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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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丹那の集落を東西にとおる旧道の信号のある交差点は点滅でいつも赤点滅信号無視だ。
楠那小学校のちびっこたちは、必ずスイッチを押して青信号まで、旧道と交差して南北に走るやっと二車線幅の狭い車道の脇でオシャベリしながら、まったく車の通らない時間なのだが楽しそうにまっている。こちらは、その時ばかりは、こちらもいつもおとなしく正しい横断を心がけるフリをする。
そこで町内会長さんとバッタリ。道の脇に手招きされた。「いまの家賃はいくらか?」そして知り合いのアパートで2LDKがあいているから、引っ越さないか?と言われる。丹那・穴神社の秋祭り・早朝の獅子舞の乱入祭りの丹那の一週間のちにある、東隣の楠那の祭りは獅子舞はなくて、神主さんの祝詞とカラフルな御幣の配布の東隣の日宇那との合同の祭り。この両集落ははっきりと区分されている。まるでライバル会社のように。
楠那の住民ともいえない自分だが、楠那が丹那の祭りで丹那のハッピ着ていることが、どうも丹那の皆さんには“のどの小骨”らしい。“正規”な住民になれよ!とのサインだった。

朝5時の黄金山のぼりで必ず出会う丹那の祭りの役員さんがおられる。“JR西日本”とあだ名、密かにつけていた。彼はゼッタイに自宅5時スタート。山道で出会う場所で自分のスタート時間がわかる。今日は遅かったかな、と。職場では時刻表さん、と呼ばれるといって“JR”とつけたことを笑っている。そのJRさんは、丹那・穴神社の神紋(厳島神社と同じ)がこの島の総鎮守の仁保姫神社(八幡巴紋)と違っていて、仁保姫神社の神主さんから同じしてほしいと要望されていることに、とても怒っているのだ。穴神社は仁保姫神社とはまったく関係ない!が彼の持論だ。べつに根拠はないようだけど。
彼はあの信号では必ず点滅スイッチを押して青信号を待つ!らしい。酔って、どこで見ていたか、土井さんは信号無視すると、ぐちった。子供達がみていたらよくない!ってこと。決め事は、守れ!。時間もまもれ。穴神社の神紋は伝承してきた決め事だから、変更はできない!ってことらしい。

仁保島の秋祭りは東の柞木の住吉神社から始まって、淵崎の竈神社、丹那・穴神社、日宇那/楠那の新宮神社、そして本浦の仁保姫神社と、それぞれ一週間違いで島を一周する日程で行われる。すべての祭りに“よごろ”と呼ばれる前夜祭がある。丁寧に祭りが行われる。どこの集落にも“田舎”が漂っている。伝承を守ることで、なにかが伝わってくる。それを田舎の住民は知っている。知っているから、つづけている。そして伝承される。そうにちがいない。でも、伝わってくる、それは”どんなこと”なんだろう。

JRさんが、穴神社はとても高い場所に本殿が鎮座していたが、移転があって、山が削られて、低くなって威厳がなくなったのが残念だと話していた。
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どれほどの高さだったのだろうか。ある日、神社の石段を登って、本殿の後ろの養護ホームのその裏の崖の斜面までいってみると、すっかり蔦で覆われたなかに、まだあたらしいコンクリートの階段がつづらにのぼっていた。
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その先の崖の上に小さいが一塊の高い枝が張っている繁みが見れる。見上げたそのすぐそばには新しい住宅地の家屋がのりだしている。繁みまでは蔦がすっかり覆っていて近づけない。神社からぐるりと回って車道を住宅地まで登ってみた。崖の端は駐車場になっていて、フェンスで囲まれている。が、フェンスに小さな扉がついていて、鍵がかかっている。その先にその繁みがあった。当然フェンスをよじ登って繁みにはいってみたが、すぐにブッシュの崖で撤退だった。あのコンクリートの階段はなんだ?

