こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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所の翁

厳島神社と烏の関係は、三翁、でも翁の一柱の平清盛は清盛神社に新しく祀られて、のこった内侍(神社の巫女)は寂しかろう。岩木の翁と所の翁の二翁になっている。岩木の翁は速谷神社本殿脇に祠を設けられ、鎮座はそばの権現山山頂にある。(速谷神社広報より)

「神話・伝承の空間はボロを着ているといわれる。つまり単一性や連続性もなく、それは穴だらけなわけで、非ユークリッド的空間と呼んでもいい。 西郷信綱・古代人と死」
「幻想を外在する物で保証していく想像の往路は、外在する物づくりで、逆に想像の伝承性を確立させる復路を開いている。益田勝実・秘儀の島」
えらく難しい話を引用したのだが、たとえば毎年更新されるNHKの大河ドラマは舞台の場所が探され、由来が掲げられ、時には資料センターなどもつくられる。古事記で語られる神話すべてが、どこかの場所に、時には複数の場所に再生され実現される。速谷神社本殿脇の岩木神社は、江戸時代にさかのぼる伝承の再生なのだ。この国では、神話は常に再生されている。

HPで“厳島神社の祭神伝承”を発見。
「七つの美声で鳴く鹿がいるとの評判がたち、天皇が「誰か、あの鹿を捕らえて見せてくれないか」と仰せになりました。宮廷警固の役人であった佐伯鞍職が、この役を買って出ました。鹿は素早く、なかなか捕らえられません。そこで鞍職は「見たいとの仰せなのだから、生きたままでなくても良いのではないか」と考え、弓矢で射て捕らえました。この行動を、妬みもあってか、公卿たちは、「この鹿は黄金の鹿で、神の使いである。重罪にすべきだ」と申し上げ、天皇も鞍職を重罪人として、安芸国の沙々羅浜(広島県大竹市)に流しました。
 
 それから2ヶ月あまり経った頃、黒松島(厳島)の西方より、紅の帆を張った船が3人の姫を乗せてやってきました。鞍職は、姫から、「我々は元々西国にいたが、思うことあって遥るばるやって来た。この地に住もうと思う故、これより我が住むべき適地に案内してくれ」と頼まれたので、黒松島(厳島)の七浦をめぐって案内したところ、三笠の浜に来たとき「あらうつくし」といわれた。」
 
 鞍職は、姫から本殿を造営し、自分を厳島大神として祭るようにいわれましたが、重罪人である上、朝廷に申し上げて許可をもらうためには、相当の理由、霊験などがないと不可能である事を述べました。
姫は、「汝が宮廷に奏上申し上げる時刻、宮廷の艮の空に客星の奇妙な光が出現し、宮廷の公卿たちを驚かすであろう。その時多くの烏が集まり、宮廷の榊(さかき)の枝をくわえるであろう。その事を証拠とするよう約束して、奏上せよ」といわれ、鞍職はこのことを天皇にに奏上しました。
その時、まさに姫の言ったとおりのことが起こり、天皇は感激せられ正しい神託と判断されました。この事で、この地方の郡名が佐伯郡と定められ、鞍職は厳島神社の神主に命ぜられました。(HP厳島神社と御祭神より)

大竹市元町に「所の翁」の伝承のある“桜塚”がある。そこが佐伯鞍職の流罪地の沙々羅浜になろうか。そこへ西国街道を走る。再生された伝承の地にその主人公たちの移動した道筋
を自分の身体を使って走ることは、非ユークリッドな伝承を実感できる抜け目ない手段なのだ。

広島から山口との境までの街道には”山坂五ヶ所”といわれる山中の難所がある。井口の自動車学校の南にある小山、宮内から大野へぬける四郎峠、大野の南の四十八坂、玖波のトンエルの上をぬける馬ためし峠、そして小方から高速道路下へ西に向かって入る苦の坂。四郎峠は車道に拡張されているが、その他は踏み跡で残っている。西国街道は江戸時代の慶長12年(1607)の定められた道幅2間約3.9mが山坂五ヶ所では消えてしまっている。西国街道のコースガイドが信じられなくなるほどの山道になっている。そして自転車はご主人様に昇格し、我が肩に担がれることになる。

小方の2号線の旧道の一つ西の路地のお寺横を入るといきなり神社の石段の参道にでる。密かに物陰にたたずんでいる。石段を登ると正面に宮島が現れる。「厳神社」とあった。”厳島”を連想した。安芸・佐伯・小方は豊後・大分の安岐、佐伯、緒方の地名を連想してしまう。烏のマジックが効いている、ようだ。幻想を外在する物・ここでは地名、で保証していく想像の中に引き込まれる。
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小方の西国街道も旧2号線に吸収され西へ向かうルートも山路ではないが、道路拡張工事で消えようとしている。それでも小さな祠が残されている。
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ルートは高速道路脇につくられた側道から山道にはいることになるが、そこにパイプを組み上げた階段が現れた。ここから”苦の坂”。階段には土砂くずれで通行禁止のカンバン。側道が出来るずっと以前にこの坂をチャレンジしたのだが、側道がもう坂のトップあたりまで連れてくれている。道には崖などは、たしかなかった。侵入。
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旧道愛好家で人気の郵便マークのついたコンクリートの小屋が、健在だったのは嬉しかった。土砂くずれも想像どおり、行政の安全策からの禁止でしかない。通行は自己責任なのだ。でも事故ると、行政の責任問題などの騒ぎがおきかねない。迷惑かけられないが、この程度なら、”禁止”は不安感をもつ、こちらに迷惑ともいえるかも。だが、なにかあると、マスコミはうるさいからね。気をつけなくては。
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坂が終わって小瀬川河畔の県道に出る場所の右に小さな神社への参道があらわれる。神社はチキリ池神社とよばれ、チキリは機織りの道具。神社の由来書がある。「推古天皇の御世、市杵
島姫命が厳島へむけて、九州筑紫からはるばると二歳の嬰児をつれて中国路へのぼってこられ、ここにこられたとき、長旅の疲れから、苦しいからと、それまで大切にもってきた”金のチキリ”をそばの池に投げ込まれた。それゆえこの坂を苦の坂とよんだ。後にその池を埋め立て、社を建立しチキリ神社と名付けた。いつのころからか、社の石垣の穴から厳島神社の管絃祭の夜に,汐水が湧き出る」
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小瀬川沿いに下流へ向かうと、両国橋が工事中だった。小瀬川は安芸と周防との国境になったのは奈良時代だという。山口県側の小瀬に吉田松陰の歌碑がある。揮毫は岸信介。革新も保守も山口県。なにかがなにかにとりこまれる。「夢路にもかえらぬ関を打ち越えて 今をかぎりと渡る小瀬川」
松陰は唐丸籠で苦の坂を越え江戸へ送られている。カゴメの童謡、鶴も亀もすっべった。目による公開処刑の道。苦の坂、チキリ神社と松陰神社。なにかがなにかにとりこまれる。
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松陰は小瀬川と咏むが、広島藩は木野川とよんでいた。昭和43年に川の名称を河口の右岸
の地名とする行政上の原則が決定されてしまった。大竹側の集落は木野なのだ。沢山の地元発信の川の名称が失われた。
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木野の後背の尾根にりっぱな厳島神社が鎮座している。木野の路地は静寂に沈んでいる。目的の大竹、元町はまだ先になるのに、厳島神社がらみがあらわれる。この先になにか期待がふくらむ。
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by forumhiroshima | 2015-02-21 21:22
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