生駒山から奈良への峠道を北から一つづつ走っている。生駒山の大阪向きの斜面はここに断層があることで急峻だ。で、軟弱に低い北の峠から始めた。
枚方から天の川を遡る道に生駒山山麓まで京阪電車が入っている。生駒をぬいて奈良までの計画が頓挫して、山麓までとなったのだそうだ。その山麓に「河内森」駅がある。なにかきれいな森がそこにあるようで気になっていた。そこから急坂で傍示の集落へのぼる道がある。が、実は東側から登ってこの傍示からくだるコースをとった。これもけっこう厳しかったよ。
傍示は棒を地面にさしこむこと、だそうでツクシはその形から呼ぶという。それは土地の境界を示す目印。縦の棒は傍示で、横に縄を張ると注連縄。是も結界、禁足地。現在の行政の区分ではここに生駒市と交野市の境界が走っている。
傍示から森への道はとってもきもちいい峠道で、一台のMTBとすれちがった。いい道知ってる人だ。
しぶい民家もある。
下り終えた森の集落はまだけっこうな高度のある台地にあって、展望がよくきく明るい場所だ。
大正14年の地図ではこの道はなくて、北の寺の集落と傍示はつながっている。
寺の集落の奥の峠道の入口をさがすと、そこに石の表示がある。
「かいがけ道」とあるが意味がわからない。残念と、引き返すついでにこの寺の集落をまわってみた。軽四も無理です。とかかれた路地に、マジ!ってほどの大きな門構えのおおきな民家が、それこそ軒を重ねて、いや塀をかさねていた。塀むこうにおおきな茅葺の屋根もある。写真なんぞじゃ、伝えられないが、一応掲載しましょう。
きりがないから、ここで傍示!。
このあたりは5世紀、古墳時代に鉄鍛冶工房がみつかっている。森遺跡とよばれる。こことここの南の生駒山が大和川で切断される柏原市の大県遺跡とがこれまでの最大級の鉄関連遺跡だという。
となると、この神戸・芦屋もあしもとにおよばないと、自分はおもってしまった家々の主たちは、古代製鉄会社の重役の面々であったかとも、思えた。