こひちろうの独り言 |
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「洗いざらしのジーパンひとつ 白い花咲く 故郷が あー誰にも故郷がある・・」
昨年8月 帰郷して、久しぶりの故郷の、生まれ育った中央を 遠くはなれた南区の 山の南の麓から、ママチャリ踏んで訪ねても なつかしいお店は消えていて 自分の影も見つからない・・・ 「子供のころであった。私の弟が、よく乱暴をしたり、泣きわめいたりすると、叔母や祖母たちは“おまえは 広島の橋の下でたらいにのせられて流れていたのを拾った子だから、かえしにいくぞ”と言ってたしなめたものであった。・・手に負えないような元気のみちあふれた粗暴に近い子はすべてそういってたしなめられたり、おどかされたりしたのである。 ・・私の子供心には、広島に大きな川があって、その川の川上の方から、子供をのせたらいが次々に流されて来 川口付近にいる船が、その子を拾い上げては帰ってゆく。橋の下の船はほうぼうからあつまったもので、それが子供をひろうと、またほうぼうへつれてゆく。どの船にも生まれたばかりの子供がつまれている情景が心の底にやきついていた。 その広島というところは死んだ人のゆくところでもあったようだ。人が死ぬと“あの爺さんも広島へたばこ買いにいったげな”とうわさするものがあった。・・広島という土地は一つの幻想の世界だったのである。」宮本常一・わたしの日本地図/広島 広島湾の南の海から、広島全部をすっぽりと抱きかかえて、抱きしめているような周防大島の北海岸から、冬空には透明な青の奥に北風に流される雲の下に振り込む霧のような雪が見える。原子爆弾の閃光もみえたという常一さんの故郷から思う広島はシュールな都会だったのだ。 仁保島の資料調べで、であった常一さんの“広島”の印象は、とても民俗学者の彼が書くいつもの明快なものと思えなかった。“広島”が妙に明るく冷たく幻想的であるのだ。この叙情的な文章に出会ったとき、故郷を離れて「誰にも故郷がある・・」と気付き、故郷という外からの感覚がすこし生まれてきた自分の気分を「広島という地」に、向わせたくなった。常一さんのシュールな感覚を掴んでみたくなった。 “広島”を訪ねる?はじめは大田川河口に砂洲の島を出現させた岩盤の上にあらわれた岩礁を神とした“碇神社”だった 広島の地名は、毛利輝元が家臣に築城を命じた「佐東(佐伯郡東)広島之堀普請1589年」という文章が始めだという。市立図書館で広島城を資料を相談してみたら、こんな物は?と地図を見せられた。現在、今の地図に広島城(江戸時代)とその関連する施設を重ねて製作された、広島城周辺、北部、南部の三部セット・広島城大絵図だった。 広島市中区役所の地域振興の担当へ電話すると1セットなら在庫あるといわれ早速に受け取りに走った。 ![]() ![]() 地図の碇神社をみつけて、城から南へとたどってみると、金座街から福屋の西で電車通りをこえる直線に道へ入り込んだ。定規でも神社からの南方向への直線がスッポリと金座街から並木通り、地蔵通りと入る。そのラインは広島城の東の外堀とそこから流れ出る平田屋川であると表示されている。 ![]() ![]() 広島城は毛利家臣のほか、平田屋惣右衛門にも町普請が命じられたとある。毛利氏によって消滅せられた、尼子氏の武将であっともいうが、毛利氏と関係深い商人で、出雲・平田の代官をつとめ、平田の町つくりを進めた。(しろうや広島城シンポジュウム レジメ) 出雲・平田の運河・舩川(平田船川)の開削、治水を行い、今に残る木綿街道を残した人物だという。 ![]() 明治32年発行地図 ![]() 毛利輝元の広島城築城の際に海神の怒りにふれ成就できず、この海神をここに祭った伝承が「広島城大絵図」に載せてある。碇は怒りであったし、海神は平田と重なると、自分、かなり機嫌よくなった。
by forumhiroshima
| 2014-02-02 11:39
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