こひちろうの独り言 |
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畿内の西端の谷へ走っている。有馬の温泉街から一つ峠を越すと、明石川の流域と加古川の流域の谷が西にのびてて、川の流れは西へむかう。有馬からの流れは武庫川に入っていて、一度流れが北上するから、流域の違いが西への流れと鮮明なのだけど、明石と加古川の流域に古代の摂津と播磨の国境があったとなっているが、国境という境界線が判りにくい。
![]() 谷は低い尾根に区切られていても、その尾根もすっかり開拓されて、とても広い空を広げている。ときどき強い南風がふきぬける。春がぶつかってくる。春は野を走るしかない! ![]() ![]() ![]() 淡河の谷には古代ここが湖であったという伝承もある。谷の出口に大きな森の神社が鎮座して、そこを神様が蹴破って水を流し、耕作地へと替えた、と。その神社から登ると新しいダムが出来ている。歴史は繰り返す?。この高度のある水面からの採水のちからが尾根の上まで灌漑できるのだろう。 そのダムの建設により移転移築された「千年家」がある。千年とはいけないが700年以上の民家で日本最古の民家建築だとあった。この国造りの最は、にイザナミ、イザナギの神様によってできたのが淡路島、この谷が淡河、なんで、なんて? ![]() この谷間の家々も、この「千年家」と変わらないようなつくりだ。 ![]() 谷間が西に延びて平野にひろがる場所に三木市がある。ここに「旧小河家別邸」という文化財がたまたま公開されていた。大正の建築が、「千年家」の屋根と同じだった。 ![]() 三木市の戎神社の絵馬に、えべっさんが鯛を釣るものがあって、それはこの三木が金物造りの中心地で、大工道具ばかりか、釣針もここから作られたということからの図柄で、えべっさんのトレードマークになったという。神社は建替えられて、戦後の混乱期に神社自体が排斥されることがあって、そのあたりに、その絵馬は失われたのだろうと、いわれる。神社にはその代わりかどうか?新しい絵馬が一つだけかけてあった。 ![]() 三木市のお城跡の高台に三木市立金物資料館がある。その玄関に文部省唱歌「村の鍛冶屋」に記念碑があって、いきなり歌いだしたのにはビックリ。その資料館のパンフレットに「播州金物の発祥には、在来の倭鍛冶の系統と、新しく大陸から渡来した韓鍛冶の系統とが合流して・・」とある。 ![]() 天皇の後継となったオケ、ヲケの兄弟の伝承が押部と志染の谷にあることを書いたが、兄弟が働いた忍海部造細目・オシミベノミヤッコホソメの一族は、神功皇后が朝鮮半島の新羅に遠征したとき、俘人・トリコになって奈良へ連れてこられたという。この一族から東大寺建設のときの大仏鋳造の責任者がでている。その一族がここに移住してその谷の名が忍海部かた押部となったのだと。その谷は古代大和朝廷の屯倉、つまり領地とされ、鉄製品を朝廷に納める仕事だったと。 きっとこの鉄の職人たちは、明石の海の鯛の味にとりこになって、すばらしい釣針をつくってのだろう。この谷に桜鯛が生きたまま明石の漁師たちから運ばれたにちがいない。鯛茶漬け、くいたい!
by forumhiroshima
| 2011-04-18 11:46
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