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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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丹波国・若狭国

若狭のお水送りの神事のある「鵜の瀬」がすっかりコンクリートの固められた瀬で,そのそばにおおきな車道が通って、これなに?と思ってからすっかり気分は盛り下がってしまっていた。
そこに原発問題も重なって見えて、京都の北山の山中の古道の上にのびる送電線が、若狭のエネルギーを吸い取って都市へ送り、神々の伝説の場所も、かろうじてコンクリートで固めてしまうことで、つなぎ留めているようになってると、おもえた。
ふと若狭の国の隣の丹波の国の天ノ橋立にある籠神社(コノジンジャ)に伝わる神社の宮司の海部家の系図の本が目についた。この系図は昭和51年に公開されたもので、その翌年に国宝に指定されている。その系図には海部家が天皇家とおなじ祖先をもつことがかかれており、海部家ではそのためにこれまで公開できなかったといういわれもあって、またその系図にヒミコではといわれる古代の姫の名もあって大反響をよんだ。関西都市圏にエネルギーを吸い取られるように送る若狭の国に、送るだけのエネルギーがあるってことだから、その秘密の一つがこの国宝系図にあるかもしれない、と。エネルギーを誕生させる秘密があっていいはず。
丹波国・若狭国_d0089494_11421782.jpg

丹波国・若狭国_d0089494_11425384.jpg

この系図に倭宿祢命(ヤマトタケルミコト)も記載されていて「倭宿祢命が丹波から大和に入った道順として、次のように想定される。丹波の舞鶴より若狭の北川・遠敷川へ出、近江の安曇川・鴨川に沿って山城国の高野川・賀茂川へ、これより木津川、やがて大和川と川岸にそって大和国へ入った。この道順の付近には倭宿祢命に関係の深い古社がのこされている。若狭では倭宿祢命の祖父、火明命の別名、彦火々出見命を若狭彦神とたたえまつる若狭彦神社・・・、・・また彦火々出見命は京都の賀茂神社の祭神、別雷命(ワケイカズチノミコト)と異名同神であると、海部家の秘伝として伝えられ・・・古代海部氏の系図・金久与市」
ちなみに若狭彦命は遠敷明神として東大寺二月堂に祭られている。この神様がお水送りをしてくれる神様だ。お水取りへお水送りするルートと重なっている。こりゃ、大変だよ。

若狭から東大寺のお水取りへおくられる水は、京都でも水は若狭からくるという伝承に、そのありようをどうしても見たくて、若狭まではしって、まあ、つまり夜は居酒屋であったが、がんばってみた。若狭と奈良をむすぶ水のルート。そのふしぎな伝承に一端が見つかったような、ワキワクしてくる気分になれた。

「はるか二千年も前、弥生中期にさかのぼる(BC100~200)。稲霊・イナダマの壺をもった一群の人々が、旅にでた。この人々の目的は、さらに稲を育てる適地をもとめることにあった。川をさかのぼり峠を越えた。さらに水のある平地をもとめて旅はつづく。こうしていくつもの坂と峠をこえ、はじめて川の流れの悠久の蛇行をみた人々の感激はとんなものだったろうか。彼らは歓声をあげて、急坂を駆け下ったにちがいない。 藤森栄一/古道」
「水田耕作民の間には、山ノ神への信仰、水を分ける神への信仰、そういった川上信仰と、田の神の信仰が両輪としてあったのだろう。この川上信仰は、もともと水田耕作民固有のものというより、何かそういうものをもっていた個別の種族との融合によってなりたった、と考える方がよさそうだ。--なにしろやたらに川上へ行きたがる種族がいたことはたしかで、呪術にたけた賀茂族などはその典型的なものだが、彼らによって、平野社会の領域に、そこに流れ込む川の川上、流域全体のイメージができあがってきたのではあるまいか?そこで国境界は、単なる高山稜線よりも、分水嶺をたどってひかれることになるのだろう。 小松左京/探検の思想」
お水送りされて奈良・東大寺で湧き出る若狭井には黒と白の鵜がいるのだが、賀茂族は「山城国風土記では、日向の曾の峯に天降りした賀茂建角身命・カモタケツノミノミコトが神倭石余比古・カムヤマトイワレヒコすなわち神武天皇の先導となって大和に入り・・」とあって、つまりヤタガラスが賀茂族になる。カラスでもウでもカモ族になるのかな。

なにか急に籠神社のある丹波の国に引き込まれる気分になった。ヤタガラスの賀茂族は大和へ南から入ったという神話で、一方籠神社伝来の系図からはヤマトタケルこそカモタケミチニノミコトだという。そして北の丹波、若狭の国から大和へ、となる。古事記と、国宝の系図、この二つのコースがクロスする訳が判るわけないけど、けど、なぜか?丹波国へ行かなきゃ、と思った。

丹波の国へは、今居住する摂津の国の西宮からは三田へ出て、武庫川ぞいに北上すると、丹波・篠山へ。
丹波国・若狭国_d0089494_11424651.jpg

by forumhiroshima | 2012-10-07 11:43
<< 丹波国/摂津国 国境 鯖街道 花 >>


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