こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
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川が運んだもの

13世紀初頭に記録に残る栗栖氏はなぜ戸河内に定着できたのだろう。彼らの祈願社の大歳神社の神紋は厳島神社の神紋が使用される。栗栖氏は厳島神社神領衆といわれ深い関係がいわれる。栗栖氏と関わり深いここの大歳神社は厳島神社の摂社となるのだろうか。
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大田川下流の口田の弘住神社の神主家が栗栖さんだと発見。川上に中世繁栄した栗栖氏が今と中世をつなぐものあるか、に引かれた。弘住神社のそばの小山に大歳神社も鎮座している。川上―川下の関係、チョットロマンチック、とおもったのです。
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厳島神主家の廿日市・桜尾城と同じ名の城が加計の町の西の滝山川右岸の上調子にある。ここにも大歳神社が鎮座している。加計から太田川をすこしさかのぼると、右岸にあるのが西調子。ここにも大歳神社が鎮座している。
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この「調子」の地名が下流にある。
広島市安佐南区川内の胡神社のすぐ南のバス停に「中調子」がある。「下調子」は明月寺前のバス停にある。安佐南区川内6丁目に上温井集会所がある。温井は加計・上調子の滝山川にある温井がある。いま温井ダムの名に残っている。水はけのよい、抜ける井・水の場所が“温井”だという。
太田川の川下の川内に温井、調子の地名が残り、川上、川下に同じ温井、調子の地名があらわれる。古代の河内郷にあった温井・調子が今に残っている。
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「“調子”は三々九度の杯に巫女さんがお酒を注ぐ容器で左右に注げる。川上から流れ込んでそこで膨らんで川下は細くなる流れ。それがお銚子に似ている。だが、そんな地形はどこでもある。奈良県の宇陀に調子の地があるが、もと鳥飼で音読みでチョウシになり鳥子から調子へ変わった(池田末則 地名の話)」。
地名の漢字にフリガナがつかないと、かってに自分が読める発音になる。調子は川沿いにあることから、鵜飼いの浜のことだったら、おもしろい、と。太田川の鵜飼いのポイントが“調子”なのだ、とは、いかないか、妄想にすぎないカ?。
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大田川の左岸の口田、右岸の川内・東野・中筋、そして古市の河内郷が川を越えて一括の区分にあり、1603年川の流域が変わって、口田と東原の間には新しく太田川が流れ、古川(それまでは佐東川)も残り、その領域は“北の庄”と名前が変わり、明治に高宮郡とまた変わり、そして今安佐北区に変わった。高宮郡は古代には八千代、吉田、美土里(安芸高田市)、と高宮あたりとされている。それは鎌倉時代には高田郡に吸収されて消えている。江戸時代の“北の庄”の北の指す場所、明治の“高宮”の復活になにかがありそうで、気になるのです。

1245年、鎌倉時代、厳島神社が自社の荘園の年貢徴収の記録が残っている。その領地の内、山県郡三角野の荘園が、(場所不明だが、中国新聞社・鉄学の道では北広島町・豊平にあてている。)年貢を鉄、百三十四斤余(約80kg)で課せられている。宮島へ鉄が送られていた。
この辺りは1171年地元の豪族凡氏から厳島神主家佐伯景弘が仲介して平清盛に寄進し厳島社領となった。三角野は北広島市西宗あたりらしい。

火と砂から鉄を取りだす、古代の最先端の鉄生産技術者たちが住まう場所が高宮と呼ばれても不思議ない。とおもうのは、九州の宗像大社の奥宮を高宮祭場とよぶ。そこは森の中の宗像三姫神の降臨の地だというしめ縄で結界されたただの空間なのだけど。神の降臨なくして(化学反応)、砂は鉄にならないだろう。いまは、すっかり圃場整備と直線車道で昔匂いは消し去ってしまっている。

