こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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磐座・イワクラ 石の魂

君が代の歌詞で細石・サザレイシが巌・イハオとなるまで、という部分がある。サザレイシは結構いろいろな場所で、それも石屋さんの前などで見かける。京大の東の吉田山の吉田神社境内にもあった。その説明があって、石灰岩質角礫岩がその学名とある。
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「サザレ石がイハホになるという石成長譚・・それは、石や岩が植物のように大地から生じると見たものにもとづいているはずで、イハホにたいしイハネがあり、つまりイハにホ(穂)とネ(根)があるものと  石の魂/西郷信綱」
境内のサザレ石の下に根がないか?覗きこんでみた。
「私の外祖母を・・子供心にこんなに賢いひとはいないと思っていたが、それでも彼女は、地面からわずかに露呈している岩(ゴロンと地上にころがっている岩でなく)を見ると、“またぎなや(またいではいけないよ)”と、おごそかに警告した。万一神が宿っているかもしれないことを畏れたにちがいない。彼女の話では、岩は成長するのだということであった。はじめは細石・サザレイシのように小さい石でも地面にうずくまって何万年も経つと大きな岩になるというのである。私はむろんそれを信じていた。小学校にあがって“君が代”をならったとき“・・さざれ石のいはほとなりて苔のむすまで”という歌詞の解釈を先生からきいて、なるほど外祖母が教えてくれたとおりだとおもった。古代信仰にそれがあったにちがいない。 司馬遼太郎/街道をゆく1」
「石崇拝がかって日本では---あるいは日本でも---相当さかんであったのは間違いない。というより、国つ神とよばれたものたちの神体がすべて岩または石であったわがお国柄からすれば、この崇拝はほとんど記憶を絶する世にさかのぼり、しかも至らぬ隈なくゆきわたっていただろうと、推定される。 石の魂/西郷信綱」
「神話と歴史は途絶えることなく連続しており、神話と歴史は一体のものであった。---祭祀=信仰の形態、すなわち「磐座信仰」は、そのまま出雲系統の祭祀=信仰を表徴するものといってよいであろう。 出雲と大和 村井康彦」
村井康彦のいう磐座の神はオオクニヌシであり、君が代が歌上げる「君」は天皇ではないように思える。さあて?

司馬さんの外祖母が信じた石の成長は、もう過ぎ去った記憶になってしまうのか?そうなら、磐座信仰は、神社奥や山にある御幣で囲まれた磐座をみて、知識として理解するほかないのだろうか。なにか、今に“石や岩を感じる”手がかりはないものだろうか。

西郷信綱という大古典学者の「日本の古代語を語る」をここに引き出したのは、その中で、作庭記※作庭記(さくていき)とは平安時代に書かれた最古の庭園書 の引用があり、「磯しまは、たちあがりたる石をところどころに立てて、その石のこはんにしたがいて、浪うちの石を荒らかにたてわたして・・・ここに書かれる意味は、石を心あるものと見て、その石が要請するといった心持である。今日でも石を遣う/ツカウ場合に、そういった石の気持になって、石を配ることのあるのは、実際家の体験する所である。・・即ち主石が要請するだけのものを据える。余計にすることを戒めたものである。 石の魂/西郷信綱」

そうか、庭石が、古代出雲心であるのか!と東山で庭園拝観とカンバンにあった曼殊院門跡に600円かそこらを払って入ってみた。これで昼飯にはビールは付けられんなぁ。
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下鴨神社の神事のある御蔭神社には、期待した磐座は見られなかった。磐座がご神体であれば、その場所は動かせない。が、ご神体が鏡に変わると、ポータブルなご神体は移動されやすくなる。が、また鏡を祀る本殿が必要にもなる。出雲の神々の磐座はその拝殿がつくられ、本殿のない神社もある。下鴨神社は、神を降臨させる場所が馬の背中になっていて、すこし出雲神々のラインからずれてる感じだ。オモシロクない!

