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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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海人たちの痕跡

海賊たちの痕跡ののこる場所はどこも静かに瀬戸内のどこでもある景色にとけこんでしまっている。彼らはどこにいってしまったのだろうか。

例えば、伝説の神功皇后の半島遠征に従った九州・玄界灘の海人、安曇たちは、敗戦後、陸上がりを開始している。その痕跡をアズミ・アド・アツミ・アタミなどに残している。彼らの故郷、志賀島のシガも滋賀県などの地名の記憶とされる。
宮本常一は彼らの陸上がりの手がかりは、彼らが生産していた塩を運んだ塩の道の存在を上げている。海と山は塩を媒介として塩の道でつながっている。

663年半島で唐と新羅の連合軍に敗北した白村江の戦いに出兵さされた海人たちは2万人ともいわれるが、彼らは帰国してどこへ。都の河原になだれ込んだ人々は、そのような人々であったかもしれない。

平家の残党は隠れ里とされる山中に潜んで暮らしたという。自転車で走るフィールドで平家伝説の村々は、どこも美しい。でもけっこう厳しい登りがまっていますが。

落人・隠れ里という言葉にはどこか、敗北した武士たちの辛苦が漂ってくる。武士の世界では、都で流浪することは、追手からの逃亡の危険を増すものだった。が、山中に逃れ、世間から距離をおく生活も、しかし、いつしか、そこが人の噂にのぼり、そこを示す地名が付けられる。

江田島市大柿にそびえる陀峯山のテレビ塔へ大原から登ると、山頂のテレビ塔の展望台にでるがその北側のピーク、Google地図では高清水山とある。ここは可部ケ辻と呼ばれていたと思うが、ここにずっと以前小さな沼があった。その以前のころにテレビ塔開設でできた道路の、そばだった。この沼が瀬戸内海の島では最も高い水田跡だと大柿町史は指摘してる。標高は360mを超える。自転車で尋ねて、登坂の厳しさが病みつきになったとしても、初春から初冬までの毎日の田作りの登坂は想像できないだろう。この田への水源は充分にみえた。高清水山の地名は、そのとおりだ。
海人たちの痕跡_d0089494_2195359.jpg

昔の名前では、「忍、渚、いや、ひろみ」ではないのだけど、可部ケ辻の“可部”の地名は、安佐北区可部ではここの古代地名の漢弁綾織部の漢弁からと説明される。がしかし、ですよ、宮島の南海岸そばに可部島がある。九州・呼子湾に宗像神社の古社が鎮座する島も可部島という。この島は中国や半島からやってくる商人たちの隠れた港だったといわれる。厳島神社の女神たちは宗像からおいでになっている。なにか、臭ってきませんか。
”可部”は神部で宗像神社の神人たちが、神聖な島として守り世間の目から遮断されて、密貿易もあったやにと、海賊研究・九州大学教授の長沼賢海先生が語っている。

「芋粟の類を栽培し、命つなぐとしても、神祭には、神も人も何とかして白い米を食わねばならない。町にでて換えようとすれば、すなわち山中に通路の跡を生じ、永く桃源郷の静穏を保つことができぬ。隠れ田切石積みもほどなく領主の発見するところとなり、悲しい制裁を甘受せなばならなかったのは、主としてこの弱点から起こる。石を積み畔を張って水を引き、稲を植えようとするがゆえに、人の目に立つのである。 柳田国男」

神の田として山頂に涌く水によって開墾した人が、そこを可部の辻、つまり神の饗の山と見つけられた。そう思うほかないほどの標高とそこへの登り下りがある。このごろは皆さんロードでヒルクライムされるが、ここの下りでロードはお役御免でしょ。皆さんすごい、です。ここを走ると、きっと神部に加えられる資格になる、よ。
by forumhiroshima | 2015-04-01 21:11
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