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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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広島という町を設計する-4 おふくろの出番

広島を最初に設計した毛利家の面々の気分を街角や古道にさがして、その気分の一端をみつけだそうと、勢いよく?チャリンこ、で飛び出した。

城下町にはその町の武士たちの有り様があるとしても、やはりその縄張という設計の基本線があるはず。それは古代の天皇の城下町では朱雀大路。難波京・上町台地の大阪も平城京の京都もその痕跡はのこっている。そこには方形に区分された町並みの景色がある。一方東京・新宿や大阪・梅田のように街道が集まって散ってゆく町では、放射線に展開する街道沿いに伸びる町の景色がある。そこは方形に固められた効率よいが、窮屈な景色があり、拡がる放射線状の町並みは成長する“いきものがたり”な景色がある。

広島を設計した毛利家の面々の気分は、なかなか浮かんでこない。マイッタ!よ。長く暮らしている町なのに、です。
毛利家が1591年に広島を離れ山口・萩で城を築いたのが1606年。広島城設計から16年後に設計し建設した萩城下のラインは城のある山の名が月指山とよばれるように、(的場を指す地名と思えないか?ないか!)毛利家もふつうに設計基本ラインをここでは使っている。
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広島市発行の広島城下大絵図に広島城創設期に毛利家が建立した社殿の記録のある神社をピックアップしてゆくと、基本点だと自分がまじ独断で決めた「碇神社」、そして碇神社の真西1.6kmさきのにある横川駅裏の「三篠神社」も毛利家奉納本殿があったというから、とても気になった。この神社の発生は、ここに巨木があって、それを祀ったことが発祥だと伝承されている。巨木!目立つじゃない!測量の目標にる。

広島城の南を東へ、京橋川を越えた場所に的場がある。的場は古代幹線道路設計によって目標とされた場所の地名、文字どおり“的”で使われる。広島近くでの使用例で、たとえば、船越の日本精工の東の小さな川の名は的場川。ここには堀越とか掘口の地名があって、平清盛開窄の伝承があるように、何らかの工事を感じさせる。その的場(この町はいまは1,2丁目とひろくて的がしぼれない。が路地は複雑にのこっている)の西に稲荷神社があって、さらに西の京橋川の右岸に市杵島神社がみえる。そのラインをずっと延ばして本川に交差させると、そこのすこし北の広場に中津宮がある。中津宮はいまの青少年センターの建設で今のこども科学館のそばに移転さされている。この神社を元の位置に戻してみると、これですべてが直線ラインにおさまる。中津宮が九州・宗像神社の中津宮であれば、その祭神は市杵島姫だ。中津宮=市杵島神社。広島城天守閣決定ラインの見立山、宮島手前の海に浮かぶアマニジャク島ラインに移転以前の中津宮が乗っかっている。市杵姫は宮島の祭神。
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碇神社VS三篠神社ラインと中津宮VS市杵島神社・稲荷・的場ラインとはパラレル。そして南側のお濠のラインとパラレル。東西の町の道もパラレル。
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広島城と城下町の設計ラインは、南北ラインでなく東西ラインが隠されていたと、ものすごい妄想の結果、決定!
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中津宮の由緒書きが小さな祠のまえにある。
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ここに書かれた川本福一なる人物がじつは親父です。原爆ドームのすぐ真北にあった自宅を再建(親父は宇品で被爆している)して、再婚して土井姓になっている。なぜか?はよく知らない。
電車通りをはさんで廃墟となった護国神社(元市民球場で神社は城で移転)とこの中津宮の焼け跡の整理をして小さな祠を護国神社につくって毎朝参拝していたそうだ。
ある夜お袋が寝ていると、枕元に姫神が現れ(お袋はお立ちになったといっていた)小さな神社だが中津宮もお守りせよ!おっしゃった。そこで親父と二人して小さな祠を立てたといっていた。こけてしまっていた鳥居を動かすのがたいへんだった、手振りで話していた記憶がある。ような。

ずっと依然のある日、久しぶりで中津宮に参拝すると、この由緒書きがつくられていた。お袋の前にも、ここの姫神は夢枕されるようだ。(実は今オレに夢枕する姫神がおられる。まじ時々現れる。が、なにも言わない。きっと、はよブログ書け!ではないよね。血筋なのだろか)

広島城下町の基本設計は南北東十数度傾いて掘り込んだ西堂川、平田屋川、流川、薬研堀川だろう。この南北ラインは市杵島姫の東西ラインの直角に交差させで基本ラインとした、と妄想の結論をつけてみた。が、まじ“神がかり”っぽいですね。
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とはものの、なんだか、落ち着かない、です。
by forumhiroshima | 2014-02-07 19:00
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