こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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神々の変遷

島根半島・佐太の御子神を祭る佐太神社には三つの本殿があって、中央・正殿にイザナミ・イザナ、北殿アマテラスとツキヨミ、南殿にスサノオと江戸時代初期の記録にある。いつのまにか、御子神がきえてしまった。そうなったのは中世からだろうと言われる(日本の神々7)。明治になって維新政府から正殿にサルタヒコとせよ、と命令が下ったが、神社は抵抗して佐太御子神としたが、このことで社格は低くきめられた。出雲二の宮に昇格したのは50年後だった。現在の祭神は13柱もおられる。神々が時代に洗われる。

余談。明治のこのころ、博物館の所蔵品は国の宝とされ宝物館に名称変更され、多くの宝の所有は皇室となった。以後国宝は宝物館に運び込まれたという。そんなこともあったようだ。昔話としても、忘れたい話です。

佐太神社裏山の「萩の一本・ハジノヒトモト」の社はイザナミの御陵といわれ、佐太神社のHPによると、中世・陰陽道の卜部家の説によって、八百万の神々は陰暦の10月になると、「当社にお集まりになり、母神を偲ばれるのだとされ、この祭りを「お忌祭」と呼び、」とある。海蛇との関係は分からない。
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平清盛が太政大臣になった1167年ごろ、京都の賀茂神社の賀茂明神が都から遁走する事件が起きる。朝廷は大騒ぎになる。その事件よりずっと前の944年に奈良・長谷寺で長谷観音が女人の身に変じ、京都・広隆寺の薬師如来に、当分不在になるから、あとは宜しくと願にきたという。(“未来記”より。)遁走する神もあるから、集まる神もある?ってことか。

出雲大社の神在祭11月11-17日は荘厳な絵巻物としておこなわれる。佐太神社では5月20-25日に裏神在祭11月20-25日に神在祭と二重に行われる。このほか朝山神社(旧暦10/1-10)、万九千神社(11/17-26)、神原神社(11/10-26)、神魂神社(11/11)、朝酌下神社(11/25)、日御碕神社(旧暦10/11-17)熊野大社(旧暦10/11)に行われている。調べた限りで一応参拝してみたが、出雲大社、佐太神社のほかは、“お忌み”どおりに、しずかな境内であった。来訪する神々は客殿に鎮まって、各々の神名も見せない。
出雲大社
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佐太神社
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だからといって、過ぎ去った中世の名残香をもたのしまない手はないよ。神在り、神去る、季節がもう出雲にやってくる。神魂神社の神紋の「有」がカッコいい。

佐太神社の御子神のお母さんのキサカイヒメ(キサカヒメ・風土記での名)の御祖カミムスビは「神魂」とかかれるが、この名の神社、神魂神社は今、イザナミ、イザナギを祭神としていて、なぜか、カミムスビ神ではない。イザナミ・イザナギの神々は神在祭に松江JR駅から南正面に直線でのびる道の行き当たりに鎮座する売豆紀・メヅキ神社を経由して佐太神社へ巡行したといわれる。
このルートを探して走ったことがある。売豆紀神社横は石段で参った。ただこの神社は昔に東からの移設だという。風土記時代のルート探しを中断していて、今も気がかりなのだ。
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ルート予想を伸ばすと、大橋川を渡れば、風土記時代の法吉郷の庁舎であった摩利支神社を通り佐太神社へゆく古道がある。法吉郷の「法吉」は風土記にウミカイヒメが法吉鳥・ウグイスとなってここに来たとある。法吉・ホウキは伯耆の国のことだろうか。法吉神社そばにうぐいす団地があるのは、出雲らしい、オシャレだ。伯耆の国が鳥取県と呼ばれる一つのその訳かも。
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ウミカイヒメは佐太の御子神の母・キサカイヒメと、オオクニヌシが八十神に騙されて坂道を転げ落ちてきた真っ赤に焼けた大岩を抱きとめで瀕死の怪我をしたとき、オオクニヌシの母親に頼まれて治療し、完治させた。この姫神二柱はカモスの神の子供たちだ。この治療した場所は伯耆の国の今の鳥取県南部町の赤猪岩神社で、焼けた大岩は赤い猪とされ、きっと「もののけ姫」の腐れ神となった巨大猪のモデルだろう、と思っている。
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その赤猪岩神社が麓にある母塚山はイザナミの陵墓がある場所の伝承がある。出雲と伯耆の国境になる山、出雲の東部の母里の東にあって、「母里」という地名にひかれて訪れたとき、地図の母塚山の名を見つけて、面白いとむかったことがある。米子と母里とに昭和初期に結んだ電車道が残っていて、雰囲気がいいのだが、峠にトンネルがある。暗くて怖くて入っていない。そこからは丘は連なり国境らしい景色もない田園地帯が続いて、自転車に走らされる景色のなかで、米子の市街地に引き込まれた。地名のことはどこかに忘れてしまっていた。そして国境も気づかなかった。あのトンネルが国境だった。

イザナミもイザナギも神様だから死去するなんてことが、不思議なんだが、この兄妹は夫婦でもある、アマテラスもツキヨミもそしてスサノオもその子供たちだ。神様だけに許される関係という不思議さだから、不思議なんだろう。

「かれその神避りしイザナミの神は、出雲の国と伯耆の国の境、比婆の山に葬りき 古事記」とあり、明治33年に政府内務省は「出雲母里郷日波山の比婆山は、古事記所載の出雲伯耆の堺、比婆山にして即ちイザナミ命の神陵なり」としている。
赤猪岩神社から10km南の伯太町横屋の久米神社の所在する比婆山は母里の町から5kmほど。伯耆の国境からすこし離れている。中国山地へ南下する高度をあげる道は尾根に撥ね返され北上するルートをいつの間にか走っている。そのうち今の位置を失った感覚に覆われる。松本清張の「砂の器」で放浪する親子が現れるシーンがそのうち自分にダブッてきた。これからは“力走り”になるぞ!。ダイジョウブ?

備後の国から出雲の国へ山地の峠を越える。西城からイザナミの神陵遥拝所の比婆山山麓の熊野神社を通り、西の吾妻山の西へ回り出雲へ下る。“大峠”と呼ばれる。下り終えた大馬木は牧・マキで、夏に出雲各地から集まってくる牛、馬を吾妻山山麓へ放牧させる牛馬道を車道に拡張された道路で、標高991mからの坂とは思えないほど緩やかさを持っている。大馬木の入口の背の高い一本のポプラがここから出雲とトウセンボするようだ。

広い田園の景色に道は山麓に沿って伸びて緩やかにくだる快適さに、ゴキゲンさんだったとき、プスッときた。パンク修理に田んぼ向うにある鳥居の神社の手洗い水をめざして、歩いた。雨模様で南の空を振り返ると、ポプラのような比婆山の烏帽子が起立して雲を分けていた。
イザナミの神陵の所在にふさわしい景色だった。
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明治政府は比婆山御陵を認めなかった。その御陵は烏帽子の向うになる。備後の国と出雲の国との国境ではあるが、古事記のいう伯耆の国との国境はもっと東の三国山になる。那智の滝まで用意されて、「日本書紀」の紀伊の熊野の有馬の花窟とよく似た設定も、維新政府を動かせなかった。
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by forumhiroshima | 2016-09-17 09:57
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