栗栖氏の拠点の加計から丁川・ヨウロ川畔を北上し豊平へ向かうと出会う、溝口・千代田の分岐のカンバンを右で、民家が坂に点在する鶉木・ウズラキの集落の十文字峠(鶉木峠)にかかる。とても広い空へ登る。ここの登坂は中国山地には珍しい九十九の道を気に入っている。曲がり角に厳島神社が谷を望む姿で鎮座している。来るものを拒んでいるのかと威圧を感じる。中世厳島神社神領の入口を守護している、かの様子。峠のとりつき口に神原、才ノ平の地名がある。神原の神は厳島の三女神だろうか。才ノ平の才はサエギる場所でヒラは坂をさすことがある。「切り立った地下へ通じる道の境界・柳田国男」の意味であの世をしめすという。神なる土地へのヒラ。峠登り口に安芸太田町と北広島町の境界線がある。“才”がある。
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峠を越え右へとり、豊平の都志見の町へ。採鉄のかんな流しで砂鉄を採取しできた田んぼが広がっている。このあたりに、鉙原・カンナハラの地名もある。とても清潔な街並みが整備された車道に並ぶ。たたら製鉄址が保存される公園も駐車場かとおもったほど、昔が消えている。鉄の匂いも消えている。けれども、砂鉄採取のカンナ流しの土砂を階段状に石垣を組んでそこに流し込んででできた景色は山尾根でなく田んぼの中に森と神社を置いているのが多い。神社周囲の土砂もながしてしまったからかと、その特異さが中国山地でどこかで又であったりすると、なぜか懐かしい。

たたら製鉄址公園から東へ15kmほどに千代田の古保利薬師がある。境内に大歳神社が鎮座している。ここに古墳があり、古代豪族・凡氏に関係しているといわれる。凡氏はオオクニヌシの末裔を自称している。彼らが鉄の職人たちなのだろうか。宗像女神長女の御主人大国主鎮座の出雲を連想する。(戸河内インター・上殿の大歳神社の石柱の文字の揮毫が出雲大社の千家だった)凡氏はのち山県氏として毛利家に属し今にいたっている。
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平安時代10世紀中旬の”和名抄“に安芸国山県郡に賀茂郷がみられ、すこし離れるが大朝のもっとも古い神社とされる枝宮八幡神社は三輪庄大麻三荘鎮守と古称され、三輪は奈良の三輪山に通じて、大国主の国ってことになる。境内に摂社として賀茂社が鎮座する。凡氏は出雲に関係あり、枝宮の摂社に大国主社もあった。出雲の賀茂神はオオクニヌシの長男・アジスキタカヒコネ(よくできている鍬)で、鉄そのものの神にといえる。
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凡・オオは梵・ソヨギとも同じ字になる。元カープの梵選手は三次出身。この珍しい名は県北にであったことがある。古代がポツリと顔をのぞけた感じがした。
太田川下流の口田の月野瀬神社の祭神は賀茂神。古代高宮と明治の高宮が賀茂神つながったと、妄想完成。が、明治に官営製鉄産業が勃興したのは豊平ではなく備北だった。
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戸河内、上殿の栗栖氏の実力の一端が彼らの館跡の宗玄寺にある石碑が言っている。上殿は石工自慢であり、今に残っている石組みは福井県の一乗谷朝倉氏遺跡の朝倉城と同じだとその石碑にあった。ここらあたりにはない!と自慢している。
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車道を越えて北の山へ伸びている。その先に佐々木家の立派な墓所。そこの西に箕角(大歳)神社、裏尾根の上に箕角城址と中世トライアングル。この三角関係をつなぐ水は神社奥の谷から出ている。館(今は寺)側が最良の田で前田と呼ばれたりする。ここでは土居とあるから堀があったのだろう、などと痕跡を探してウロウロがいい。
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by forumhiroshima | 2018-04-15 16:14
安芸太田町 中世の豪族・栗栖氏 >>


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