こひちろうの独り言 |
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矢口、月野瀬神社は弥生の集落にあって、平安末期にその記録があるという、その長い時間重なる境内の子供たちの遊び声がひびく。その神社の前にきっと、さかのぼった時間には湖があって、川湊があった、と妄想している。その湊にやってきた人々が出発した湊は加計の太田川と丁川との合流する所の元JR三段峡線(本郷線)の加計駅そばの月ヶ瀬ではないか!と名前繋がりで、重ねて妄想する。 今は廃線になった鉄道と船便との接点という重要な場所だ。そこは陸と川との接点を示している。加計の町並みに入るR433のトンネルを抜けてすぐの三叉路に大きな屋敷がある。鎌倉時代の隠岐国守護佐々木氏の末裔という加計の庄屋、鉄山師・隅屋の居宅。1661年からここにあるという。鎌倉幕府崩壊時、隠岐を離れてからの放浪の末の定着という。その屋敷南に旧JR加計駅、その川岸に月ヶ瀬の川湊とならんでいる。 加計の北部・温井ダムの西に大箒山という流れ星の名の山がある。その南山麓に月の子原があって、そこに宇宙人到来の泉岩という伝承地がある。もう宇宙がいっぱい。 ここに加計から走ったことがある。R191が消えR186と変わるループな不思議なポイントの加計山崎の信号交差点(R191は戸河内インターでまた現れる。不思議な訳は?)。ここは東西南北の交差点だと、加計はそういう場所だと、信号が点滅する。 ![]() 月の子原から南の戸河内へ向かって約6km、ストレートな、走ってはいるが、だた自転車に乗っかっている、ユルイ下り。誰も車もこないのびやかさで、暇でキョロキョロしていると、川向うの小高い丘の上にひょろりと散りかかったしだれ桜が見えた。橋を見つけて、花見にゆく。桜は1940年に「栗栖さん」が植樹した「与一野のしだれ桜」と説明版があった。 桜から戻って車道に入ってすぐに与一野大歳神社がある。平家物語の那須与一はこの地に到来し、ここで亡くなったから“与一野”との伝承もここにある。「エー色々そうなの」と景色を見まわすような伝承が、まるで遠野物語(遠い時間のある野の物語)。この野が古戦場であったことで、夜討野・ヨウチウノと無粋な説明もあるようだが、与一の墓まで用意されたロマンの前にはかすんでしまう。 加計・隅屋は、「たたら場2カ所,鍛冶屋11軒のほかに,酒造場4カ所を操業し,大坂通船2 艘,川船18艘,牛48匹,馬87匹を有し,土蔵数は36カ所,借家は489 にも江戸期にある大庄屋だった(芸藩通史)」。今も県内屈指の山林主だという。庭園・吉水園はこの家の別邸になる。 1814年に浅野藩から苗字帯刀を許され祖先の氏名・佐々木を名乗り、明治に“加計”に改名している。戦後加計学園を創建し、広島加計学園・英数学館、岡山理科大学を経営し、獣医学部を愛媛県今治に設置する。 与一野の道がストレートから川沿いに蛇行しだすとすぐに小さな分岐にでる。古道の雰囲気の右へ。すぐにトンネル、暗いね。出口にトンネルの上に古城・発坂城のあったとある。 ![]() ![]() ![]() 寺を過ぎてR191の合流地点から右へ少し走ると、右奥に大歳神社が見える。なぜかGoogle Mapには掲載されてないが、1311年創建のこの地域で最初の大歳神社。この神社を建立したのが、トンネル上の発坂城の主の栗栖氏初代。 「栗栖」が口田の弘住神社そばの小山へ長い石段の先にあった大歳神社と弘住神社の神主の栗栖正臣さんとが、クロスする。
by forumhiroshima
| 2018-03-19 10:44
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