こひちろうの独り言 |
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長野・信濃、諏訪神社 NHKで諏訪神社の御柱祭が放映された。一人の女性が御柱を曳く綱をもって、行列の人々の中を歩かれている映像に、とても驚いた。“守矢家”当主とテロップが流されたからだ。
古事記にある出雲国譲の話。父の大国主・オオクニヌシも兄の事代主・コトシロヌシも天孫に国譲りをきめているのに一人、建御名方・タケミナカタだけが抵抗し、敗北し信州・諏訪に逃走した。諏訪には土地神の洩矢・モリヤ神がいたが、モリヤ神は抵抗戦したが、敗北し、タケミナカタは明神とされて、諏訪社本宮に鎮座し、その祭祀は「神・シン氏」がとりおこなった。「その神氏はこの地に乗り込んできた大神氏であろう、といわれる。西郷信綱」モリヤ神を祀る守矢家は神長官・ジンチョウカンと呼ばれ、“現人神”となった大神氏を補佐した。
この洩矢・モリヤ神がTVにでていた守矢家の守護神で、守矢家は御左口神・ミシャグチを祭祀している。 地元の考古学者の藤森栄一は、信濃は全国でもっとも古墳の出現が遅れた地方だが、古墳と乗馬がこの地に現れたころが、神氏の諏訪神社大祝が顕現した時期だという。 ※藤森栄一氏は新田次郎著の小説「霧の子孫たち」で紹介されている。
早春、諏訪上宮で「大御立座神事」が行われる。神使が神領を巡回する。この神使は守矢家の子が、旧暦3月後ろ手に藤ツルでくくって乗せられ7日間巡行する。古くは「馬場を曳きまわし、棒で打たれ、巡行中に不明になるものもあった。藤森栄一」 守矢家が祭祀する御左口神は石棒で、「縄文期から弥生期にかけての祭政の神であった。 藤森栄一」という。
「上宮の御正躰を不用、神託云う、吾れに神躰無し、祝を以て躰と為すなり 諏訪神道縁上」諏訪上社のご神体としては大祝の「神」氏であり、山では無いとされてきた。が、社殿の背景の奥にある守屋山がご神体とひそかにいわれてきたという。“守矢氏”も守屋であったかもしれない。「矢」が放たれ、入れ替わった?。隼人の「石体宮・シャクタイグウ」を連想する。 平安期の都では、「坂上田村麻呂の蝦夷平定には、諏訪明神の霊験によると歌われ」とか「関より東のいくさ神、鹿島香取、諏訪の宮」と、うたわれた・西郷信綱。 ヤマトタケルが甲斐の国に至った時に、アズマの蝦夷の首領たちはことむけた(従った)が信濃と越はまだ王化に従わぬ、といっている。「神」氏就任により、諏訪の王化が始まった。
出雲で戦いに敗北したタケミナカタは諏訪へ入ったときに、「諏訪を除きて他処に行かじ」と誓っている。その時、タケミナカタはすでに出雲の守護者ではなく、朝廷の守護神としてあったのだろう。出雲では大国主は隠れ、事代主は青芝垣の向うに沈んでいた。次男の彼は、孤立無援 ということだろうか。彼はヤマトの使者の神の仮面となった、のか。
タケミナカタ、いや「神氏」に追われ、祭りには、後ろ手にくくられ、馬に乗せられ、死することがあったという。長い時間であった瀬戸際の時間をしのぎ切った守矢家の当主が、TV映像であっても見られたこと、が感動だった。その当主はまだ「矢」が刺さったままのように見えた。
「大御立座神事」の神への神饌の写真にある鹿・シシの首がジブリの映像のシシ神のラストシーンの美しさにかわった。 NHK・スペシャルの御柱祭りの放映をみて、神社の破魔矢への思いが沸いてきて、すっかりこれまで尋ね走った神々の庭を思い出した。
残念にも、信濃は学生時代に菅平でのラグビーの試合と山々と峠の幾つかしか知らない。信濃の峠は登り半日、と聞くが、峠好きの自分が、年を理由に“出来そうもない”と撤退する姿をみたくない。が、「御左口神」と小さな祠にも、どこにも、あるという四隅の御柱が心残りだ。いってみたい、サア、どうしようか。
by forumhiroshima
| 2016-07-19 08:44
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