こひちろうの独り言 |
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11月20日の広島胡子祭りはとても寒かった記憶が小学生のころにある。本通りだけが参道になり、路地はロープ規制され、人々は革屋町の電停(いま本通り)を越えて西へ伸びていた。みなオーバイの襟を狭めて小さく足踏みして寒さをやり過ごした。このころ、出雲の佐太神社で後半の神在祭りが開始されている。広島の胡子神には出雲行きのスケジュールはないようだ。
この胡子神は県中央部の安芸高田市吉田から毛利の広島築城のおり移って来られたという『urban legend・都市伝説』を持っている。旅を嫌っておられる訳ではない。 ![]() エビス神の最も古い記録は、「厳島古文書」の1168年に“江比須”社の存在が記載されており、兵庫の西宮神社の記載の1172年よりも古い。ギネスに申請できそうだ。朱色に漆で仕上げられた美しい江比須の社が塔の岡下に鎮座している。 ![]() 大晦日の紅白が終わると直ぐに身支度して満員すし詰めの広電宮島口行路面電車にもぐりこむ初詣の光景もこのごろは見られなくなった。 ヤマトタケルは景行紀43年に虜にした蝦夷等を伊勢神宮に献上したとされ、景行紀51年には蝦夷等は昼夜喧嘩をして、出入りに礼を欠いたので三諸山のほとりに置いたが神山の木をことごとく伐ってしまう。里に出ては大声で叫び人民を脅かすので景行天皇はその本のところに獣心があって、中国(うちつくに)には住まわせがたい。それゆえに邦畿之国(とつくに畿外)に分かち住まわせよとして、これが今、播磨、讃岐、伊予、安芸、阿波の五国にいる佐伯部の祖である。と日本書紀にいわれている。仮定すれば?だが景行時代は4世紀の事になる。蝦夷はまず西宮神社の播磨にうつされ、後に安芸などに分散配置されている。今、ヨーロッパでおきている出来事を思ってしまう。 871年の文書に”キニコベノ佐津古、キニコベノ軍麻呂”などの蝦夷ともわれる人々が朝廷から位を授与された記録は安芸国にある。この人々を祖先とするのは、アナタかもしれない。 「厳島古文書」にある1168年ころ厳島神社の神主佐伯景弘はこれら蝦夷を管理した一族と考えられる。エビス神は古代蝦夷の神であるとする考え方もある(日本古代の精神・横田健一)。 吉田の胡神社から出雲街道を南下すると、可愛川を渡る手前の桂に桂恵比寿神社、土師ダムとの分岐の南の下佐々井に勝田恵比寿神社、可部に胡神社、古市橋の北に中須・胡子神社、祇園のは恵比寿、胡子社と二つ、十日市交差点の西路地に榎町・恵比寿神社と連なっている。その流れが厳島へ、いや厳島から吉田へ、なのだろうか。 出雲街道は出雲大社への参拝だけでなく、一畑薬師への巡礼道であったという。 「一畑薬師は眼病に霊験ありとして、庶民のあいだに広く尊崇されているが、貧しいものをしてきわめて親しみやすからしめるようなつつしみ深さをもっている。そして今もなお、すでに盲いたもので、汽車やバスに乗らないで、30里、50里の道を歩き続けてこの寺に参るものが多い。このような信仰の底にはいかにも民衆の哀愁がこもっているが、その哀愁をきいてくれるものは、宿をこえば、こころよくとめてくれる道ばたの百姓であり、安い宿賃で迎える寺、静かな思いにひたらせてきれる、うすぐらい本堂の中でものいわぬ御仏であった。このような信仰は出雲臣が政治からはなれ、ただひたすらに祖神に仕えた日から民衆全体のものになっていった。宮本常一・風土記日本2」昭和20~30年代までの景色になろうか。 吉田から出雲街道を北上すると、三次から県境をこえて斐伊川に出会う三刀屋、木次までエビスと名のつく神社には出会ってない。この出雲街道の不思議におもえる。 もちろん島根半島東端の美保神社の事代主神もエビス神とされる土地柄で沢山鎮座されている。 出雲街道に比定して走っている旧道は旧国道であったり、県・町道であったりして、民衆の哀愁”がふと転がっていたりする。このかすかな古出雲街道での出会うとは走り続けるゲンキがでてくる。 それら古道が、どうしてもいまの車の幹線道に吸い込まれるポイントがある。そこは河川との出会いで通り抜けるには狭い場所や橋、河川の合流地点で歴史的に災害の発生ポイントであることを思うと、その共通性に対応してきたこれまでの歴史を感じる。八木・中島・佐々井・桂・吉田・青河・三次・頓原・掛合等々。すべて災害の記憶をもっている。 広島~一畑薬師 約170km・43里を二泊三日、もう町に一軒しかない宿をねぐらに「しずかな思い」でも味わいながら走ってみたいものだ。 吉田・いろは家、 ![]() 頓原・南天、 ![]() 木次・畑旅館、 ![]() 行き届いたホテルや高級旅館は、自分を委ねる宿であろうが、ただ今夜の宿をお願いする感覚も持てる商人宿とよばれるカテゴリーは、自転車の旅に気持ちを集中させられる。明日も自分で何があっても切り開く、のです。
by forumhiroshima
| 2016-11-03 06:46
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