御蔭神社からでて、比叡山のロープウエー駅そばから、西へ走った。そこに岩倉という、うれしい地名の場所がある。
御蔭神社まで走るのなら、比叡山!!は無理無理!で、何かないかと調べていると「京都歴史散策マップ」をみつけた。そのマップのシリーズの中に八瀬・岩倉ルートというパンフがある。そこに石座神社を見つけた。もっとうれしかったのはパンフに石座神社境内に合祀されている一言主神社の紹介があるではないか。それと石座神社は元社があって今は山住神社に変わっているとある。
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山住神社は川に面していて、大きな磐座と祠がある。その横に集会所らしき建物があって子供達が遊んでいる。磐座まえにロープが張ってあって、なにか魂抜かれた感じ。「その石のこはんにしたがって・・」という言葉を思い出した。縛られては、「こはんにしたがいて」ようにはならないだろう。でもどうして、こうなったの。
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すぐに出て石座神社へ走る。今はこの神社の祭りの神輿は山住神社へでるという。お旅所が、元社なのだ。
石座神社の境内に小さな鳥居がある。石座神社の鳥居ではなくて、一言神社と神額がかかっている。本殿そばにかわいい狛犬は鎮座している。
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「一言主神についてである。・・“善きことも一言、悪しきことも一言”という託宣の神で、いかにも霊異おそるべき神のような気がする。むろん天孫民族の神ではなく土着神で、それも葛城山の土着神である。ひょっとすると、葛城国家の王であった者が神に化ったのかもしれない。・・“時ニ神、天皇ト相争ヒ、不遜ノ言アリ。天皇大イニ怒り、土佐ニ移シ奉る(釈日本紀)”・・一言主はそこで大奮戦すればいいのだが、すでに先住民族にそれだけの力がなく、むなしく土佐へ流されてゆくのである。・・日本歴史の面白さは・・土佐へ流された一言主の神社が高知県に現存することである。・・天皇が葛城の神を土佐へ追放したのかどうかはわからないにしても、葛城に先住していた(天皇より※土井)神々が大和から追い出されてしまったことだけはたしかであろう。しかし神を追い出すというのはちょっと困難な作業で、要するに人間そのものが追放されたのであろう。・・(追放された※土井)集団が土佐へゆくことについて氏族神である一言主命をかついで行ったに違いない。
・・一言主命がいなくなってから三百年後の764年、この葛城の鴨族の巫.人のひとりである高賀茂田守という人物が、奈良の朝廷に奏して、土佐から一言主命をよびかえしていただきたい、とたのんだ。・・それが許可された。・・一言主命は奈良時代になって葛城山にもどったのである。 司馬遼太郎 街道をゆく1/葛城みち」

山城の奥まった場所の岩倉に一言主命が鎮座されてるのは、「氏族神をかついで・・」鴨族はここにやってきた、と。とても懐かしい。葛城の山麓を走ってからもう2年がすぎる。
やっと、奈良盆地の西南の葛城山麓の痕跡がみつかったと、思った。京都の上下賀茂神社は、どこにも葛城の匂いがないのだ。
一言神社のちいさな鳥居のそばに説明板は立ててある。そこには、明治になって、岩倉の谷の奥にあったものを、ここに移した、とある。そして、秋の祭礼には早朝5時に子供神輿で、元あった北の場所へ向うのだとあった。
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書いてある子ども神輿のゆくここから北北東の村松の集落へ走った。
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「一言主命神を奉じていた葛城の遺民たちも、うるさい連中であっただろう。ひょっとすると百人以上も土佐へ流されたかもしれず、・・高知市の東北の台地をひろびろと開拓して、後世”土佐のいごっそう”といわれる特異な体質を遺伝させてゆく祖になったともいえるかもしれない。司馬遼太郎 街道をゆく1」はたして坂本竜馬は、一言主命とむすびつくかどうか?と司馬さんはおもっているようだ、と考えながら。
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by forumhiroshima | 2013-04-25 20:52
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