こひちろうの独り言 |
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もみのきのレースの準備をしていた早朝、トップから下りヘヤピンをぬけたところで、強い視線を感じた。歩いての作業で立ち止まると、おおきな羽がゆっくり羽ばたいて、フワーと1.5mもあろうかという翼で飛び立った。ノスリという鷹だときいた。この谷に定住しているらしい。であったのは一羽、つがいでいるのだろうか。
この森の食物連鎖の頂点にこの鷹がいるってことは、この森の豊かさだろう。この鳥にむかってこの森の食料となる生物がむかってゆく。この列島の人もおなじく食物連鎖の頂点にいて、食料として生物が集まってくる。放射能の汚染はどうしようもなく集まってくる。ふと、そんな気分につつまれたけど、この森でいっぱい空気吸い込めば、生きて戦う気力もわいてくるにちがいなかろう。森の空気はそれを助けてくれるだろう。酸素は汚染されない。自転車はその空気いっぱい集めるヤツが必ず速い! 大阪、四天王寺に「寺に異相あるとき、鷹来たり。あるいは、御塔上、あるいは金堂上に居り、あるいは講堂の長押に夜な夜な宿すという。これ言語道断不思議の勝事なり。寺住の人、一度に非ず、二度ならず、悉くこれを見るという。聖徳太子伝暦」 金堂の東の屋根の下にこの鷹のとまる止まり木が作ってある。その正面に太子殿があって、そこへ入る西門のうえにネコの彫刻がある。このネコいつも夜遊びで昼間眠っているという。先日訪れた際には鷹はいなかったし、ネコも寝ていた。これほどの緊張した時間の日々でも、どうも、まだまだお出ましではないようだ。 6~7世紀の奈良に藤原京がつくられたころ、その宮殿や飛鳥に斑鳩の里から聖徳太子が通った道「太子道」がいまにあるときいて、走りに。 「斑鳩から飛鳥までは直線にして16km、太子はこの道のりを騎馬で通ったようだ。騎馬の並足で2時間あまり、速足をくわえると1時間半ほどの行程だろう。推古6年(598)太子は広く良馬をもとめた。数百騎の中から甲斐の国の献上馬・黒駒という足の白い馬をえらび、寵愛した。太子はこの馬とともに3日で甲斐の国を往復したという。道・武部健一」 太子道のそばにこの表示があった。 太子道はいたって普通に道だった。 聖徳太子は存在していなかった!という学者はたくさんおられるようだ。近年の論評では大山誠一 さんが注目されている。「聖徳太子と日本人」ってのをかじってみたが、文献批判というえらく複雑な手法なもんで、むつかしいし・・・。ゼッタイに太子は虚像だといっていること、は判った。だけど、ですが、 四天王寺 そして斑鳩の里の法隆寺 これが、日本です!1500年以上ここにあります。がんばれ!日本! ですよね。 大阪はもっと濃い聖徳太子の町。河内には河内三太子ってお寺がある。 四天王寺の東南に下之太子・大聖勝軍寺 この南に野中寺。ここの半島移入の石人像。中之太子。 太子の墓所の叡福寺。野中寺の東。近し飛鳥(河内飛鳥)の隣の太子町にある。ここには太子とともに母と妻も合祀されている。ここが上之太子。 山門の神像はうつくしかった。 どこも、どこも凛として、そこにあった。うらうらと、自転車でたどり着いてみて、太子はそこにある、と。
by forumhiroshima
| 2011-08-09 09:54
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