こひちろうの独り言 |
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広島城下の町の風水による設計基本ラインは太田川の河畔の山・阿武山を基点としている。(曽我 とも子)
広島城天守閣に登ってみた。最上階の北方面の景色の写真が掲げてあった。 天守閣から阿武山への設計基本ラインが河畔に出る場所を地図で確認すると北大橋東詰。ここなら阿武山が展望できる。ここへ走った。広い河の岸辺の向こうに円錐形に天守閣の写真と同じ阿武山あった。GoogleMap、地理院地図よりも裸眼の景色は、なにかに誘ってくれる。阿武山、この山になにか特別な何かがある、 。
阿武山の南の尾根のピーク・権現山山麓に武田信玄の守護神・毘沙門天が祀られている。銀山城の武田氏の鬼門の神としても置かれたという。甲斐の武田には金山衆とよばれる山師集団があった。“風林火山”の騎馬軍団を支えたのが「武田の金山」という。軍隊には金がかかる。甲斐の武田にはそのための特別な技術者集団・金山衆とよばれる山師たちがいた。江戸幕府は彼らを佐渡金山、石見銀山開発に携わせている。採掘量は飛躍的に増大した。(山師 松本清張)。 ここ阿武山には金ならぬ銅鉱山があった。毘沙門天が鎮座するもう一つの訳か?しれない。
阿武山頂には貴船神社が鎮座している。京都、三原、広島と都市設計の基本ライン上に貴船神が現れる。阿武山の貴船神社は巨石を組んでつくられた祠で、古墳の石棺を思わせる。 阿武山の土石流災害のあと、祠の上部の巨石が落ちていることが知られた。2014年8月の土石流災害の雨量の凄さは8月に入って災害発生の18日まで平年の3倍といわれることが、実態の恐ろしさを写真で実感できる。(以前の祠はGoogleMapでみられるが、落ちた写真はMy Fabarite HobbyさんのHPにあった。)
「鳴」の地名が阿武山の北の山麓、河畔の太田川漁協のレンガの事務所の対岸にある。そこそばの谷を登った頂上のピークの小山が犬戻鳴山と呼ばれる。この谷が2014年8月に大崩落をおこした。ほかに66か所、全山の谷が崩壊している。犬戻鳴山の崩壊現場のピークから阿武山頂にかけて鉱山採掘が行われた廃坑道が残されている。この災害の調査報告に、これらの廃坑にたまった水を豪雨がさらに押し込んで、地下水を圧迫して谷斜面に噴出させ崩壊の発生原因の引き金であったと報告している。
犬戻の名は、急坂をいう「戻り」(出雲に駒戻峠がある)。「鳴」は、貴船神社の祭神は高龗神・タカオカミはカミナリ様だ。鳴神もカミナリ様。和歌山の紀ノ川河口にこの名がある。「八木」には地名は海人の匂いがあるという。 では「犬」とは? 空海の高野山に道場開設を許した土地神の狩場明神は白黒の犬を連れてあらわれている。山伏たちは鉱山師でもある。黄銅鉱の結晶に銅牙石があって、小さな双六のサイコロに似ている。この石を子犬丸とも呼び、武石ともいう。(谷川健一)。 「犬とは、鉄を求めて山野を跋渉する一群の人々の呼称であった。つまり製鉄の部民にほかならない。 真弓常忠 古代の鉄と神々」 極めつけは、“花咲か爺さん”の裏の畑のポチが発見した小判の話がある。
この山に大蛇伝承がある。龍がまるで狂ったように暴れた山に、大蛇が潜んでいると人々は昔から話していた。 大蛇が人里に下り害を与える。その大蛇を祇園・銀山城の武田氏の家臣、香川勝男が退治した。切り刻まれた頭が山頂に胴体は中腹に尾っぽは地元の池に葬られた。山頂の貴船神社の岩の祠のような祠が中腹にもあった。今も池は残されている。「蛇王池物語」といわれる1。土石流の災害を、“谷抜け”とか“蛇抜け”という。
龍がいた伝承はお城の南の白神神社横の愛宕池にもあった。 自分は神社の近くの袋町小学校へ通っていた。原爆ドームの北にあった家からの通学路は本通り商店街を抜けていたので、白神社へは、神社のお祭りにやってくる芝居小屋の昼間の建設作業を見に行ったりするぐらいで、あまり近寄らなかった。というのは、ここの池に蛇がいると、子供たちは噂していて、軟弱な自分には怖い処だった。 今、空になっている池のそばに教育委員会の説明板には、池の岩に彫られた龍が満潮時に遊泳とある。この彫られた龍を探したが、見つけてはいない。ちょっと怖いからか。
「聚水」水の流れが集まれば、そこで龍の勢いがしっかり止まり、気がもれることはない。また潮水の来し方により波頭が高く白くなるのは龍勢がつよい (風水講義 三浦圀雄) 阿武山は太田川、根の谷川、三篠川を集めとどめる「聚水」の場所。白神社は城下建設時の渚だった。岩に白い紙をはって海難事故を防ぐという神社の所在が、霧の海ではどうなん?って思ってました。
太田川河口への築城の“安心・安全”に“龍”を機嫌よくすごして頂く、主人公の位置に置くということで、阿武山-天守閣を基本線としたのだろうか。
by forumhiroshima
| 2017-07-24 14:25
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