神の住処をいうようで、この湾の比治山もそんな神話があったのではないのか、と。広島湾の羽衣伝説・・なんて!。
 江波の港正面の江波山に、衣羽神社がある。古い歴史があって、鎌倉時代の記録をもっている。「江波・エバ」と「衣羽・イバ」は関連しているのだろうが、「衣羽」は羽衣の反対ってことに気がついた。ここに身を清める沐浴の空間が、きっとあったにちがいない。

 民俗学者の宮本常一は、漁村の路地が狭いのは、作業が浜でおこなわれることもあるが、親たちが船に乗るために留守になることが多い漁村では、隣を気配がつたわるように、子供の声が聞こえるように家々が近い、という。そんな路地がこの江波の港をとりまいて、冬の牡蠣打ちのころには、びっしりと白鷺があつまってならんでいる。その中央の港の今日は旧暦の6月17日大潮。厳島管弦祭の御座船を引くここの漕伝馬船が管弦祭の前日に太田川をさかのぼり、元安川河畔の住吉神社と空鞘稲荷神社に寄航して船を回し川を下って、宮島へ向かう。今年は7月26日月曜日の朝6時半、港が大潮で一杯になるころ、コップ酒を全員がグイとあおって、船が走り出した。これが出船の神事だろうか。えらく簡単だ。乗り込む人のほかは、数人のご近所以外この神事に出会う人もいない。それなら、と、お祭りが日曜日に変更されるご時勢にこのきっぱりと旧暦をまもるいさぎよさにこちらも乾杯。とおもっているのは自分ぐらいで、潮の満ちひきで運行される海の神事は、しかたない、のかも。いや、天女の神様が見守ってくれれば、いいにちがいない。

港からでて、皿山へ向かう路地は、すこし登っていて、ペダルをすこし強く踏む。ここがすこし盛り上がって「桜山」というけっこうな名をもっていたことを思い出した。ここは、あたらしく開通する南道路建設用地としてすっかり立ち退きになっていた。桜山も消える。
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 広島の発展に江波の港への寄航が増えて、桜山の砂州の北に土手をつくって船溜りとされた。これが舟入町になる。1679年ここが埋め立てられて、舟入側の先端部分と江波側が丸子橋でつながっていた。ここに特徴のある道が、舟入高校の東門から南西方向に袈裟懸けに皿山へはいっている。それに平行して、同じ角度でもう一筋の道がある。
この袈裟懸け道は皿山を標的としたという、陸軍射撃場への兵隊さん道と聞いていた。射撃場ができた明治10年に、丸子橋は埋め立てられた。この射撃場は今、広電の電車の車庫になっている。では古文書でいう「丸子橋」はどこなのか?。不思議な袈裟懸けの道が、探検心をつついてくる。
 合理的な、直線が組合った車道から、ゆっくり走る自転車はどうしても自動車に追い出される。追い出されて、自動車の入りにくい、空間の入り込込んだりする。道幅はせまくって、人肌のぬくもりがあって、まがりくねっていたりする。自転車には、それがとっても走りやすい。いつの間にか、地図で不思議な、込み合ったところを探してしまう。
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橋は土地の端と端とを結ぶ。天と地を結ぶのが「柱」。長野、諏訪神社の御柱、伊勢神宮の心柱と、「ハシ」「ハシラ」は神々のお出ましの舞台だ。そうなると、この丸子橋があった場所は、舟入神社しかないだろう。と想像する。皿山から下水処理場の東にゆるやかな曲線の路地が、この神社のある公園につながっている。この曲がり具合で、ここが土手だった痕跡にちがいないなどと思った。このあたり入り組んで路地が交差している。下水処理場もここが低い土地だからできたのだろう。ここは船溜りだったのだから。
先日、この公園に、すこし悲しい新聞記事があった。この神社とある土地は公的なもので、返還しなくては、ならないものだとわかって、神社総代さんが、こまっておられるというものだった。この舟入の土地をつくったとき、きっと、安全やらなんやら、この神様にお願いしたにちがいない。この土地の土地神として鎮座したにちがいない。だから、いま、ここがあるって、もう忘れたのかな。公園のグランドよりすこし高く石垣を組んで鎮座している神様が、この高さがここの安全地帯で、いつでもおいで、っていってるのだけど
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 丸子山不動尊は、元安川の右岸にある丘の上に鎮座している。このお堂へ登る石段のよこ、バス道路に井戸と水掛不動尊がある。ここを丸子山と呼んだのは、ここに九州・大分の佐伯の漁師が海から不動明王を引上げたものを、江波の中屋喜兵衛、山本屋平蔵、中屋幸助などが受けてきて、ここに祀ったのが始まりの1808年という。個人の氏名まで記録されて、説明されると、そうかと思ってしまう。ここはおさんキツネの民話があるところだよ。丸子山は、それまでこの小山は帆立山とよばれていた。名を丸子とした訳はわからない。
おさんキツネのお堂もこの山にいま鎮座している。
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by forumhiroshima | 2010-08-01 15:15
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