「アナというのは、近江の地名を見る上で非常に大切なもので、すこしずつ転訛しながら、あちこちに広がっている。草津市の穴とか、例えば大津市坂本の穴太・アノウ、石工で有名な穴太衆の穴太もそれで・・いま神社になっている高穴穂宮の穴穂・アノウもそうで、 金達寿・地名の古代史/近江」「琵琶湖湖畔の坂田郡近江町にあった古代阿那郷が古代の豪族の息長氏の根拠で、息長帯比売命・オキナガタラシヒメ(神功皇后)の故郷。アナは半島からの渡来の地名に関わる 金達寿・地名の古代史/近江」とある。地名としてみれば、穴門であった山口県の長門。備後・府中と神辺が古代海の底に沈んでいた海も、岡山・倉敷が海底だった古代の海も“穴海”と呼ばれていた。しかし、だからといって丹那の穴神社の影はうかんでこない。

仁保姫神社の参道石段下横に、「神功皇后が三韓征伐の帰途に当地で一泊し、霊験のあった爾保都比売神を鎮祭した。翌日出発する際に邪気祓いとして放った矢が現在地の山に当たったので、その矢を神体として仁保島の鎮守とした」と掲示してある。この神社は元の名「正八幡神社」とあって仁保都姫神が祭神だけではなく、神功皇后と夫の仲哀天皇、子供の応神天皇の三神との四神で、ご神体が“矢”になるのだろうか。仁保姫様は神社の掲示に御祭神の一番手にあげられている。それで、正八幡神社でなく仁保姫神社なのだ。

穴神社の神紋は三つ亀甲で、厳島神社とおなじ。神社の祭神は大国主で出雲大社の祭神で大社の神紋は一つ亀甲。大国主の嫁は厳島神社の祭神のタギツヒメで関係深い。だから、八幡宮関連ではない!このままでいい!というJR氏の主張はまっとうなものだ。

仁保姫神のニホは丹生の丹で水銀の神様。仁保島で水銀もしくは酸化した朱砂が採取されていたことになる。しかし神功皇后の息長氏一族の名の“息が長い”は本貫の地、琵琶湖の「ニホ鳥」つまりカイツブリ・息長鳥がトーテム・Life・Indexであるからという。ニホは「丹」でなく「ニホ鳥・カイツブリ」だと。
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また、ニホは「香・ニオイ」とかかれて仁保島は「香島」ともいわれる。“ニホ”も混乱している。歴史が古い。

宇佐八幡宮の八幡大神・比売大神・神功皇后が、建造中だった東大寺の大仏造営を成功させると託宣し、大仏鋳造完成直後に上京し境内の向山で寺の鎮守となった道すがら、奈良・西ノ京の薬師寺のほとりで神與が休まった場所を休岡と名づけ、そこに休岡八幡宮か建立された。そこの祭神はなぜか、八幡大神、神功皇后そして仲津姫に変わっている。仲津姫は厳島神社の祭神で九州・宗像大社の神でもある。中世につくられた、その神々の神像が残っている。神像は“いい”ですね。
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休岡八幡宮の祭神が比売大神でなく仲津姫神(仲日売命・ナカツヒメミコとも書かれる)となったのかは、きっと不思議な話があるにちがいない。奈良の西では八幡も厳島も並んで鎮座しておられる。その訳でも探してJR氏といっぱい、やっか!丹那と楠那にあるように、神々もそれぞれが、それぞれで、面白い、と。
引越ししなくていいですか?

JR氏が話した穴神社の元の鎮座場所は住宅地造成で削られてしまったのだろうが、そこの足元に神社の拝殿を見下ろす場所から振り返ると、正面にNTTの電波施設のある飯盛山の山頂がみえる。振り返って南の広島湾の向うに宮島の弥山がみえた。弥山=穴神社=飯盛山のラインが成立しそう。神社はとても高い場所にあったというから、海上から見通せたにちがいない。飯盛山は各地にあるが、どれも神の鎮座の伝承がつきまとう。なんだか、新しい妄想の種ができた。
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仁保姫神社に飯盛山を仰ぐあたらしい拝殿が造られている。どんな神様が鎮座するのだろうか。神々のレジェンドは今も続いているのだ。
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by forumhiroshima | 2014-11-14 11:21
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