こひちろうの独り言 |
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「中宮寺界隈の小さな村落を過ぎて北へ二丁ほど歩いてゆくと、広々とした田畑が開け始める。法隆寺の北裏に連なる丘陵を背にして、遥かに三笠山の麓にいたる、いにしえの平城京をふくめた大和平野の一端が展望される。大和国原という言葉のもつ豊かな感じは、この辺りまで来てはじめて実感されるように思う。大和古寺風物詩/亀井勝一郎」
![]() 入江泰吉(昭和の奈良大和路) 亀井の風物詩は昭和17年に書かれている。入江の写真は昭和20年代とある。 続いて「風物詩」から 「夢殿や中宮寺へまいる折は、私はいつもここまで来て春秋の景色を眺める。平原の豊かさもいいが、しかし法隆寺の北裏から東方へきれぎれに連なる丘陵の側も、また別の趣があって捨てがたい。丘陵の間には白壁の映ゆる古風な民家が点在し、それをめぐってちいさな森が点在している。法輪寺と法起寺の三重の塔がその森のあいだに望見される。大和国原を右手に眺めつつ、この丘陵の間をつたわって、次第に平城京址へ近づいて行く途中の風光は実に和やかで美しい。法隆寺から夢殿へ、それから中宮寺を巡って法輪寺へ、法起寺を過ぎて慈光院に至り、石川の茶室でお茶をご馳走になってから小泉の駅へでる道は、西ノ京から薬師寺と唐招提寺へ行く道とともに、私の最も好ましく思ったところである。しばしば法輪寺を訪れるようになったのも、ひとつにはこうした道筋の美しさのためであるらしい。法隆寺に群がる参詣人たちも、中宮寺を過ぎると全く途絶えて、ここばかりは斑鳩の址にふさわしくひっそりと静まり返っている。」 大正14年のこのあたりの地図 ![]() 現在の地図 ![]() 入江泰吉の写真から ![]() この景色は昭和20年代後半とあるから、亀井の風物詩にある景色にちかいのでは?この写真を写した場所をさがしてみた。ゴルフ場になってしまった丘陵の先端に辺りと、登ってみたが夏草で遠望がきかない。まわってそばの池の堰堤から ![]() 風物詩が書く斑鳩3塔を一点で眺めることができる場所もうろうろ探してみたが、家々の間にチラチラとみえる塔をまとめて一挙に、なんて場所は見つからなかった。 法隆寺の塔 ![]() 法輪寺の山門 入江泰吉の写真(昭和20年代) ![]() 現在 ![]() 亀井がこの「風物詩」を書いた昭和17年ごろの法輪寺は荒廃していたとある。「法輪寺の御堂をみてまわると、・・気力をうしなたごとく惨敗の姿である。案内の寺僧に問うと「いづれなんとかしなくてはなるまいと思っては居りますけれども、どうも・・・」という返事であった。・・しかし、私のひそかな願いは、この寺はこのままで静かに荒廃して行ってほしいということである。・・荒廃して廃寺となることはまあるまいが、・・・」 「荒廃に対するこうした思いは、感傷にちがいないが、しかし古寺を巡る最初の心はこれを経なければならぬのではなかろうか。完備された美術館や仏閣でみる仏像をみるのは、初心にとって邪道であろう。・・・・法隆寺に参るたびに、年々この寺が見世物式に整備され、もったいぶっている様を眺め、またそれゆえについに安易な気持ちで見物しがちな自分を省みて、私はことさら法輪寺の貧しい荒廃を慕うのである。」 法輪寺の三重塔はこの風物詩の書かれた昭和17年のすぐあとに落雷で焼失した。住職二代の悲願達成のための浄財集めと、文学者・幸田文の協力によって、宮大工・西岡常一によって昭和50年落慶している。 のみ跡もくっきりとしたエンタシスの柱が白壁にうまって、歳月のフィルターをそぎとった飛鳥の時が再現されているようだ。 ![]() 法起寺を遠望したゴルフ場のなかの緑の木陰からでると、くらっとするほど「暑い!」盆地だからか、また開発されつくしてきた大和国原は木陰もない。「風物詩」にある慈光院の庭園なら涼しかろうと。が、拝観料1000円に足が止まった。法隆寺も1000円でパス、法輪寺も法起寺もパスしてきた。自転車置き場がないから、なんていって。でも、打ち水のしてある石畳と木陰に引かれて拝観場所へ。お茶と菓子が出された。あとからこられた参拝の方がすこしオシャベリ。オレじゃないよ。で、はなれた本堂の陰の柱によりかかって、風にふかれてウトウトしてると、しずかにそばの石に打ち水してもらっていた。戦前からおなじサービスなんだと、亀井先生が立ち寄った庭をボーと見ていた。 ![]()
by forumhiroshima
| 2011-08-18 11:27
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