こひちろうの独り言 |
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東大で入学が秋に変更されることを考えていつことが報道されている。世界の215ケ国が9月始業で、日本はのこる7ケ国に入っているという。そういった数字の問題じゃなくて、アメリカが9月だから、それに準じることがグローバルだということだろう。
東大でも東大寺では(これって、けっこううまい?)二月堂でのお水取り、修二会は陰暦の二月、陽暦三月に行なわれる。正月で行なわれると修正会で、二月だから修二会だともいうが、それだと旧暦の二月に行なわれることがわからない。正月に行なえばいいはず。 司馬遼太郎の街道をゆくの奈良散歩で、「インドの年始はシナ・日本の二月にあたるので、シナ流に一月におこなう修正会をインドの模して行なった。と、伝えられる」と書かれる。「正月をインド暦のほうにあわせたあたり、修二会がはじまった時代、バラモン僧正センナがこの奈良に住んでいたことと、無縁ではあるまいと思われたりする。」 奈良時代もグローバルな時代であったと、いうことだろう、か。 このお水取りをはじめた実忠というお坊さんは、東大寺創建の雑務一般を「当時の律令官僚などは自分の人事は気にしても、身を挺して仕事をするという感覚には乏しく、」(と司馬さんが書いてるけど、今とおなじ・・・・、)こなした事務局長であったという。とにかく忙しい人だっだようだ。この実忠さんがある日、東大寺の建設が始まるころのことだけど、東大寺の建設場所から東へ、いまの春日山山塊をぬけて、木津川そのころは泉川とよばれたその河畔にそびえる笠置山の千手窟に入り、そこから一里ほどばかりゆくうちに、兜率天(トソツテン)の光あふれる中にでた。そこは弥勒菩薩の浄土であったという。そこで行なわれていた修行がすすむうちに観世音菩薩があらわれた。このことに実忠はおどろき、この行法を下界に持ち帰りたいと、その修行者に相談すると、それは無理で、下界での400年がここ兜率天では1日にあたる。人間世界でやれば数百年かかるから。といわれ、それはここの行法の動作がゆるやかで、「千べんの行法といえども、下界でそれをやるとき、走りさえすれば、数をみたすことができる。誠をつくしてやれば、観音もまた現出してくださいます」とやりとりし、すでにあった二月堂で始めた行法が修二会だという。走りさえすれば、観音が出現する。そのために、いそがしく修行僧たちは堂内を走り回る。 走る、ことに行法を見出した実忠さんに、どこかアスリートって言葉が自分に出現した。 この実忠さんを「東大寺建設の総責任者の良弁の一の弟子で、・・彼はバラモン僧正や菩提センナとともに、印度から渡来したともいわれ、一説には新羅(朝鮮半島)の僧であったともいわれる。自筆の署名を見ると、妙に曲がりくねった字で、漢字に馴れていないようなのは、或いは印度人であったかも知れない。白州正子」「彼にはこういう逸話もあった。或る時、光明皇后が、東大寺の地蔵菩薩を拝され、こんなにうつくしい紗門(お坊さん)がいたらあって見たいとおおせになったとき、宮人が実忠法師こそこの像よりひときわ優れて美しいとおしえた。皇后は彼を招き、風呂にいれ、ひそかに裸の姿をみて、恋慕の情を起した。白州正子」 実忠さん、なんだか今の韓流スターのようだ。 大スターですごい実務家で、なおかつ、アスリートっぽい実忠さんの行動を、なぞってみたくなった。まず、東大寺の二月堂から木津川河畔の笠置山へ、いってみよう。 東大寺の南に春日大社のもりをぬけて、東海道自然歩道へ。柳生街道という古道で江戸時代に整備された石畳の道が春日山原始林の中に続いている。ここどこかと、同じ!としばし立ち止まる。自転車は単に邪魔者か、杖がわりでしかない。止まると杖だ。どこだったっけ?なんだ!そうだ!安芸の宮島の原始林と似てる。春日大社と厳島神社のあかい建築が、その情景をダブらせるのかもしれない。下草のない巨木が点在する森の地面はもみじの落ち葉で褐色にひろがって、そのなかに緑の馬酔木が点在する。宮島です。 なんだか、うれしくなって、靴のクリートが石畳と喧嘩するのも、しかたないと受け止められる。夕陽、朝日の磨崖仏や石窟仏もおおきな地蔵像も、観音様の代わりにか、出現されてくる。地獄谷は古代埋葬地というより、風葬や鳥葬の場所だというが、石窟に阿弥陀様がおられる。こんな場所では三途の川の渡り賃の六文銭代わりに、60円をお供えしておく。阿弥陀様、僕の顔わすれないで、そのときにはよろしく。 石畳の道がとぎれ、舗装路にかわるとそこに「峠の茶屋」があった。観光シーズンには営業されているようで、近鉄のハイキンギマップに案内があった。ここから細い舗装道。山村が冬の景色に沈んでいる。数軒の家があつまった誓多林/セタリン、登り返してであう小さな集落、大慈仙/ダイジセンの名は印度の釈迦の聖跡からとその案内にあった。実忠さん、韓流でなくて、印度人なんかな?この景色故郷の景色だったのだろうか。ここ似てましたか?実忠さん。 茶屋のある峠が石切峠だそうで、「アレ!」生駒の西山麓の石切の集落や暗峠の峠茶屋が浮かんでくる。にてるよ。!どこかでみた景色が重なってくる日だ。 アンダーシャツはびっしょりになって、十年以上つかってるアンダーはこのぐらいが限界で、だんだん寒くなってきたりする。って言い訳をつくって、笠置の山への道をすてて奈良公園と表示されている国道へのった。いやに、やけに下ってくれる。寒いよ!。と前方に五重塔。そのそばに大屋根の大仏殿がみえる。春日山塊を一周したようだ。大屋根と塔が、よくしってる景色に見える。どこかであった景色のその三。えらくハラへった。
by forumhiroshima
| 2012-01-20 10:30
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