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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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ニホ海のから見える、府中のむくの木-2

神社そばの榎川を西に渡るとすぐ右に安芸国国衙の四方守護の祠・辻の道祖神が見つかった。祠の先日の雪の名残を子供たちがあつめていた。

ニホ海のから見える、府中のむくの木-2_d0089494_19123378.jpg
道の西正面のずっと向こうになにやら尾根がみえる。中山峠の尾根のピークか?。そこから500
mも走ると鶴江2丁目の交差点にで、直進するとすぐの交差点に薬師の祠が見つかる。
ニホ海のから見える、府中のむくの木-2_d0089494_03480573.jpg
大きな石が祠に鎮座する。基石を置いた測定ポイントらしいと、ひとり喜ぶ。京都なら四方守護のこの位置には秦氏由来の松尾大社になる。お酒の神様。ちかくに居酒屋は・・?なかった。祠から古代山陽道を離れ、のぼりの細い古道を登る。このあたりの今の地名になった石井城の跡へ。ここも四方守護のポイントだという。

城址には石碑と数本の木立が広場にあるだけだった。

ニホ海のから見える、府中のむくの木-2_d0089494_03491138.jpg
京都の四方守護に将軍塚があてられる。石井城址から景色が、なにか将軍塚に似ている。広い展望がおおきな木の向うに広がった。甍の波の家々が眼下にひろがって、どこか、なつかしい風景。とても気に入った。しばらく木のそばに座り込んだ。なぜか、今年もくれるなぁ、とふとつぶやいていた。

ニホ海のから見える、府中のむくの木-2_d0089494_03484770.jpg

ここから残った四方守護の祠、南山大歳の祠を探しに向うか?と予定していたが、甍の民家の混雑の中に巨木がすっくりと聳えているのに気付いた。府中の“旧市街地”とでもいうのか、手元の地図の、とても路地が入り組でいる町並みにはいって、安芸国国衙設計図にある湧水や神社をどう探すか、作戦なしだった。がしかし、路地に入ってもこの巨木はランドマークになる、と考えた。

ニホ海のから見える、府中のむくの木-2_d0089494_03500488.jpg
やはり路地が混乱していた備後・府中では廃墟のような無人のNTTのビルのアンテナタワーをランドマークに走ったことを思い出した。巨木を見上げながら込み合う路地にいる自分の位置を決めるのはとてもスリリングな楽しい冒険だ、面白そう!。コンクリートの背伸びして空を支配している建物もない。備後・府中の旧市街地では路地発見の面白さを堪能した。

巨木に向った。教育委員会の標示板は設置してあって、樹高27.5mのむくの木とある。「その昔、船が沖から帰ってくるとき、猿侯川の河口に近づくと北方にこのむくの木が見えたと伝えられます」。昔からランドマークだったのだ。

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先日の降雪が残っていて、ひんやりとした空気に路地の暗渠を走る雪解けの勢いのある水音が響いている。静かな家並みの間の路は、より静寂感を増してくる。土壁に小さな木製の出合清水⇒の標識。その後に表示は見つからない。でもむくの木が頭上にある。近くらしいと迷路を左回り。すぐにみつけた。このごろの水質検査で合格する都市の湧き水はないといわれるように、澄み切った流水の井戸に生活のにおいはなかった。検査で必ず大腸菌は発見される。そして不合格になる。人の大腸にいつも存在するから、大腸菌なのだけど。

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またむくの木を、今度は大きく旋回する路地ツアーを始めた。すると厚化粧の、霊験あらたかと自己宣伝する神社にであう。

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田所明神、古代の国庁の場所だという伝承地で、神主の田所氏は、中世からの古文書を持っている。明治の廃棄騒動を切り抜けたこの町唯一の文献で歴史資料館にくわしく展示されている。神社横に作られた駐車場の壁面にも概要の説明が並べてあった。田所氏は厳島神社の古代神主で佐伯郡の地名ともなった佐伯氏の流れで、古代の豪族からつづく家系をもっているとあった。

宮司の田所恒之輔氏の講演記録をみたことがある。経歴に防衛大学卒、元自衛隊レンジャー部隊教官とあって、それだけで自分の頭はシャターを下ろしている。神主さんは郷土史家になるのだけど、ウイングは左右どちらにもあるようだ。この明神の神は人間くさい。それもそれだ。

むくの木を中心に旋回していると、酒屋さんの店先の井戸の跡をみつけた。この井戸にも神武天皇のような論争があった。出合清水とあった湧水井戸を環境庁の名水百選に届ける際に“出合”としたのだが、今出川清水と取り違えていた。その取り違えた先の井戸が出合清水で酒屋さんの店先の埋められた井戸跡だという。だから、出合清水と標示された井戸が今出川清水なのだそうだ。だがどちらの井戸にも今出川清水の標識はない。地元の皆さん関心ないようだ。酒屋さんの井戸は大変おおきかった記録は厳島の絵図にあるそうだ。幾度も水害にあって、そのつど掘り起こしたと古代山陽道の案内にあった。酒屋さんはむかし造り酒屋でこの井戸水を使っていたのだろう。このあたりは古代の榎川の川筋で、氾濫で今の貴船神社横にかわったという。貴船は水の神様。秦氏たちはここなら、いつも安全地帯と誰曾迺森に鎮座させたのか。さすが本物のディベロパーたち。いや神の霊験がそうさせるのか。

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榎川河畔にでて大歳という地名をさがして南山大歳の祠らしきものを見つけて、四方守護神にお会いした。

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引き返すルートを旧市街地へ。すぐに豆腐屋さんを見つけた。水よさそう。

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古代の国衙が方形に計画されていたとしても今の古道・路地はその痕跡を残していない。古代条里制による方形の計画はどこも無理な水路設計で破綻し、水害を多発させている。個人の土地所有がはっきりしない古代、水害の跡には新しい通りやすいルートが道になったのだろう。管理される官道の山陽道をのぞいて、は。カオスの古道とストレートに管理にされた官道がいまに残された。


by forumhiroshima | 2014-12-23 03:55
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