こひちろうの独り言 |
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3月13日東大寺・二月堂の目の前の格子の向う、お堂の中で大きな松明が燃え盛る。格子越しにだした手のひらに冷たい水がそそがれて、いそいでこぼさぬように、口へ持っていった。“冷たい”。
3月12日に二月堂の前にある閼伽井屋の中の若狭井から汲む水の行法が、クライマックスとされ、お水取りといわれる。 修行僧の朝の休憩の景色です。おつかれさま。 「言い伝えによると、昔々、岩盤が割れて白と黒の鵜が飛びだし、そこから水が湧き出した。それが若狭の鵜の瀬からきた水だそうです。坂本龍一/縄文聖地巡礼」「若狭・遠敷川に面した岩の上で、・・和上は、たぶん「奈良へ水を送ります。」といっているのであろう。祭文を読み終えると、それを川に流す。奈良へ流れ着くには一年かかるということだが。気の長い話である。 白州正子/若狭のお水おくり」「地下水の流れは非常に遅く、浅い地下水でも一日1m、深い地下水ともなれば年に1mの速度であり、降水が地下に浸透してから再び地表へ湧き出してくるその周期は、三百年、五百年とみられている。それゆえ私たちの使う水には、江戸時代の水も混ざっている。 富山和子/水の文化史」 3月12日にまわりのシキミ?が交換される。 若狭と奈良との地下水の関係は東大寺の若狭井だけではないようだ。「西鶴の“水の抜け道”という題で、・・越後屋という分限者の店にいた女中のヒサが親方の女房に恋愛を邪魔され、顔に焼け火箸をあてる折檻をうけたすえ、小浜の海に身を投げた。その事件があったころ奈良の秋篠の里で井戸を掘っていたが、いっこうに水脈にあたらない。それでもほり続けると、突然轟音とともに大量の水がふきあがった。水が落ち着くと、その池の中に遺骸が浮かんだ。そこへ東大寺のお水取りに参籠した旅人が通りかかり、その遺骸が若狭のものらしいと、持ち物をしらべると越後屋の女中のものだとわかり、丁重に弔って、若狭へ帰っていった。ヒサの恋人はこのことを知り出家して菩提を弔った。墓の前で読経していると二人の女が現れ、両人は争っていた。ヒサと越後屋の女房であった。ヒサが争いに勝ち女房に焼けた金をおしあて、“我が思いをかえした”と叫んで消えた。その日若狭で、越後屋の女房が、一声叫んで悶絶したという。 白州正子/若狭のお水送り」 秋篠の里の秋篠寺にも閼伽井がある。 中沢新一 「 諏訪は蛇の国。蛇は生と死、再生の象徴。」 坂本龍一 「あちこちにどくろが巻いてあった。葛井神社にいったとき、池に向かって女の人が何か唱えながら熱心に拝んでましたけど、あれも日頃から蛇神を目にしているからこそでしょう。」 中沢「あの池と遠州の池がつながっていて、龍神の通路になっているという伝承がある。その感覚をじつに素直に受け入れてますね。」 坂本「彼女の世界観になかに、それがはっきりと入っていることが外からみていてもわかる。現代の日本からみたら不思議だけど、そういう世界観のリアリティを感じます。」 中沢「漫画家のつげ義春さんんもこのあたり(諏訪)が好きで、よく温泉めぐりをしてましたねえ。つげさんの想像力のなかでは、温泉は地下でつながっていて、ひとつの温泉に入ると別の温泉に潜っていける。その想像力は同じですよね。」 坂本「温泉というのは、地球のマグマ、巨大な火のエネルギーが、僕たちにも触れられるかたちでそこにあるもので、温泉に浸かることは、その土地のエネルギーに直接肌で触れること。地下のエネルギーが根茎のようにつながっている。」 中沢「昔の貴族は温泉に入るとき、天皇の許可をとらなければいけなかった。温泉地にこもることは、死の世界からエネルギーをたくわえることで、反逆の疑いをもたれるとこまるから」 縄文聖地巡礼 長谷寺から登る初瀬に笠山の山頂の荒神にも、閼伽井がある。ここは東大寺創建の 責任者だった良弁和尚のやはり創建の伝承があり、この閼伽井は東大寺のそれと 水脈はつながっているという。 東大寺・二月堂へむかっていると、県庁の前の池で輝く光モノに気づいた。丸いガラス 玉がステンレスでできている。しばらく見ていて、気付いた。これはお松明のうちの籠 松明のモニュメントなんだと。商店街にも籠松明のモニュメントが竹でつくられてぶら下がって いた。 若狭井をつくった地中から飛び出した「鵜」。その鵜をいれる籠、と、鵜飼いとた いまつと連想ゲーム。 「能登の七尾市に鵜浦町がある。・・ここは能登一ノ宮の気多神社の鵜祭につかう 鵜をとる場所である。・・鵜を捕らえて気多神社に送るために、鵜浦には古代から 二十一人の鵜取部がもうけられていた。当番にあたった鵜取部は毎年12月8日に なると、マルいかごをつくって鵜浦の小西家にやってきて、鵜を取ってくれとたの む。鵜祭のための荒鵜をとる役目は小西家に代々受け継がれ、その技術も一子相伝 である。 続 日本の地名/谷川健一」「鵜は滄溟の神の使者である。海底にある常 世の消息を反映していることを暗示する。こういった推定を証拠だてるものとして 山口県豊浦郡豊北町土井が浜で発掘された弥生の少女が鵜の骨をだいていたとい うことを・・谷川健一/日本の地名」 地下のことを考えることなど日常にはない。が、あの閼伽井の水の甘く冷たかった ことが、刺激してならない。オオナムチが野に入っているとき、スサノオはその野に火をは なつ。オオナムチが火に囲まれたとき、野鼠が現れ「内はホラホラ、外はスブスブ」といって 地中にさそう。穴でオオナムチは野火をやりすごす。ねずみは「根棲み」だという。 地下のことはねずみに聞くのがいいのだろう。
by forumhiroshima
| 2012-04-23 11:55
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