こひちろうの独り言 |
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コンビニではあるまし、神々の鎮座する神社の連鎖をチェーン展開とは、バチアタリではあるが、“賀茂族”の展開する賀茂・鴨・加茂神社の所在は、現代のコンビニより、すごい。というのは、その設置の数ではなくて景色が設置条件になっていると思えるところがすごい。円錐形・富士山型といわれる甘南備山とイワクラと川が用意されている、と思うしかないほど神社そばに存在している。神社の名だけでなく、景色に共通なものを感じる。立ち寄ったカモ関係の神社の各々の鳥居の、下から周囲の景観を眺めるようになってしまった。甘南備の山、そして川をさがしてみている。
そのうえ地図でみると、甘南備の山と神社との位置関係が、もう一点山とか岩倉とか、また近隣の神社とかとの直線に上にのる。これをレイラインといって、けっこう古代史ロマンで、かしましい。自分もレイラインを見つけるのが、嫌いじゃないのだ。 レイライン 「レイライン(ley line)は、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさす(ウイキペヂィアより)」 国内では、出雲・日御崎神社と琵琶湖の竹生島と冨士山頂を通る直線とか、出雲大社と伊勢神宮と平城京・大極殿を結ぶ直線とか、長野の諏訪神社と茨木の鹿島神宮の北緯35度58分の線上の所在がいわれる。 HP検索してみつけた近畿付近のレイラインの図に場所の東経の数値を添えてみた図がこれだけど、結構誤差があって、すべて直線にありますと、納得です!とははいかない。経度は10分の違いで1.5kmほどの距離差がある。それでもそれくらいは、誤差の内ともいえるし、その誤差の範囲っていっていいのか? 数多のレイラインが言われる中で、NHKスペシャルとして放映された「謎の北緯34度32分をゆく、知られざる古代。1980年2月放映」がよく知られている。奈良・東大寺参道横の写真館の主で写真家小川光三氏の「大和の原像」「ヤマト古代祭祀の謎」などで示された、ヒミコの墓といわれる箸墓古墳と伊勢の伊勢斎宮遺跡とが同じ北緯34:32の線上にあって、それを西の淡路島まで延ばすと、淡路島・伊勢久留麻神社が近くに見つけられる。この東西線をNHKのプロデューサーの水谷慶一さんがとりあげ、放映しまた出版された。司馬遼太郎や松本清張もこれに助言している。そして、のちにこれが太陽の道とよばれるほどに注目された。奈良のサイクリスト達はこの奈良-斎宮の往復140kmをよく走るらしい、と聞いていた。このレイラィン上に長谷寺や室生寺、堺・大鳥神社などもあって、その不思議さを強く感じさせる。 奈良盆地を走ろうって思って、まずこの有名なレイラインへ向って竹内峠から三輪山への古道を走った。三輪山は古代史での主役とおもえるほど古代史での注目度はすさまじいが、独立峰ではないからか、期待ほどの円錐形ではないな、が感想だった。太陽の道という春分・秋分線の中でここに限定するには、それが日本最初の前方後円墳で、記紀に昼人が造り、夜神が造ったと書かれる箸墓を通るとしても、なにか、そこにしなきゃいけない決定的な理由が伝わってこないな、とも感じた。東西線はどこにも無数にあるのだから。 でも“太陽の道レイライン”は沢山の墳墓や寺社やイワクラをその直線状に置いているのだから、これを設計した古代の人々がいるにちがいないと思ったりする。そうなると、これを観測し決定した、その人々は誰か?は気になるところで、水谷さんはその著書で、設計者は古代日置氏だと語っている。このレイライン上に日置という地名やその名がたくさん発見される。日置という地名は全国にある。日を測り、時を決め置くことに携わった人々の記憶が地名や神社に刻まれているという。そして、太陽の道のレイラインが伊勢斎宮を通ることが、後日に伊勢神宮発行の伊勢暦が日本の標準の「こよみ」としてひろまったこともこのラインの存在をうかがわせる。国土地理院の日本基準点の東京・日本橋の三角点のように、太陽の道が古代の基準ラインとされた、思えなくはない。 太陽の道の東西線と交差する南北線で、直線とされるレイラインとはいえないかもしれないすこし振れるラインがある。古代の都の藤原・平城・平安と時代を追って北上した都の設計は、奈良盆地に南北にひかれた三つの古代幹線道の西端の下ツ道が関わっている、という説である。そして、この南北の上を移動した都の先に賀茂族が移動している、思えるが、賀茂族はこの南北線を示したのだろうか。 賀茂族は東へも移動しているといわれる。伊豆国の賀茂郡賀茂には古代の祭祀の場所が昭和初期に発掘調査されていて、そこに甘南備山とされる三倉山、祭祀場とされる洗田遺跡がある。この二つを結ぶ線が祭祀場の後方の神尾山の山頂に行き着く。小さなレイラインだ。亀岡の宮川神社と同じ神尾山の地名が印象深い。京都、上賀茂神社の甘南備山はほぼ真北の位置に甘南備山とされる神山がある。 レイラインの設計と思わせる、古代に天体観測の技術を確立した人々が、日置あるいは賀茂の人々であるのかどうか? 司馬遼太郎の街道をゆく13・壱岐対馬に「卜占は古代世界の科学であった。専門の神道者・カムナギがこの術を用いたが、彼らの奇妙さは壱岐・対馬に集中的にいたことである。大和の王朝がわざわざ玄界灘の洋上からかれらをよんで宮廷の科学を担当させた。・・本来、日本というこの地にはるかな昔のヒョウビョウとしてさだかならぬ神聖感覚(原始神道)には卜占の科学などは入っていなかった。」と述べられる。 「古代中国の書、「周礼」で、柱を立て夏至にその陰が一尺五寸になる所に王国を立てると書かれる。都城はこの地中とよばれる場所に建てるといわれる。その場所は北緯34度26分。この位置に古代中国の首都、殷の商丘、周の洛陽、秦の咸陽、漢の長安がこの北緯前後に並ぶ。古代大和朝廷の最初の王と呼ばれる、神武天皇の時代の橿原、そののち、やはり最初の王の称号をもつ崇神の磯城がこのラインにある。緯度が同じくすれば、太陽や星の運行がおなじになり、天測の術が発揮できる。“天祭の古俗」はまさに古代神道であり、卜占の存在”なくして理解できない。この卜占をおこなった氏族に賀茂族の存在は欠かせない。神と王と卜官/永留久恵」 太陽の道は、日本国内の東西線ではなくて、古代中国の統治の基本線の延長であること、そして、その卜占は壱岐対馬からもたらされたということ、になってくる。 賀茂神社にみられるその設計も、卜占の技術としてされたのかも知れない。 永留久恵は対馬在住の考古学者だが、その著述のなかで、「卜占の術の人々として大和の葛城の雷神と京の賀茂の雷神がうかびあがる。賀茂の神事の“ミアレ”儀式は対馬の雷命が鎮る阿礼(対馬にある集落)の地名と関係がありそうだ。神と王と卜官/永留久恵」 国内にひろがる賀茂、鴨、加茂などの地名と神社。日置という土地。どこも、おいで、おいで、している。
by forumhiroshima
| 2012-12-03 08:41
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