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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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神々の眷族たち

尾長天神の参道石段の日差しが翳ってきた。まだ中華屋さんの開店には時間がありそうだ。

石段のしたに広がる光町が古川とよばれた猿侯川の広い流れに沈んでいるように思える。

自転車で走っていると、とても広い視野が前面に広がっているのだが、動き出すと路面にしか焦点があわない。流れる景色などの観賞なぞできはしない。止めると視野はひろがるが、すぐには焦点をあわせられない。止まった景色をフォーカスするまで、これまで感じた、ながれる不確かな景色が眼前にひろがっている。景色は重層している。景色がにじんでいる。

止まっていても、不確かな景色しかつかめない時間が多い。

この上流の土石流災害があった「八木」は、礫地を意味し農耕の人たちにとってはただの荒地のことで、だから海人たちは居留地として使った。「八木蛇落地悪谷」の地名が過去にあったという報道をみた。悪谷の地名は各地にある。利用しにくい場所ほどの意味だときいている。やはりあの日、土石流のあった可部・三入は三つの川(太田川・三篠川・根の谷川)が入る場所の地名で、水害地帯をしめすという見解もみられる。だが、災害のあとの地名解析は後つけで、あやしい。が、それでも地名はもともとその土地を表すものでもあるから、過去の災害の記憶であることを強く印象つける。

勾配を登り下りしてきた自転車の走行は、フォーカスの不確かな景色の中で、ひろく土地をとらえる地名に感応やすいのだ。

八木には広島西縁断層が走っているし、断層をおしつける水圧をもつ高瀬貯水池ができているのだから、科学的には危険地帯とされていたのではないだろうか。地名分析なぞ古過ぎ、な騒ぎです。地名、それは自力でヘタヘタと走る人のたのしい妄想のエネルギーです。

「尾長」でなく、「長尾」の地名があった伝承がある。

古代山陽道が府中・国府をぬけて、榎川の上流の呼び名の御衣尾川あたりを抜けるあたりに「長尾」という幅1町ほどの平地が表からかくれるようにあった。そこは「へっか城」と呼ばれて、里人は「“平家”が“へっか”に変った。そこは源平の戦いののち、平家の落人約60名が身を隠してひそんでいた場所だ」という。彼らは一時期、府中の平家と名乗っていた田代氏をたよってやってきた。しかし平家追討の令がだされ追討史が迫る事態に田代氏は保護を放棄、「事之れ迄なりと隠れる平家一族を月明かりの夜に乗じて、・・西に逃れしまた。この間数ケ月の平家落人の隠城たりしも、里人はその消息を伝えて平家城とよべり」故に長尾の地名がひっくり返して尾長と呼ばれた?。

猿侯川はカッパの川だ。河童の名は東日本で中四国では猿侯が多いのだそうだ。というより。想像の動物は地名のように、それを使う人々のイメージを持っている。四国では「シバテン」山口では「タキワロ」などの呼び名があるとウイキは書いている。広島では金玉を抜くとか、生き胆をとるとか、教えてもらった。川の淵に引き込むとも。引き抜くのがお得意らしい。

「河童」の呼び名を全国レベルにしたのは柳田國男の「遠野物語」だろう。その「河童」をやはり民俗学者の折口信夫は河童は水の神のとんでもない姿で、水界の富をにぎっているから、河童を駆役できれば、大金持ちになれる、富の元の水を頭の上のお皿にためている。といっている。あまりお金のことだけ考えてると、水中に引き込まれるよ!といっているようだ。

そう考えていると、尾長天満宮の奥にある天神川の細い流れのそばにあった清盛公建立の社跡の石柱を想い出した。猿侯を駆使した彼のお皿は?。

平家物語に平家が瀬戸内海を下関に落ちてゆく場面に厳島神社への復活の祈願の場面が、自分が知るでは限りない。神社の神官は源平終戦後、朝廷に命じられて、海中の没した「天皇の刀」を探す命令をうけている。見つけた!という。

