こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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メモ帳

THE WALKING PEOPLE no3

田所の集落の古道を南下するとR261に合流する。直進すると、中三坂トンネルをぬけて大朝の町、広島県に入る。トンネル手前の幹線道に小さな分岐があって、そこを入ると登りになって大草という数軒の集落で、舗装路は行き止る。「田所村を中心として一帯に洲浜という家が多い。二十戸ぐらいはあろう。その本家は大草の洲浜家だといわれる。この姓の一族は皆財産家である。そして本家は特に尊敬せられている。この家はいろりにずっと火を焚いていて飯や茶を煮てるが、この家ではヒドメとて、火のついている木の一つを夜は灰の中に埋けておいて、朝はこれにて火を燃やすことにしている。この火は秀吉の頃から続いているといわれる。・・丁度秀吉の朝鮮征伐の時、人夫にあてられた。一人の旅僧がこの家を訪ねて托鉢すると、一家が沈んでいるので、その訳を聞くと、徴兵のことを答えた。僧侶は身代わりにゆくが、代わりに帰えれたら、寺を建てていただきたいと言った。僧は無事帰還できたとき、同家では矢上村へ安楽寺という寺を建てた。宮本常一/中国山地民俗採訪録」
この安楽寺はいまもあって、大草の集落へ向って、ヒドメの家はどれかいな?と。ちょうどワラ屋根からトタン屋根に換えている家があったので、尋ねたが知らないとのこと、犬に吼えられながら、引き返したことがあった。昭和47年発行の石見町史にはこの大草に落人伝説があると記載されていた。
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田所の西の市木の谷、大野にも落人伝説があるという。田所の旧道からR261に出ずに、西にひらける谷をつめて越す谷が大野の谷になる。安芸、備後、石見の国の最深部になるのだろう。しかし、宮本常一はこうも書いている。「中国山地には多くの古風を存しているも、他地方と異なり交易交通ともに非常に発達していたと思われる。・・人の動きは相当のものであると見ねばならぬ。たとえば出羽の牛市のように、国にして備後、安芸、周防、出雲、石見、長門の六国の人の集まってくるようなものもある。大森の銀山は江戸へ通ずる道を持っていた。したがってそういう人たちの通る道というものは相当よく発達していた。・・邑智郡から安芸へ越えるにも三つの峠があった。西を市木、中を中三坂、東を亀谷といい、この三つを称して三坂といった。いまは市木から大朝へでるものを三坂峠と通称するようになっているが、中三坂の北麓にはいまも三坂という部落がある。宮本常一」
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三坂峠とは坂と峠と二重にかさなって、Wですから、すっごく厳しそうだけど、中国山地越えの峠としての難易度ランキングでは、上位ってこともないだろう。備北や東中国山地脊梁部には、もっと長くてキツイ峠がひかえている。しかし、ミサカには訳がある。「峠は古くは坂(サカ)といわれますが、これは古いですよ。万葉集にはたくさんのミサカ・神坂がでてきます。・・地方から都へ向ってゆく場合、地方の人はこれを「ミサカ」といったんですね。地名と日本史/谷川健一VS一志茂樹」「古代の道になりますと、その土地の地形に合うように、あせらずに道がたをつけていますし、水のあるところ、とくに清水のあるところとか、南側の陽あたりのいい、冬も通れるようなところを選んで悠々と通じています。したがって道がたをさがし、そのあたりに残っている細かい地名とあわせて考えれば、この道は新しいかが半ばとけてくるものです。 地名と日本史」「トウゲという字は山を上がる下がるで日本で作った文字で鎌倉時代の初めころまではなかったと思うのです。・・碓氷峠にある熊野皇太神社の鐘に1292年の銘があるのですが、到下(トウゲ)と書いていることから。まだこの頃には峠の文字は定着してなかった」
そうなんですよ、到着!ここから下り!が峠なんですよね。到下って、トップについた感情がこもってますよね。また峠は「手向、タムケ」で鎌倉時代ごろからある言い方だそうで、峠の鞍部には、荒ぶる神がおるので、その神に祈る、手向けする場所といいます。この解釈はよく聞きます。

田所のR261との分岐を西へ入る。この谷をこえると市木の大野だといったけど、明治34年の地図にはまだ整備された道は山越えしてない。西への峠はまだなかった。今は市木から急坂の道で、峠で分岐されて、高水という集落から北の矢上へ下るルートがある。ここに「いこいの村しまね」ができている。
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田所から高水への道にはいるとすぐに、水場ができている。蛇口が用意されて、そのそばにお地蔵様が鎮座されている。その奥に小さな公園があってサクラの並木とその向うに清流がながれている。空気がしっけて冷たくて気持ちいい。建てカンバンに「サクラ地蔵」とある。そこに「1851年にこの道は川向こうに造られた。ここに追いはぎがでたりすることから、人々がお地蔵様を祭った。それからは追いはぎも出ず、ここが村の共有地で夏草を刈る場所であったりしていた。がそののち道は付け替えられ、向こう岸への橋も落ち、まつられた地蔵さまへ参るものもいなくなった。新世紀になった2001年に荒れたお堂からお地蔵様をこちらにお迎えした。それまでの石造りのお堂は記念にそのまま保存して祖先の大切な遺跡とした後世につたえる。」ここはほんとうに石見ですね。本物の石見人がいますね。
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となると。明治34年の地図で破線だった市木への峠越えは江戸末期の1851年、ペリーは下田に現れた頃ですね。風雲急な時代だったのですかね。
このお地蔵様が「サクラ地蔵」ってよばれるのは、「サクラってサ・クラで「クラ(谷)に接頭語のサを冠したもので、クラ(谷)を越えるのが峠  地名の話/谷川健一」からでしょうか。石見人の仕事ですから、こんな風に考えました。この谷をつめると高水の部落にでますが、峠越えは難しいルートでした。そのルートが改修され峠越えができるようになったので、そのお知らせとして、ここにサクラ地蔵をお祭りしました。これを見れば、わかりますよね、この谷をつめて峠越えできるって。田所から市木への最短距離ですよ!。

谷は広く明るいのです。そうして、なにより緩やかなのぼりです。ヤギさんもいます。
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峠の分岐で右へはいり、小さなトンネルを抜けると、いきなり矢上の町が眼下にひろがってます。こんなにラクチンで440mの標高ゲット。「田所は山ひとつ南へ越えるともう広島県になる島根県最奥の村で、脊梁山脈は目の前にあるのだが、それは低い丘としか見えない。谷はひろく明るくゆるやかで水田がよく発達している。峠の上まで何回も休まねばならぬというような坂がすくない。 宮本常一」
矢上からもう一つ高度をあげて走ろうかな。なんて、いいのかな。
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by forumhiroshima | 2012-07-07 15:01
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