こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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THE WALKING PEOPLE no5

矢上ある盆地を邑智・オウチ盆地といって、オウチがオロチではないか?といったことはよく言われる。「こんにち、満州の興安山脈の山中にあって狩猟生活を営むオロチョンという少数民族も、西村博士が指摘する出雲民族がツングースの一派であるというツングースに属する。・・出雲の郷土史家たちは、ヤマタノオロチ伝説のオロチはオロチョンであるという説をもっている。中国山脈にはいまも昔も砂鉄が多いが出雲王朝が有史以前においてナカツクニを支配しえた力は鉄器にあった。そのの鉄器文明はオロチョンがもちこんだというのである。・・話の解釈はどうでもよい。いずれにせよツングース人種である出雲民族は、鉄器文明を背景として出雲に強大な帝国をたて、トヨアシハラナカツクニを制覇した。その何代目かの帝王がオオナムチ(オオクニヌシ・大国主命)であった。・・とw氏はいうのである。 司馬遼太郎/街道をゆく夜話」
出雲の郷土史家どころか石見の郷土史家たちは、スサノオの出雲神話は、この石見だと信じている節が感じられる。石見の海岸にスサノオ一家が上陸した伝承がある。石見伝説が乗っ取られたとおもっているようだ。
そのオロチがいたかもしれない邑智盆地が、この石見の山中の古代の中心地であった。矢上の諏訪神社のすこし東に郡山という地名がみえる。「郡家とは古代の郡という行政領域の中心地である。その立地点は交通の中心をなす。そこで邑智郡家の所在を比定してみると、[島根県史]も足利健亮氏(京都大学・歴史地理)も石見町大字矢上小字郡山の地に求めている。流域をたどる歴史/江の川」

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郡山の場所をさがしてみたけど、郡家の跡の標識などなくて、わからなかった。だだそばに今の行政機関の邑南町役場がデーンと建っていて、歴史の長い継続なんだ、とおもうよね。

「中国山地には製鉄業にしたがうために早くより多くの人々が住み、高い文化を持っていた。それは広島県三次盆地の周辺山麓に2,000以上の古墳が散在していることによってもうかがわれる。山中に多くの人が住み、高い文化が発達したということは、そこが農耕に適し、また人間が住むのにもっともふさわしい土地であったからではない。多くの人間が農耕生産のために最も必要とする鉄をとるためであったと考える。・・伝承が正しいならば、江戸時代の中ごろまでは大半が畑であり、アワやキビがつくられていたのである。そしてそこに住む人々は、田や畑をつくるということを主要な目的にするものより、砂鉄を掘ったり、炭を焼いたり、またそういうものを製鉄場に運んだりするような仕事にしたがっている者が多かった。そういう物資の運搬に、古くはこの地方でウシが多く利用せられ、したがってウシの飼育も盛んで、放牧地も多かった。宮本常一/開拓の歴史」

邑智盆地に、今は西の原山にトンネルができて、また江戸時代まで通行できなかったという断魚渓に幹線道路ができているが、外から入る道は四つだったようだ。その一つの西へ盆地から出るコースの峠の原から日貫・ヒヌイへ向った。オロチョン族の時代はもとより、ずっと後の時代の石見の国にはその歴史の残した資料がすくないのだそうで、郡家どころか、県庁にあたる国府の場所も決まっていない。そのなかで、飛鳥時代の歌人、柿本人麻呂の万葉集にのこる歌が、有力な歴史の手がかりにされている。人麻呂は石見で生まれ、宮廷歌人ののち石見へかえってここで亡くなったということは、石見では疑うことなき石見神話でもあるだ。人麻呂のお母さんの実家が、石見国の西端の戸田にある戸田柿本神社だという。人麻呂は石見の国府に赴任した下級役人で、老いてまたここに赴任したのは、数少ない資料の中でとりあげられている。その人麻呂が、のこした歌から、彼が都の飛鳥に向ったコースを推理されていて、コースは出雲へ、また周防へといわれてるが、石見国府推定地の浜田の北の下府から、この邑智盆地の郡家を経由して安芸の国へのコースも推定に一つにある。その安芸へのコース途中に日貫の町がある。
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矢上から日貫へむかう。
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人麻呂の朝廷への安芸の国経由コースだ。片道二十日ほどかかったといわれる。峠は峠・タオの原と呼ばれていて、そこに集会所と広場があって、峠のお地蔵さんが六座、鎮座されていた。矢上側の上り口にも、そして峠をくだったところにもお地蔵さんがおられる。ビューンと車は走っていくが、お地蔵とその背景の緑の野原と田んぼは、別世界のバリアの中にあるようだ。
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日貫の町の交差点で右折して、古の推定・柿本人麻呂赴任コースをはずれる。江戸時代に日貫には石見の西端の津和野藩の領地だったそうで、峠の原付近に津和野藩と浜田藩との関所があったという。神社が正面にある次の交差点は左へは江の川の河畔にある川戸の集落へくだり、神社の左の急坂をたどれば、北の山越えで日和の集落へむかう。「エ」の次に道は交差し、そこに神社が鎮座する場所にはお寺と郵便局と、パターンはこの集落が街道沿いにできたことを示している。ここから日和へあがるので、水と食べ物を探してみた。江戸時代の豪壮な民家や、立派な代官所跡の建物もあるのだけど、お店はみつけられなかった。
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神社あたりの地名は桜井といい、古代の桜井郷で、現在の桜江の地名の元になる。このあたり古代桜井郷の中心の場所でもあったのだろうか。官庁街には、トンカツ屋さんとウナギ屋さんは必ずあるものだそうで、考える人たちには脂肪補給がかかせないのだそうだ。だったら、トンカツがいいけど、ここでは無理みたいだ。
交差点にある大原神社の右の登りから水越峠へ向う。神社から尾根を回ると正面に高い尾根があらわれ、その頂上付近に筋が走っている。もしかして?あれに入るの、あれが、ルートなの?といそいで地図をみると峠からの分岐された林道らしい。その尾根はすぐそこに、高くそそり立ってるのだ。ファイト!!おなかすいてるよ。

なぜ?日貫から日和と、「日」のつく地名がここに固まってるのかと考える。登りになると何かを考えないと、自転車を降りたくなる。ヒは遠来の神様のことだという(吉田金彦・古代の地名)説が気に入っている。地名ってそこに住んでる人には「ここ」ですむことだ。つまりそこの人でない人たちが呼ぶ名だろう。この山上の谷間に来て、畑もそこそこに、そこらを掘り返して、黒い粉あつめて、大きな焚き火して、それでできた固まりをカンカンと叩いて、そして木もけずれる、石も砕ける金を作り出す人々の住む場所に「ヒ」って始まる地名にしたのでは、ないか。神様っておもったのではないか?

何かを考えて、登りのペダルを回すという単純作業の紛らわしに、地名の出来た訳なぞ、考えるのって、可笑しいって、気付いているんですが。
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by forumhiroshima | 2012-07-16 12:34
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