こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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竹内街道

自転車で、はしってると、ほとんど車輪の前の路面だけをみてる。その路面にいろいろな表情を見つけたりする。ふと、この道はどうして、ここに造られたのか?と、おもったりするとき、この国で最初に造られたという、できれば、走っておきたいと思った道のことを思い出した。その道は獣道を人がたどって、踏み固められた道ではなくて、人為的につくられた「古代国道」のことだ。

司馬遼太郎さんが幼児期におかあさんの実家のあった奈良の南西部の大和、葛城山の山麓の竹内に、難波からの古代の幹線道路、竹内街道が通過していて、その様子を「街道を行く/竹内街道」の中で話している。その中に「村の中を、車一台がやっと通れるほどの道が坂をなして走っていて、いまもその道は尾長という山麓の村から竹内村までは路幅も変わらず、依然として無舗装であり、路相はおそらく太古以来かわっていまい。それが竹内街道であり、もし文化庁にその気があって道路をも文化財指定の対象にするなら、長尾ー竹内間のほんの数丁の間は日本唯一の国宝に指定されるべきであろう。司馬遼太郎/街道をゆく・竹内街道」

この司馬遼太郎認定の国宝「道」はまだ走っていない。今の住居から奈良はすこし遠い。が、この大阪平野を縦横のはしっている電車の助けをかりて袋詰めに自転車をして同行させるのは、36年もののスコッチウイスキーを水割りで飲むようで、わるかないけど・・・したくない。が、自力で帰れるか?がまだ問題なのだ。(※おごりなら、スコッチも水割りでゴツァンです)

竹内街道が竹内とよばれるのは江戸期で、古代には「丹比道」って名であったらしい。日本書紀に、仁徳天皇の時代に「大道を京の中に作る。南の門より直に指して、丹比邑に至る」とあって仁徳天皇によってつくられた最初の難波京の朱雀大路をさすことといわれる。この道は発掘されている。道幅が18mもある大道で、難波大道と呼ばれる。
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この大道に連結して作られたとおもわれる大道が、下って推古天皇の時代613年に「難波より京に至るまでに大道を置く」と日本書紀に述べられます。この「京」はここでは奈良の飛鳥。この道が竹内街道(丹比道)だろうかと。
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この交差点が堺市の金岡にある金岡神社ではないか?といわれる。
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古代の大道はとてつもない幅の道で二十数メートルもあったと想像されて、また「直」道つまり直線で設計される。となると、この竹内街道も直線であったのでは・なんて考える人が当然ある。
いまの竹内街道はやっと二車線幅で、たしかに東西の大きな幅のなかにあるが、直線ではない。古代の丹比道を想像すると、どうなるか?

難波宮大極殿は東経E135.31.23、金岡神社がE135.31.13(金岡神社に東の地名が大道)で、今の大阪市住吉区と東住吉区の境界線、大和川の南にある堺市と松原市の境界線は南北に一直線につながっていて、このラインはE135.31.20。これが難波大道の痕跡で発掘された大道もここにある。
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では東西は?金岡神社の東になる古代の寺院/野中寺旧伽藍が北緯N34.33.35。
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金岡神社N34.33.34。このラインは西へ伸びると仁徳天皇陵の一番南端N34.33.33.東へ伸びると応神天皇陵の南端の誉田八幡宮のN34.33.34。まじ一直線。ここに大道の設計がある??。
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古代の設計図をいま確認できるのは、鳥しかいないだろう。町並みをはしり、ちいさなコーナーでふらついて走っていては、とてもこのスケールを実感どころか、想像もできない。が、目の前の道は、どこか「古代設計」なんだよな。
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余談ですが、誉田八幡神社の手水鉢の柄杓に「吹石 一恵」とありました。奉納者の名の記載は珍しいなと、みてたら。もしや、あのNHKドラマ「フルスイング」の剣道の先生の!。
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野球のプロがサポートにまわって、草ぼうぼうのグランドをサブグランドにつくる場面は、およばずですが、もみのきの草ぼうぼうのサイクリングロードの草刈とオーバーラップして、いれこんでました。おもいだしました。ってことで、吹石さんのプロフィールをみると、丹比道、東西設計ラインが東の二上山へぶつかる西の山麓の香芝市の出身とあって、やはり、そうかな?。フルスイング、いいですよね。フルスイング!!スコッチ、いいですよね。スコッチ!
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by forumhiroshima | 2011-07-20 11:05
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