三木市街地は、しっぶい。見たこと無いけど、大正って時代の景色がそこかしこ?と。

酒蔵の杉玉もブラリブラリと風にゆれてる。パンフレットも「街道をゆく」

このパンフは旧市街から川を渡った旧道のちいさな店の軒先でヒラヒラしていた。ギャラリー湯ノ山みち。おじいさんが奥の民家から覗かれた。パンフいただきます!そこに名前書いておいて!
あのー、湯ノ山みちって。昔の有間郡湯ノ山がいまの有馬温泉で、そこへの街道の名、だそうです。
手招きされてギャラリーの奥に。そこには三木市の旧街道の仔細な地図がずらり。このギャラリーのある湯ノ山みち沿いの民家の名もすべて江戸時代のものは判別されていると、話される。本能寺の変の際に秀吉はこの道を駆け、尼崎そして山崎の天王山へ。兵たちがここを走った日時もバッチリ、おさえて、「ここが攝津と播磨の国境よ」

あれ?明石川の上流の押部谷じゃ?。ここはおとなしく聞いてた。このおじいさんは、きっと学校の歴史の先生だった、のじゃないかな。だったら、話ながくなってしまいそう。帰りの時間と、この脚力がテンビンにかかって、時間のお皿がふーっと降りてくる。
帰宅して、すこし調べると、この湯ノ山みちがとおる淡河は加古川水系だが、摂津だったらしい。古代に湖だったから、かな?
おまえは自転車だよな、だったらそこの坂道は押したのか?失礼な!!乗りましたよ。だったら気付かないだろうな。あそこはバテレン寺なんじゃよ。ここが攝津との国境なら、バテレン大名高山右近もここまで。ばかやろう、ここまできとらん。寺の境内に十字架の紋の石造がたっとる、顔は削られてしまってるが。それが、証拠じゃよ。
ギャラリーのパンフには、そんなことちっとも載ってないけど。わしの新説じゃ。
すぐに見に行きます!!と、脱出。お寺へ。

ギャラリーの前をとおると、おじいさん先生は見えなかった。関所をぬけられた。時間あったら杉玉の酒屋の酒一升持参で、訊ねたいね。こんなじいさんに、オレきっとなるだろうな。こんなとき自転車、じゃやま(すこしだけだけど)。