こひちろうの独り言 |
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戸河内のレストランは、造り酒屋を改装したものだそうで、民具なども展示してあるから、公的な運営なのだろう。早めの昼食も、すでに先客でいっぱいの盛況だった。ここでつくられた「三段峡」という清酒は加計の隅屋の経営だったそうで、江戸時代にこの戸河内だけで7000人がいたそうで(現在は加計、芸北をあわあせて8000人ほど)、その繁栄した時間はその家の砂鉄精錬家業で生まれた。そのころだったら、とても昼飯にはありつけないだろうな。その鉄精錬は鎌倉時代に、和歌山からきた地頭の栗栖氏も関わっていた。和歌山を古代支配した紀氏の一族だともいう。もっと古く、戸河内の入口に筒賀にある古墳には鉄製品がおおく埋葬されていて、さらに南海産の貝の腕輪のレプリカも見つかっている。紀氏は船つくりと航海の一族で、朝鮮半島へ遠征する大和朝廷の将軍を務めている。
神話では天の岩戸に隠れたアマテラスを引き出すとき、すこし岩陰から外をのぞいたアマテラスにみせた鏡が「三種の神器」の鏡だが、これが二つあって、最初につくった鏡は小さくて、それは紀氏に与えられ、もう一つが伊勢神宮にあるという。紀氏の鏡は和歌山の日前神社・国懸神社にある。ここの宮司は紀氏で、出雲大社の千家北島家にならぶ歴史をもっている。その神社のすぐ側に「栗栖」の郷がある。神社の西は名草という土地で、ナギサであろうといわれるが、ここに「太田」の郷があるのだ。 ![]() 吉和川と名をかえた太田川本流へ走る。夏は山の森がかすんで、空とまざりあって、そこの川面もおなじ色になって、青いジュース。が、空が暗くなって、遠い雷の音が響きだした。夏のにわか雨は、初めにムウーっとした時間からいっきに涼しくなる。その落差が気持ちいい。はやくこっちにこい! ![]() 戸河内の山奥に伝承がある。「ここの山奥の炭焼きの男のところに、美しい女があらわれた。紀州・和歌山から探して来たという。夢のお告げがあって、安芸の国奥の山へいって嫁になれというお告げだという。あなたがそのお告げに男だから、嫁にしてくれと、持参した小判をみせると、炭焼きはそれなら裏山にたくさんあるといった。男は押しかけニョウボをもらうことにしたが、身体がとても冷たく、夜半にでかけてゆく。或る夜出かけるので、あとをつけると、川のヌクイの淵へはいっていく大蛇になっていた。「わしの正体は知られてしまった。わしは九州の日向から紀州へ行き、そこからここへきた。知られてしまったから、ここをでて出雲の斐伊川へゆく。わしの名はオロチという」 古代けっこう戸河内って有名な場所であったようだ。「伝説はもとより史実にはあらず。史実以外の真実を語るものなり」だそうで、このヌクイの淵が気になってきた。 西中国山地の山、谷の名をくまなく調べた「男前」さんがおられる。大学の先生でもちろん学術としての調査だが、三十数年も費やされたときく。 ![]() その中にヌクイの池も淵のなかった。が眼前に立岩ダヌ湖が雨のガスにけむると、ここがそうだとおもえてくる。 ![]() すべての谷に名があることを調査されたということは、その地名が必要だった時があって、いまではとても想像できないが、この山を動き回った人々の会話がきこえてきそうだ。黄金をさがしてやってきた人たちもそのなかにいたことだろう。 吉和川が吉和の里に入るまでに、地図に四箇所の集落の名が記載されている。大正時代まで、この川を木材を流して、いった筏師たちは、この点在する民家をかりて宿泊して作業を戸河内まで追っていったという。その家の名が記録にある。民家そばの墓標にその名を探したが、一つも見つからなかった。戸河内-吉和の間にはもう数軒ほどに、雨にぬれる洗濯物がみえた。 ![]()
by forumhiroshima
| 2010-08-27 17:47
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