こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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メモ帳

ストリートストーリィ 土手内の神道の木

平和公園から南下1.5km。吉島のおおきなゴルフ練習場や住宅展示場を囲む弓形の道があって、元安川西河畔からすこし下る弓の弦になる道に入った。直線に西へむかって信号のあるその向こう角に店中が洗われたように瑞々しい、店の戸は十分に風を入れるように畳まれて隅っこに、ステンレスのショウケースが光っている、そんな魚屋さんがある。裏の路地に評判の酒屋、もっと奥の路地にお酒のディスカウント店。そばに銭湯。この町に住むってことは、横文字で、ラッキー!。
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店をすぎての向こうの西空に大きく広がる緑が頭を出しているのを見つけた。ドキドキしだした。府中町本町の路地の向こうにそびえるクスの巨木に出会った時もそうだった。あの町の路地に泉が湧き出て、板塀下の疎水が音を立てて流れて、「暮らし」という言葉が浮かんできた。
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どこかの町中で出会う巨木からは、ひどく目立つのに、やさしい、何かが降りてくる。おおきな緑で町を包み込んでいるようなハーブな気分が降りてくた。ここ吉島にも、巨木がある。街角を回れば、もう旅(永六輔)。

緑の下の石組みに赤い鳥居がある。緑の正体の大きなクスの木、そのそばにエノ木が並んで冬枯れのエノ木は枝だけの頭が背伸びしている。吉島稲荷神社の神木たちで被爆樹木に指定されている。先日ここにNHKのこころ旅で火野正平さんが現れていた。
この境内で読まれた手紙はこの町に数年赴任した青年の思いでの木々だとあった。彼の心にのこる暮らしが木々の下にあった。
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吉島町・西、東吉島町は江戸期から明治までに干拓された(図説広島市史)。海の干拓地は堤防で囲まれて、中に塩抜き用の排水路が造られて後に農地にされる。市街地化すると堤防上に家が建てられ、水路は暗渠か埋められて道路に。
そこに堤防の石組みがその景色に残され、水路は直線に道になっている。干拓事業の区分も道として残されて、ここの弓型の土手道にも街並みの歴史が埋め込まれている。時間の影のスライドショー。なかでも、その景色の変遷を3Dとして稲荷社の木々が、自分をドキドキさせる。
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そんなドキドキが干拓されてこの町に生まれた、元の海の呼び名が知りたかった。広島築城まえに広島湾はないだろう。“築城まえの海”などとは、いいたくない。
「もしもし中途などにも、少し逗留も候ては、笑止千万、興あるべからず候。川の内(エノウチ)警護船五六十ほども仕立て候申し越し候、小早川・御方警護、六十艘七十艘も御着候はば、・・・・」毛利元就が小早川隆景に厳島合戦まえにおくった書状だ。
「川の内はまた江の内ともある。江と川とは同意に通用した。江の内は広島湾頭、今の広島を中心とする海浜地帯であろう。神武天皇東征のここでの行在所は埃宮・エノミヤといった。埃宮・エノミヤは江の宮の意で・・・  長沼賢海・海賊」
どうも、元の海はエノウチと呼ばれたらしい。

安芸国の古代の一の宮(厳島神社はのちの昇格)だったという速谷神社(HPによれば)のそばに流れるのが、可愛川・エノカワ。安芸国国府在所といわれる府中町の埃宮・エノミヤ(ただしこの宮は明治時代建立)そばの川は榎の川・エノカワと「エ」が現れる。こじつけっぽいけどね、矢野町絵山や宮島のそばの絵の島はどうなん!中区の榎町は?。等々。
そうなると「エノ木」は、とても気になる。

民俗学者の柳田国男は、神を勧請する木があったという。それを「タタイの木」という。“タタエ”る木かもしれない。諏訪神社の御柱のモミの木も、京都・上賀茂神社の御神木・椎の木も「タタイの木」だという。またタタイはタタリに通じ、
神をまつり神意を伺う場所に生えている神が降臨してくる木をいう。神が降臨する場所は木だけだなく、岩だとか、立てた竿でも良かったようだ。神は必要に応じて一時それらに鎮座し、神域を巡回している。のちに、この巡回道に岩や巨木の代わりの祠がおかれる。

