こひちろうの独り言 |
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京都の寺々をあるくには、やはり平安京の最古の遺構である東寺を出発点とするのがふさわしくまた京都御所などよりもはるかに古い形式の住宅建築である御影堂を見、その前に立ち、しかるのちに他の場所に移ってゆくのが、なんとなく京都への礼儀のような気がして、そうゆうぐあいに自分をなじませてしまっている。「古寺巡礼京都・司馬遼太郎」
京都の羅生門は10世紀には消えてしまって、東海道や大阪道、西国街道の都の基点は東寺になっている。司馬遼太郎の古寺巡礼も東寺を基点にして都へ入ることになる。司馬さんらしい京都の案内のスタートにされている。 東寺はどこか(いってもいないけど)英国や米国のカレッジににているようにおもってしまう。それほど京都の他のお寺の建物の配置とがちがっていて、広大な境内はグランドのようで、そこに平行に巨大な校舎がならんでいる。大好きな空間だ。 この寺を天皇から貰い受けた空海はここを真言の根本道場とした。羅生門をはさんで東西に平安京ができたころ東寺と西寺が建設され都の鎮守をになわされた。「太平記」にでてくる話にこの東西の寺の対抗戦がある。ある日照りの年に雨乞いの祈祷を東西の寺がすることになった。最初に西寺の守敏という僧侶がおこなたが、効果なく、のちに空海がおこなった修法で雨はふったという。こののち東寺は栄えに栄えたが、西寺は衰退してしまった。という。 羅生門跡から西へ走ると、静かな公園がある。遊具もなく楠木が中央にそびえていて、石柱に西寺跡とあった。 平安京は南北に「路」を通し、東西に「通り」を架ける。そうして正確に方形の町並みを構成する古代の都市計画の町。ではその南北を走られせた基点は?というと、船岡山になるのだという。 古代の都市計画はこの南北の中央ラインを基本に設計されるが、じつはそんなに正確でなはい。 極北にはけっこうな誤差がある。が、そうともいえないこともある。先日尼崎で、ここの海岸に上陸した貴船の神が平安京の中心になる御所の真北に鎮座し、都の水の神となったことを書いたが、この位置関係はじつに正確なのだ。 地球上で同じ緯度に位置することは、太陽の光の照りつける角度がおなじであれば、また春分た秋分の真東からのぼる太陽を基点にその後とか、前であってもタミーの柱を立てることでできそうだ。 が同じ経度上にあるように設計することが、この時代できたのだろうか?このことに、このごろすっごくこだわって、なやんで、やせてない。 北をおおざっぱに判定することは、自分のようにすぐに路地へはいりたがると、とても地図あわせで必要なんだ。走れる!って自信のがあれば五万分の一とかのおおきな地図がつかえて、掲載範囲が広い分目標をさがしやすい。路地に対応した二万五千分の一では広げるとまず北方向を決めなければいけない。自分は真直ぐに立ってるだろう標識とた電柱の陰を腕時計の短針にあわせる。そうすると日時計の反対で12時が北になる。おおざっぱだけど、平安京レベルは確保できる。 日時計はまず北をきめて時間を判定する。 もっと正確に北を知りたければ、昼飯の時間、まず垂直に棒を立てる。それを中心に円を描く。いまその円と交差する棒の陰を円にしるしする。飯がおわったら、また棒の陰を円にしるす。そのしるしを結ぶと東西の方向。これの直角が北になる。 自分に位置が人生ではさっぱりつかめない。漂ってるが、自転車のって旅するとき、平安京の祈祷師たちが、貴船神社の場所をきめたように、きっとしっていただろう経度の計り方手に入れて、漂わないようにしたい。わかったら、おしえます。
by forumhiroshima
| 2010-11-05 20:18
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