こひちろうの独り言 |
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JR西宮駅の北そばの芦原という場所に市立芦原(アシハラ)湯という厚生施設がある。とても熱い銭湯で、湯あたりするという評判があるが、自分はとても気に入ってしまって通っている。
銭湯そばに川が入り込んで、流れている。昔はこのあたりは氾濫原であって、芦原とよばれたのかもしれない。アシ原をヨシ原とよんで縁起をかついだともいうから、ヨシ原湯だと自分は読んでいるよ。 この国は豊葦原の国であったと記紀はいう。湿地帯がとても印象ふかい景色であったと、記紀の製作者たちは思っていたのだろう。その葦原に杭をうちこみ溝をつくって排水して田んぼにした人々を弥生人だという。彼らがこの国に上陸したときから、田んぼつくりは高度な土木工事だったという。(北九州に作られた最も古い水田遺構はムゾクイでつくられている)畝、畔という今では判別できない言葉がそんな時代を思わせる。その作業そのままを神様とした神社が溝咋(ミゾクイ)神社で北摂の山から流れでる川のそばにある。このミゾクイの神様の娘はオオクニヌシの息子コトシロヌシと結ばれヒメタタライスズヒメを産み、イスズヒメは神武天皇に皇后となったと書紀にある。 溝咋神社の北に鴨神社があり、南の淀川河畔の三島鴨神社は、本来当社であると、元祖-本家論争を仕掛けている神主さんのブログに、鴨神社側にある太田神社と鴨神社とはつながりがあるとあった。その神社は西国街道そばの古墳の横に鎮座していて、この神様は和歌山の大田からここに来ているとの伝承がある。 神社そばの安威川河畔は古墳の巣窟みたいに古墳が集中してあって、あるゴルフ練習場のフールドのマウントが古墳ってのもある。その古墳の石室の石は和歌山特産の緑色の砂岩だ。はるばる運んできている。 このHPに長く掲載して、まずい!とはおもっていっるが、広島の太田川の名の由来が知りたいとおもっていて、その手がかりをみつけたら修正したと、そのままにしてしまっている。 この間、鴨の神の追っかけしていて、東広島市から竹原市の賀茂郡とよばれた地域のほかに古代安芸の国に鴨郷があったようだという資料を見つけた。江戸時代の記録で、山県郡の歴史に「今詳ならず、通誌に都志見村加茂堤の字あれば、古の賀茂郷は此辺にやと曰へり。都志見は今、谷村に属す。有田の西三里其水は南流して太田川へ入る此か」とあるのを見つけた。鴨の神の川上遡上好きはよくわかっているから、川上になる高宮町(安芸高田市)に鴨神が鎮座していて、だから“高宮”!などと妄想している。 ヒメタタライスズヒメの誕生にはもう一つあって、お父さんはコトシロヌシの父のオオクニヌシでお母さんはセヤタタラヒメ。この神様を祭る奈良の三輪山にあるちいさな池そばに高宮神社がある。その高宮神社の神主の高宮氏の祖先がオオタタネコ。大田田根子オオタタネコの別の子孫が、奈良葛城の下鴨神社とよばれる鴨都波神社の神主だ。話はぐるぐる廻る。目が回るよ。 論争好きの神主さんは、ブログで京都、上賀茂神社の摂社・太田神社の存在を強調されている。太田神社は上賀茂神社北西に鎮座していて、上賀茂神社のHPでは、太田神社のカキツバタの池(天然記念物)の写真が掲載されている。 下賀茂神社には早朝到着した。だって阪急電車で河原町まで、だもんね。糺森に朝日がさしこんで、蝉の小川がきらめいている。この森の高名さに少々もちあげすぎ、だと思っていたが、とても綺麗だった。白鷺もご満足の様子。 豊葦原はふかい森があってこそ生まれる。森の木々を切れば、土地は乾く。その上に人々は都市を造ってきた。一方、溝咋で出来た田園の風景には、自然らしさを感じる。水のある風景だからだろうか。 太田神社の境内に入る石橋に「右側の流れを覗いてみてください。水中に中が没した石を蛇の枕・ジャのマクラ、雨乞い石ともいい、この石を鉄製の農機具でたたくと、枕をたたかれた蛇が怒って雨を降らせます」とかかれている。 溝咋の神の娘はタタラ姫。製鉄のタタラだという。オオタタネコのタタもたたらだという。葛城の下鴨神社の神様アジスキタカヒコネのアジは美味い!のアジでスキは鍬鋤の鍬で農具!タカヒコネは上物!らしいよ。 サイクリングの後、もちろん芦原の銭湯でした。
by forumhiroshima
| 2013-01-31 15:17
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