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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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暗越奈良街道 クラゴエナラ街道

伊勢神宮へ関西の人々は「御蔭参り」を江戸時代に盛んに始めた。イクメイリヒコの娘のヤマトヒメが大和・笠縫村から放浪のごとき旅の末に伊勢に鎮座、伊勢神宮創建の伝承。そこへの大阪からの参拝の旅n出発地がイクメイリヒコ創建の玉造稲荷神社とされ、同じくイクメイリヒコ創建の大和笠縫村からの移住由来の摂津笠縫村の深江稲荷神社で参拝者は笠を求めた。大阪から奈良・猿沢池までの伊勢参りのルートが暗越奈良街道とよばれる。

暗峠・クラガリと聞いたときには奇妙な地名におどろいた。そうして、峠はとても狭いが今も国道308であることに引き込まれた。その道が、イクメイリヒコとヤマトイメの伝承、そして御蓋山・生駒山・上町台地の東西正方位ラインをなぞっている暗越奈良街道は生駒山をこの峠で奈良へと抜ける。玉造稲荷神社で伊勢参りの地図が有料で頒布されている。いまも伊勢参りはここをスタートに盛んに行われている。
(ネットにいくつかの伊勢参りのコースガイドがあり、そのうちの「暗越から伊勢本街道をくhttp://kaz.my.coocan.jp/isemap-kouraibashi-1.htm]は実に子細に案内されている。)

玉造稲荷神社のHPに「当神社は垂仁天皇・イクメイリヒコ18年(西暦 紀元前12年)の秋に創祀されたと伝えられ」は、邪馬台国の卑弥呼活躍の300年も前の神話になる。イクメイリヒコの宮殿は纏向珠城宮・マキムクノタマキの宮で奈良盆地の南東の三輪山の北、山の辺の道に近く、跡碑がある。玉造と珠城と連想ゲームに誘われる場所だ。この宮殿と玉造のお宮とを生駒山越えで結ぶ道が上代にあったのだろうか、と。神話と思っていてもですが、ね。大阪の古代の地形を工事現場を尋ね地層をしらべ古代地理を想定した「大阪平野のおいたち 1986年発行」に5世紀の古地形図がある。
暗越奈良街道  クラゴエナラ街道_d0089494_14011124.jpg
想定された地形図をのぞき込むと妄想が膨らんでくる。瀬戸内海を西から淡路島と本土との海峡・明石海峡を抜けると、海の水はしょっぱくなくなる。川が流れ込んでいる。定住の希の味がする。主面には小高い岬が南の山地から伸びており、岬の向の東の空に高い尾根の山影が重なって現れる。岬を回り川にさかのぼると、葦原に縁どられた広い干潟に入る。魚が飛び跳ねる。水はとても澄んでいて、ここに「イル」人々は、静かな湖面と取り巻く森との美しさに包み込まれただろう。後にここを「ナニワ」とよばれた。お酒のアテをサカナ、酒菜という。酒の「ナ」がいくらでもあるから、魚の庭と、つまり「ナニワ」になった?。大和の大和川上流、山城の桂、賀茂川、河内の大和川下流、和泉の石川、摂津の安威、猪名川の水は近江、琵琶湖の水を含めてすべてがナニワに流れ込む、すべて、がです。水が良ければ魚が集まる。アテがよければ美味い清酒も、と、清酒は摂津・伊丹で誕生した。「イリ」して、到達した人々の上陸の歓喜の歌が聞こえてくるようだ。

