こひちろうの独り言 |
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難波宮の宮殿の完成は652年。その45年前に中国から使者が難波に上陸している。607年のこと、聖徳太子もこの使者に合っているだろう。その使者を迎えた迎賓館が大阪城の近くにあったという。船30艘で出向かえ、大和、飛鳥から騎馬200騎で警護したと中国の隋書にあるという。その騎馬たちは迎賓館をでて、大和、飛鳥へ向かった。そのルートはまず上町台地を南下し住吉神社から東へ向かう道をとっただろう。
その道は難波宮が建設されるとき、南北に直線にひかれた朱雀大道になる。これを難波大道と呼ぶ。そのルートは今残されてはいないが、その痕跡を拾うことが出来る。 朝の大阪城は、きゅうに暖かくなったからか、湿った空気とあかるい朝日のなかにあって、やっときた春の朝だった。 お城の西に大阪歴史博物館がある。手元には難波宮の中心から南北にひいた線を書き込んだ地図だけ。博物館にはきっと資料があるだろう、と9:30の開館をまっていた。そとには5世紀にここにあったという大きな倉庫が復元されている。これが十数軒も並んでいたという。なにが中に入っていたんだろうか。 博物館の展示は古代が10Fでそれから9F、8Fと下ると時代が各階ごとにかわるように展示してある。こちらは見たいのは10Fの古代だけ。難波宮の内部が再現という展示に入った。 この時代より前にすでに法隆寺はできていた。四天王寺もできていた。なんて、・・・想像できない。10Fの東の窓から大阪城と難波宮跡が見わたせる。この二つの真ん中を通る阪神高速道はここで高架から地平へ下って、また高架になる。難波宮から大阪城が自動車道の高架に遮られず見える。特別な配慮になっている。 が、しかし難波宮跡はひろい草原で、その南へ伸びていただろう朱雀大道もすぐある学校にさえぎられていた。高速道路はこの勾配のため渋滞するという。なかなか、うまくいかないね。 その景色の向こう、生駒山系や二上山がくっきりと浮かび上がってるその中間の谷間に雲がグングンと広がって、地平へ流れ込んでいる。 雲の流れがすごく神秘的で、その流れ出る場所が奈良盆地から大和川が大阪、河内へ入るところで、そこに風の神、竜田大社がある。そのすぐ東に法隆寺。この景色をきっと聖徳太子は見ていたにちがいない、と感動してしまった。奈良が神聖なところにみえた。この雲の滝は出雲でも、四国肱川でも。あの山の向こうに神が居られる、ってだれでも感じるだろうな。 推測の難波大道は途切れたり、曲がったりしていて、それに上町台地の道は幾分東へ振って南北に流れて、いったりきたり。 でもその痕跡が「大道」という地名にのこっている。そのそばに国分寺の跡のある国分の地名も。 ここを隋からの使者と200騎もの警護が、607年に通過したのかとおもえなくもないような。そう思いたいだけのような。使者はこの国は本国、隋とかわらない、と皇帝に報告している。
by forumhiroshima
| 2011-02-25 16:12
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