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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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空気販売機

 堺の町には自転車関連の工場がたくさんあった。いまは幾つかのメーカーのみ。
町並みに自転車店をみつけた。店頭にきっと自分の記憶では初期の店頭での自転車への空気をいれるコンプレサーでコインをいれると動き出すもの、が赤いペイントで鎮座していた。前田、吉貝、杉野など漢字表記だった自転車関連のいまは存在しないメーカーの人々が浮かんできた。おかしな人がおおかった。自動車免許の更新をせずに自転車にしましたよ、ワハッハ、ってぐらいで収まらず、自転車置き場がなくなったから、建て増ししましたよ、ワッハッハなんて。自転車乗って、直せて、そして部品あつめて、それではじめて、自転車の営業って顔だ、ということでもあった。
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「堺」は境のことで、てっきり大和川が大阪との境だから、とおもっていた。境はその存在がどちらにつくかというあいまいさで、おかしな人種があつまって、新しい文化ができる場所だという。自転車やってみようか!と明治時代に思った人たちは、その昔、火縄銃をつくった人たちの血統濃い後継者だったのだろう。そのぶん、おかしい?人がごろごろ、いた。

堺には南海の東堺駅とJRの堺市駅とがあって、堺って駅名はない。その二つの駅の中間に方違神社が古墳のそばにある。
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その辺りを三国と呼ぶ。この名は、摂津-河内-和泉の国の接点のことだそうで、それがあって「堺」だとしった。それを教えてくれた表示が神社前にある。
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説明にはおまじないのような事だとあるが、この神社と古墳は和歌山へむかう熊野古道と、大和へむかう大津道との交差点で、ここが方向転換の場所だと、おもった。巻寿司を食べる方向を恵方なんてはじまったおかしな占いと同じじゃない。大津道は正確に東西に走っていて、それもほとんど直線だ。ただし地図での直線で、走るとそうなか?って程だけど。
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古代(飛鳥時代)の大和・河内の古道の推定地図
空気販売機_d0089494_9571056.jpg


「わが国の古代幹線道路は、平野を通過する区間では、アッピラ街道やフラミニア街道で代表される古代ローマの諸街道と同じように、測量に基づく直線の大道として建設されたのだという考えが芽生えます。京都大学の岸俊男氏は日本書紀にみえる壬申の乱の記事の大和の上ツ道、中ツ道、下ツ道の三つの道が、当時の距離で正確に四里(2120m)の間隔をもって並行に南北走する大道として作られたものであること、大阪平野の南部を東西方向に並行走する長尾街道と竹内街道も、壬申の乱の記事にみえる大津道、丹比道にあたるもので、しかも計画性をもった直線の大道であったことなどを、はじめて明確にせつめいした。足立健亮/景観から歴史を読む」

この方違神社はこの大道の設計の標識のあった場所ってことなんだろう、と妄想している。竹内街道も二つの古墳の南端をつないで正確に東西のラインとなっている。大道は幅が十数mとされる。それに古墳だ。この時代に古墳だ、道路だと動員された人々と、福島の原発の現場で働いている人とがだぶった。

直線の道といっても、述べたようにウネウネとしながら直線って感じだ。勾配もほとんど感じない。道は車の離合には気を使うほどの幅で、おかげで、事故の可能性はひくい。だから自転車がバンバン走っている。きっとオランダにまけてないよ。
でも、どこか威圧感というか、人為的な作為というか、すなおな風は流れてこない。どこか、上から目線ってういのかな。そんな街道。


この暑いさなかに、街中の風向きのよくない道を走るって、だから、自転車乗りなんだろうか?と、イヤだな。
もうこうなったら、大和の盆地にドカンと、それも平行に設計されて、それも、いま1500年後に、走れるのだから、いっくかナイ、カイ。天平の甍ならぬ、天平の道、なんだよな。でも、遠いし、暑いし。

店頭の赤い空気販売機は近寄ると、コトゴトブーン、って歌っていた。まだ生きてるよ。オレだって。
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by forumhiroshima | 2011-08-10 10:25
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