この地理図に古代暗越街道の想定図が加えられた図(大阪アースダイバー・中沢新一)に平安時代に作られた「延喜式」の神社でリストアップされた神社を記入してみると、河内瑚はすでに陸地化していたとみられ、生駒山から上町台地への連絡は5世紀ごろにはできたとある(古代日本の空間・足利健亮)。日本書紀に「猪甘津に為橋す。即ち其ところを小橋という」とある小橋がJR玉造の周辺にのこる小橋地名にかかわっているとすれば、暗越街道は橋も渡れる古くからの存在なんだろう。小橋の南にも鶴橋の地名も古い。ここには古く橋も架けられていたと、されていいのだろう。「イリ」して河内瑚の渚を生駒山ピークをランドマークに大和へと進んだちがいなかろう。
暗越奈良街道  クラゴエナラ街道_d0089494_14013290.jpg
5~6世紀には人々の営みが集まってくると、神の鎮座を願い神社を創建される。渡来しここに「イリ」した人々は祖先を同じくする人たちごとに集住しその祖先を祀る。玉造稲荷神社創建にある紀元前12年は「滅後の真筆」なんだろうが、「イリ」した伝承を自分たちのアイデンティティを、イクメイリヒコとヤマトヒメの日本書紀記載を根拠に、「やはり、祖先はイリしたのだ」と確信したのだろう。「滅後の真筆」は日本書紀の神々を人々によって、今によみがえり正当化される。加えて御蓋山と生駒山と上町台地が東西正方位にあるという地形の持つ神威はイクメイリヒコ御陵位置をそこに置くことで一層の「イリ」の人々に与えられた神威の根拠になる。「滅後の真筆」は「紀元前12年」が真実である!と筆を今に走らせる。春分・秋分の朝、そのラインの正当性を太陽が必ず示してくれるのだから。
暗越奈良街道  クラゴエナラ街道_d0089494_14015836.jpg
広島市市街地に東西正方位は見つけられない。それは広島の都市設計の街並み方丈の区分で道は置かれているが、東北に約18°に傾いだ天守閣と大手町通りのラインが基本線になっていると言われる。ゆえ東西の春分・秋分の朝日が差し込む道はない。が、シツコクさがすと、道・ルートではないが発見があった、カナ?。毛利元就の厳島合戦戦勝祈願の己斐、旭山神社の真東の府中甲越峠の中腹、人家もない車道そばに出雲大社広島祠祖霊社がたしか1980年代にきなり出現した。。毛利家は出雲大社の宮司家千家の祖先天穂日命・アメノホヒの14世・野見宿祢・ノミノクスネを祖先とする。だから?などと、おもうことは「滅後の真筆」に囚われている自覚はある。野見宿祢はイクメイリヒコの命により大和・当摩の蹴速と角力をして勝利している。角力の元祖だ。ここも、イクメイリヒコ!!!!!もう「滅後の真筆」病ですね。

暗越奈良街道はGooglmapに路面表示されている区間もある。Google mapを追うと街道の案内になる。Google mapで街道の出発点の高麗橋は秀吉の大阪城大手道。こっから秀吉大阪城天守が正面に現れる場所で、この道は周囲の方丈の街並みから外れて南に傾いでいる。明治んはここに大阪道路元標がおかれてて、最初に国道308起点とされた。ここからいったん北浜、八軒屋浜と北上し、八軒家浜スタートの「くまのかいどう」の石碑前を南に入る熊野街道に重なる。大阪市街の中心で榎木の大木に小さな祠手前を左折で奈良方面に東進し暗峠に向かう。著名な熊野街道・熊野古道のGooglmapの記載はないようだ。大阪人のこの街道重視をGooglは見切ったのかも?だって「イリ」の末裔たちが今も健在かもしれないから。

暗峠へ大阪市内から向かうなら、Googleの暗越奈良街道を追わずに玉造稲荷神社の北の阪神高速13号東大阪線の高架下を東進し、大阪外環状線の高架を見つけるとけいはんな線石切駅で高架を南に潜り、すぐに東へ。目前の生駒山に向かい近鉄奈良線の踏切をぬけ線路に沿って南下すれば峠入口が見つかる。このルートが今の国道308になっている。兎に角、生駒山へ走ればいい。体力温存してさあ、峠に。
旅先の町でランドマークを早く見つける!とその町での自分の位置が見つかる。

もっとも急坂、いや激坂な暗峠が今も国道308に指定されており、大阪や周辺のロードバイク乗りには周知されている。
暗越奈良街道  クラゴエナラ街道_d0089494_14032822.jpg
道がコンクリート舗装になったころの1984年ロスアンゼルスオリンピックの自転車4km団抜きの選手たちの練習コースでこの登りを教えてもらった。平気にトラックで上り下りしてた。下りのブレーキングでリヤタイヤの摩耗がはげしすぎるのが、過激な斜度よりもご不満な様子がおかしかった。関西の実業団の選手でチームは構成されていた。オリンピックの結果はたしか10位だったかな。
暗越奈良街道  クラゴエナラ街道_d0089494_14025082.jpg
NHKチャリダー出演の猪野学さんが最強激坂と「坂バカ奮闘記https://cyclist.sanspo.com/317157」で紹介している。コースを詳しく紹介してくれているHPは、「最大斜度41%、暗峠へロードバイクでhttps://jitensha-hoken.jp/blog/2018/03/kuragaritouge/」がほのぼのっとした紹介記事で、わかりやすさで行ってみようか?と身近に感じさせてくれる。チャレンジは、ヤメるのがお勧めですが。往路の登坂も半端ないが、復路下りは、もう行けません、が三十数年前の自分の昔々の感想。だから峠から東へ下る奈良市街地までの田舎道は凄い住宅造成地もありだが、田舎道が続いていて走りやすい。下りなのに目線が上がる。奈良の空は、すっごく広い!。低山に囲まれた奈良盆地へ綺麗な雲を見ながらのラクチン下りを満喫できる。

「ヤマトは国のまほろば たたなづく青垣山隠れる ヤマトうるわし」って思い出したりしましたね。
暗越奈良街道  クラゴエナラ街道_d0089494_14035374.jpg

by forumhiroshima | 2021-06-20 14:04
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