こひちろうの独り言 |
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京都、平安京の羅生門から直線に南下する道を鳥羽作り道。この道は平城京の南北線をきめる起点になった船岡山から、生駒山系の石清水八幡宮の鎮座する男山の東、尾根にかこまれてある独立した嶺の甘南備山とを結んだ線を忠実にそってつくられている。今は宇治川との交叉の部分でゆがんでいるが、この道が徒然草にあることから平安京のつくられた794年にとおくない時期にはあったのだろうと推定されている。平城京の南の基本線が、国道R1がこのラインにほとんどそって走っているから、鳥羽から八幡へのストレートで走ると、たしかに確かめられる。
「野のなかにある清水は、今の人の考えではほとんど発見する方法はないようであるが、この点にかけては未開の人民のほうが、はるかにすぐれた能力をもっていた。山中でも「ウジ」と称して、猪鹿の開いた通路は必ず清水から清水につながっている。たとえば日の反射、風の速度もしくは最もひそかなるせせらぎの音のごとき、野獣の感覚を刺激するに足るべきものは、古代人もこれを知っていたのであろう。柳田國男」 古道を走るとゆるやかにうねって進むのだが、古代に官道を引くとき、直線にひかれるのだという。もちろん平地であってのことだろうが。つまりけもの道を広げて、往還路としたのではなく、道引きされたものだという。 京都から南下し鳥羽作り道から淀川の湊の山崎へ、また直線の道があったという。久我畷道。ナワテは縄手とも書かれるように、紐を等間隔にむすんでつくったメジャーのことだそうで、地名にも残っている。この地名は設計された道があるってことになる。 大正14年の地図では道は細い線になっている。つくられた当初、宇治作り道では幅27mほどの水路を平行してもつ20m以上の幅であったと推定されている。上田正昭・古代の道。久我畷もその半分の幅を予想されている。 この道の基準を鳥羽にあった鳥羽離宮の庭であった「秋のやま」とし、古代山崎駅、いまは離宮八幡宮のある天王山が淀川にながれこむその先、だから山崎の地名なのだけど、そことを結んだ直線を久我畷とした。金田章裕・大地へのまざなし。 そして離宮八幡宮 確かに家がなかたっら、見通せただろう。しかしいまの「秋の山」は低い。どうなんだろうか? 今も久我畷はけっこう残っている。が高速道路や上水道施設、下水処理場と分断されて、道全体を通して直線を感じるって、わけにはいかなかった。 地図にこのあたりですぐに判別できる山のピーク、稲荷神社に山と石清水八幡の男山をむすぶ線と久我畷がパラレルであることに気付いた。このラインがしっかり判別できるけど、それと平行に道を引くってことになると、想像がつかない。「野獣の感覚を刺激するにたるもの」でももってこなきゃ!
by forumhiroshima
| 2011-02-22 11:37
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