諸行無常の鐘がなる。

日差しが影って寒い!石段を立ち上がった。ふと、中華屋さんでしようと思う注文を考えた。所持金ではたりないよ。中途半端だな。河童のお皿がオレのはこわれているから、な。諸行無常・・・

石段をおりて、ふと「お狐」さんに逢おうかと、西へむかった。

坂の石段のすぐそばの東照宮へむかった。長い参道の石段からは、いま再開発の駅北一帯が一望できる。ここは明治23年に陸軍広島東練兵場と整備され、明治31年の地図に騎兵第五大隊と記入されている。

神々の眷族たち_d0089494_01001338.jpg
司馬さんの“坂雲”の主人公の一人、秋山好古はここに居たかもしれない。古代の伊予の海賊の藤原純友を小野好古が平定した。秋山のお父さんはこの故事によっての命名かもしれない。(だから、なんなん・・でした)

東照宮の参道が南に延びてJRの路線にかかるところを桜馬場とよばれる。江戸時代の地図では参道は猿侯川まで直線にのびている。練兵場は浅野藩の馬場であった。

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東照宮の真後ろの双葉山をのぼった尾根にお稲荷さんがある。

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金光稲荷という。車道から狭い石段が延々と双葉山の尾根まで続いていて、お稲荷さんの祠がそこかしこに点在している。
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この石段の参道に狐火がでるという噂が以前にいわれた。己斐峠の幽霊に合わせて広島都市伝説だといっていた。もうはるか昔。このあたりにマンションはないころのこと。そのころ夜に来たけど、・・。
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ここを思いついたのは、先日TVで鬼平SPで“狐火の勇五郎”を見たことの影響だ。“狐火”だ。大フャンのおまさの恋人の右手を平蔵がぶった切る、あの嫉妬感は不条理で・・・。それともう一つ、お稲荷さん詣での最終地点に、粋なお狐さんの石像があって、再会したいなぁと。

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トップまでけっこうお時間かかります。ここに戦時の高射砲陣地が残っている。向うにお友達の黄金山がすっくり、お世話になってます。眼下の東照宮の参道のラインをさがすと、その真正面に似島の安芸の小冨士です。もしかすると、東照宮の設計者のコスモスラインは・・?これか?

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地図で設計ラインには見当をつけていた。参道のラインに二つの稲荷神社、ひとつは的場の稲生神社、

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そして川岸の秀玉稲荷神社があって、
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この尾根に鎮座する金光稲荷に、狐火を・・おっと灯篭なんぞを点けて、二つの平地の稲荷にも点火した灯篭をおいて、そのラインを合わせる。それが設計ラインだと。

しかし、秀玉稲荷は広島城開城以前にこのあたりにいた川内衆(元武田家水軍)たちの為に毛利輝元が開発領地をつくる祈願の稲荷だと由来がある。予想していた設計ライン思想は、はかなくも崩壊。

的場の地名は土地の開発基本設計ラインのあて先、稲荷はその設計道具の縄張の縄を作業終了後に納めて安全祈願の倉庫だとおもっている。その想いははずれた。ここの的場は文字どうりに馬場での鍛錬と弓道の練習場のセットの記憶であったのだ。

稲荷神社の発生伝承に、山城・京都の草深で京都開発の秦氏一族の伊侶巨秦公・イロコノハタキミが餅を的にして矢を放つと、的の餅が白鳥になった。その白鳥が稲に生まれかわり神になったとある。意味が伝わらない伝承で、なにかありそうだが、それはさておき、弓、矢、的、稲荷の連想で弓道場の守護神に。だからここのイナリは稲生となるのか・・な。

狐はこの稲荷の神の眷族になったことも、解明されていない。いや、そこらは狐につつまれてください、ってこと。


by forumhiroshima | 2015-01-14 01:10
<< 中山、茗荷、妙高 天神さんに初詣 >>


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