こひちろうの独り言 |
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最初のコンピュターが一神教の世界でつくられたというのは、けっして偶然ではない。一神教の神様はこの宇宙をプログラマーのようにして創造した。ここを空に、あそこは土地を、そのむこうには海を配置して、そこに魚や鳥や陸上動物たちを適当な比率で生息させていくという、自分の頭にあった計画を、実行にうつしたのがこの神様であった。神様さえこういうコンピュター・プログラマーのイメージを持っているのであるから、その世界を生きてきた人間たちが神様のようになろうとしたとき、最初に思いついたのが、コンピューターを発明することだったのは、ちっとも不思議ではない。
ところが、アメリカ先住民の戦士やサムライの祖先を生んできた、環太平洋圏を生きてきた人間たちは、世界の創造をそんなふうには考えてこなかった。プログラマーは世界を創造するのに手を汚さない。ところが私たちの世界では、世界を創造した神様も動物も、みんな自分の手を汚し、体中ずぶぬれになって、ようやくこの世界をつくりあげたのだ。頭の中に描いた世界を現実化するのが、一神教のスマートなやり方だとすると、からだごと宇宙の底に潜ってゆき、そこでつかんだなにかとても大切なものを材料にして、粘土をこねるようにしてこの世界をつくるという、かっこうの悪いやり方を選んだのが、私たちの世界だった。中沢新一/アースダイバーより この意見では、環太平洋圏のサムライやインデアンにはプログラミングできそうにない。残念!! 自転車でサイクリングには古道が一番だ。車がすくないということは、信号もすくない。車は速く走りたいから、多少の勾配よりも直線を選択する。人力の自転車はこれにはこまってしまう。古道は高低差をできるだけ少なくし、ゆるやかな勾配を持っている。それはこの道は牛馬の道でもあるから。 そう信じてきた。が、大阪を走り始めて、どうも様相がちがってきている。 これは大阪の古代、平安時代ごろの道の地図だ。 いまの大阪城の東の天神通りを北上し、新大阪駅の東をぬけて、吹田の垂水神社へ、古代には橋が直線に架かっていた。その長さ4km、といっても、淀川がつくった河口の砂州の島々を結ぶ橋の総称ともいわれる。長柄橋といって、812年架橋の記録がある。 「摂津名所絵図」より 「長柄橋は孝徳帝豊崎宮の御時より、かの島々に掛けわたして、皇居への通路なり。今諺に云う、長柄橋は長さ壱里ありしと、いい伝えたり。一橋の名にあらずして、島より島へわたして橋のおおくあれども、地名によりてみな長柄橋といひならわしけれ。委・スエは名柄豊崎橋なるべし。古来よりも今の北長柄より豊島郡垂水庄にいたるまでを、長柄の橋跡といふ。」 大阪からみる垂水の神社あたりは、千里丘陵の南端で、神社の北に45mほどの尾根がある。いまはこの尾根の北側はびっしりと住宅がつまっているが、古代ここに大きな滝があって、ちょうどギアナ高地のエンジェルフォールのように、一筋の白い流れがみえたのでは?なんて想像する。「難波の柏の渡りのあらぶる神々の鎮座するところ」といわれた八十島のあったところに、直道をつけなければならないことは、よほどのナニカがあったのだろうから。ここに柴島とかいてクニシマとゆう町があって、そこの鎮守の柴島神社には1232年にこのあたりが水害にあって、この神社のある場所がわずかに高く、人々の避難所であったとき、小さな祠が柴の束にのって漂着した。水がひいて大きな土地があらわれた。そこでその場所を柴島となずけ、クニシマと呼んだという。 今の柴島には垂水神社へむかう直道はない。とっくの昔に水害でながされただろう。それでも、痕跡だとT14年の地図からさがした古道をトレースした。 樟の大木や神社があったりして、関係ないのに関連づけて、喜んでいた。 垂水の町にはいると、神社手前に地図が掲示されている。そこに不思議な通りの名が記載されていた。 その訳はそばに石碑が鎮座して、説明がしてある。 畷は先日、久我畷を走ったとき、紐でつくったメジャーだといったが、湿地で道が出来ない場所に土を固めたレンガのようなものをしきつめる工法だという。四条畷市も湿地帯に古街道が南北にあって、その湿地帯を一直線に約2kmほど伸びている。それがあっての「畷」なのだろうか。 ここにその「畷」の地名が残るのは、ここが湿地であって、その上に、どうしても道を作ったから、なんて想像できないかな?できるでしょ! 「自分の頭にあった計画を、実行にうつしたのがこの神様」も、どうやらこの国にいたらしいと、中沢先生おもいませんか?私以外みなさんプログラミングやってらっしゃる、ように見えるのは、わたしの劣等感だけでしょうか。 でも、プログラミングでは自転車動かないのですよね。「からだごと宇宙の底に潜ってゆき」ますよね、自転車って。
by forumhiroshima
| 2011-03-20 20:15
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