こひちろうの独り言 |
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「もののけ」じゃなくて「モノノフ」です。武士と変換されるんですね。男前!ってことです。そのオトコマエが古代に天皇家よりまえに、この国に渡来した一族の「物部」って集団がその語源なんだそうで、「モノノベ」が「モノノフ」。だったら、日本精神って、感じ。街宣車がでてきそうです。
そんな「モノノベ」は3世紀以前に大阪、河内の山におりたったニギハヤヒが祖先といってます。この降臨が生駒の北部の岩船で、ニギハヤヒは磐船に乗って降臨してきたといいます。岩船神社があって、そのそばをながれる天の川が平野にでるところに「私市・サキイチ」があります。そこに若宮神社が山中の岩船神社に向かってだけ参道はあって、集落からいったん登りそして折り返すと神社、という設定です。 若宮神社にある由緒書が、すばらしい、です。 「この神社はいまは大阪の海岸に鎮座する海神の住吉神社の神々をまつるとなっているが、じつは上古、上古ですよ、天孫ニギハヤヒ命がこの地に降臨され、そののち大和に入られた。その子孫を中心として交野物部の強大な部族を形成したが、その後物部氏の衰退と、岩船という船のイメージから住吉の神々への信仰となった。」なんて書いてある。神社のいま祭られる神々を説明するのに実はちがってまして、ってことになる。 神社はちいさなグランドのような広場に大きな楠木の影がひろがっている。あかるい。 司馬遼太郎がこんな文章を残している。「河内者が物部のつわものの子孫だとすると、私はとんでもない役回りになるな、といまさらながら恐れおののいたのである。」という。司馬さんが幼いころすごした大和国北葛城郡葛城村竹之内には、このニギハヤヒに妹を嫁がせたナガスネヒコがいて、河内湖を押して上陸したジンムテンオウと戦って勝利した。しかし神武天皇が熊野を経由してヤマトにはいると敗北してしまう。その敗北のひとつの原因が物部のニギハヤヒの離反にある。そのナガスネヒコの塚が竹之内にあって、「子孫が”そや”といってるのに、これほどたしかなことがあるかいな」と千数百年来相伝え相語り続けた、だれがなんといおうと、そう信じてるナガスネヒコの古墳がある。が、そのニギハヤヒはナガスネヒコの妹をもらいながら、神武天皇はヤマトへはいったとこ、うらぎって義兄をうってしまう。「われわれ温順高雅をほこるナガスネヒコの末流・・」と司馬さんはいっているのだ。司馬遼太郎はナガスネヒコの子孫一派となる。 岡山県津山の中山神社の創建に、こんな話がある。美作国津山にいた物部肩野乙磨があるとき道端の老人とふとしたことからサイコロをする。勝負の賭け事に乙磨がもつ土地を賭けた。勝負はすべて負けで乙磨はその場所をあけわたし、勝った老人は中山の神と出現しそこに鎮座した。8世紀初頭の神話だ。 島根半島の北のい海岸線の小さな集落に物部を守護する石上神社にであった。この私市から生駒山系にのぼると傍示の集落がある。丁度大阪と奈良の国境。先日下った峠だけど、パスハンティングは峠の往復と、昔からなぜか?決めていて、先日の返しに昇った。 古い峠らしい雰囲気で、地図にある集落の神社が石上神社であったら、なんとなく心が落ち着く、なんておもって登ってみた。 神社は天神さんで思いはとげられなかったが、物部氏といわれる一団の渡来が3、4世紀なんだろうなんて、いわれると、いやまだ子孫たちはナガスネヒコをふくめて、健在ってことなんだろう。それにしても、すごい国だね、この国は。そうでしょう、司馬さん。
by forumhiroshima
| 2011-01-21 21:51
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