こひちろうの独り言 |
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地図の中の古道らしきもので長い直線とか、四角形とが、人工的な道をみつけると、どうしても走ってみたくなる。ただし、地図の縮尺は実際にはとても大きくて、その直線的な形をとらえることはみつかしい。見通しのきく直線の景色のであったりして、想像、いや妄想に落ち込むことになる。
難波宮から有馬への道が、尼崎の昆陽寺のそばを抜けて北西に伸びていたという歴史学者の見解のなかに、この寺を三角形に囲む直線の古代道があるともかかれている。さあ、妄想の時間だ。 有馬道、と加茂道に西国街道がつくるトライアングル。有馬道がこの国最初の官製国道の設計だとして、西国街道は駅舎が設置されるもうすこし後の時代で、これも設計は直線であった痕跡があるという。いまの西国街道は豊臣秀吉の朝鮮遠征の際に整備された「唐道」だというから、時代はずっと新しい。が、寺の前に石畳のひろい古道があって、唐道・西国街道とはちがっていて、「なにか!」がそこにあるようだ。 加茂道は北西にすすんで、川西市の鴨神社へ吸い込まれる。この間に自衛隊の駐屯地が横たわっていて、直線の道を分断している。 直線で囲まれたもの、三角、四角、五画、六角・・・・直線が交叉するもの十字、は不思議な印象を送ってくる。それが古道で、その時代も古代であるとすれば、なおさらだ。古代の幾何学てき存在って、引き込まれる。 地図上での想像を実際に実行するとなると、とくにその痕跡がとぎれとぎれである場合は、どう走っていても、正しいと思い込んでしまう。そして、また降り出しへ帰らなきゃいけない。JPSがあるのじゃないか!と。でもそれって古代の設計を最新技術でなぞってみても、その正確さのギャップを感じるだろうし、道をリサートする判断力をうしなってしまって、機械だよりって自転車のりらしくない。自力進行。 案の定、昆陽寺からの北上は試行錯誤で、あきらめて、加茂社、いまは鴨神社から南下に変更。神社の鳥居からそれなりの直線で参道が延びている。 この神社は標高40mの丘に鎮座しており、この丘には石器時代からの遺跡がかさなって発掘されているのだそうだ。このあたりの中心地であり、聖地であったことのようだ。 参道にならぶ民家は、そんな長い時間をここに保持されているのだろうか?なんて、キョロキョロしてみる。 振り返ってみても。マンションや民家に遮られて、この丘がみわたせることはない。そこで、すこし東へ移動してみた。中国道をこえる陸橋ちかくから、丘にひろがる鎮守の森がみえた。この丘を目指して直線にのびてきた参道のランドマークだったのか? 昆陽寺そばに南北朝時代に殺された幕府の武将・高師直の記事が「太平記」にあって、ここに堤があったと記されていると、その墓標に書かれている。 ここに武庫川の船着場でもあったのか、そこからの参道か、と、知ってる限りの情報をつないで妄想の時間に浸ってみた。
by forumhiroshima
| 2011-03-26 12:49
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