エノ木が祟ることのエピソードに幕末宮家から徳川家に嫁入り(降嫁という)された和宮の行列が京都からの道中、嫁入りの行列はこの前を横切ると祟りがあるとされる中山道にあったエノ木を避けたという。この木には神威がやどる。
福山市の西の郊外の山手町の西国街道の交差点に一里塚だったという表示があるそんなに大きくないエノ木がある。松じゃない、のが不思議だった。どこか元気なくて、地元の皆さんに避けられているのか!と木にむかってたずねた。県内唯一の一里塚エノ木さまだ!と返事が・・・。
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エノ木は巡回する神のルートを示す「タタイの木」であったことが忘れられてしまったが、かろうじて微かに一里塚の木とされて、記憶をのこしたのだろう?と、は、おもえないだろうか。歴史の記録が残されていないころ、人と植物との交流とは今では考えられないほど深いつながりが、植物の生態のあり方をもってあっただろう、と誰も理解している。
柳田国男はエノ木に寄生木(ヤドリギ)が付きやすく落葉した高木を注目したのでは?という。またこの木は枝を落としたり、伐採したりしても、盛んに「ひこばえ・孫生え」する。この萌芽更新の生態は被爆し根本から伐採され、再生した白神神社の前にあるエノ木に見られる。この再生能力も「タタイの木」の要因かもしれない。モミの木は、独立樹木としては一世紀は超えないという。諏訪神社御柱の七年更新はそこらを感じさせる。
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エノ木の「榎」の漢字は国字(日本でつくられた漢字)で大陸では「朴・エ」と書かれる(日本人と植物・岩波新書)。この字が木偏に卜(占い)で「エノキ」と読まれるという。古くは占いに使われた信仰に関わる木ではなかったか?とある。なんとか「エ」が現れた。

明治20年の地図に吉島につくられた干拓地の荒野にポツネンと稲荷社が記載されている。社の横に「天明七年(1718) 空鞘稲荷神社の分祠としてこの地に建立す」と由来が建てられている。
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以前江戸期の一揆を以前に調べたことを思い出した。天明三年浅間山大爆発以後の関東地方飢饉で米が江戸へ価格高騰をねらって米が集中し、江戸ばかりか地方各地で一揆発生、広島では天明七年五月に発生している。エノ木もここへ嫁にきたのだろうか。丁度300年前の混乱の時、干拓地の荒野の原っぱ中央に祠が海を背景に置かれた景色は夏の青空の白い雲の中に浮かんできた。その景色は神々しい。
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神社から西へ細い路地を抜けると変形の四つ角にでる。
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右への路地へ入ると道なりに弓型の道の弓の部分で幹線道を横切るとゴルフ練習場にでる。河川土手道を引き返し南へ直進し信号をぬけるつ道が古い土手。次の信号の右の老人ホームの路地へ入ると、湾曲しながら道なりに西へぬける。これも土手道。家々は土手に囲まれて沈んでいる。土手は防音壁なのだろう。
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元は土手だった道は吉島小学校にでる。ここは大正期にはまだ海だった。学校の北の五角の小さな交差点に小さな祠が二つおかれている。ここを神の所在としたのは人間である。
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空鞘神社から吉島稲荷神社に勧請しまた新しくエノウチの海へのばされた干拓地の先端にかみを勧請した人がいた。その人、人達は人々に神を動かせる人だとされていた。地元の人々に神の人だと認識されていた。神勧請のルートの訳がきっとあったはず、それが古地図に残された一本の道。それは今羽衣町交番前の交差点から
南へ入る路地だろうか。その神の巡回道がここまで延びて、吉島の鎮守の神のエリアがひろがったということなのだろう。

吉島は葦が生えていた島の地名。今島であった痕跡はない。ただ吉島町というシンプルな地名と、地域の中心地だったことが多い郵便局と、地域にとって共同の場所で人が住み始めてから必ずつくられる墓地を探す。墓地が道奥に見えるお寺そばに、萬象園と浅野藩時代の領主一族の別荘の名のつくマンションがあった。Google Mapで細かいゾーンで標高がわかる。すごい!。マンションエリアが周囲より幾分高い標高に出てくる。きっと、ここなのだろう。
しかし、走ってみて傾斜はないような??MAP計測では2mもの標高差があったのだけど。どうなん!
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by forumhiroshima | 2018-01-17 11:39
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