こひちろうの独り言 |
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西宮に暮らし始めて、もう1年。いろいろ走ってみたけど、ここが畿内、つまり王城から1000里やく60kmのなかにあるってことが、中国地方との一番の違いだと思った。
どこも云われがある、二千年の歴史を持っていて、それだけに、どこも歴史に形作られた景観だと、思い知らされている。人力の及ばざるところナシ。すこし、うっとおしい。 その王権のおよぼす地域を大化の改新646年にこのように規定している。 この大化の改新のとき、その王城は難波宮にあったことになる。そして古代幹線は西へは、有馬(有間)へ向かっている。 有馬へ宝塚からは船坂へ5kmほどの峠道を向かって、そこから尾根をこして温泉へと登る。船坂への登りは車も少なくて、へばっても、車の運転手さんから冷たい視線とジャマ!って空気を浴びなくてすむ、お気に入りのパスハンになってる。これは631年舒名天皇が有馬へいっている記録があるから、このルートが古代幹線ルートになるのだろう。 有馬温泉のメイン交差点の神戸電鉄有馬温泉駅から西の、カタ越峠をこすと、唐櫃・カラトからちいさな古々山峠へ。大新興住宅地の中を志染川ぞいに下ってゆく。このまま川沿いに走ればダム湖をすぎて三木市へ。ダム手前から峠へとりついた。 これが古代幹線かどうかはわからないのだけど、この峠をぬけると押部谷という明石川上流の広い谷へでる。 畿内を政令できめたとき、その畿外との境で、いまの地形に比定されてないのが、明石の櫛淵。ウイケディアでも櫛淵は明石の海岸がリアス式の櫛の歯のようだから、櫛淵が明石の海際にあるといっている。しかし、ここに掲載した畿内の地図を推定した木下良という先生は、「当時の山陽道は海岸線沿いでなく、有馬温泉を経由するルートであり、赤石の櫛淵は現在の神戸市西区押部谷町細田の明石川に奇淵または櫛淵と呼ばれた場所があり」そこに比定している。 このことから、有馬温泉をぬけて、明石へと、このルートを走った。明石川一帯は5世紀ごろは赤石郡とよばれ、その後7世紀中葉から明石郡と美嚢郡とに別れているらしい。だから畿内の西端がここにあるのでは。だったら確認でしょうね。 もう一つ、兵庫県立考古博物館が、古代山陽道を発掘されている。H23/3.6に古代山陽道の駅家の邑美駅家の説明会がネットに発表されていた。 この図の右下に破線で古代ルートが記載されてる。海岸にそってるのか、山越えなのか?。 その合流地点から西については、かなりの発掘調査がすすんでいるようだ。 もう一つ明石川の中流域の櫛淵あたりといわれる細田の山億に近衛寺がある。この寺は、7世紀中ごろ近江の国琵琶湖のそばに、光り輝く一本の桜があった。これを霊木だからこれを刻んで観音像をつくり安置しようと播磨の国へ送ろうとしたら、木は空を飛んでこの押部についた。安置する場所をさがしていると、ひとりの老人があらわれ、安置する場所に案内し、わたしはスサノオである。仏を守護してやるといって消えた。その場所にできたのが近江寺だという。キンコウジと呼ぶらしい。畿内の東の合坂山は琵琶湖のほとりにあって、この話はどこか畿内を国の羅列でなく道の端としてきめたことと、なんだか共通するように思えた。 近江寺は、広い境内とたくさんの石仏、点在するお堂、古木の巨木、苔むした石垣。 明石川の河畔に住吉神社を見つけた。川にガンギがつくられて、船付き場のようだ。 そこに神社の説明があって、やぶれている場所にここが奇淵だとあった。 いやはや、木下良という先生、しっかり現地調査されてる。ぼくも確認しました。ここが古代の畿内の西端なのでしょう。ここが、です。
by forumhiroshima
| 2011-04-02 16:17
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