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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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飛鳥の瓦蘇我氏の玉造

奈良の町へ入る機会には、元興寺に立ち寄る。飛鳥から718年、平城京に移築されてる。後に衰退の一途で広い境内に住居が侵入し、今の奈良町になった。奈良町に住む友人に古代の不法占拠?とはなしたら、町の住人はみな寺の信者なのだと、話していた。境内の本堂・禅室 の屋根瓦は飛鳥時代創建当時のものだといい、青いグレーや鈍色のオレンジのモザイク模様は、596年以来のものになる。鵤の里・法隆寺の再建が670年だから、80年も古い。古代飛鳥がここにあると思うとなにやら感慨深い。まるで不思議の国へとアリスが入り込んだウサギの穴を気分は滑っている。奈良っていいな。
飛鳥の瓦蘇我氏の玉造_d0089494_09554906.jpg
もっとウサギの穴に潜り込んでみよう。
御影から笠に囚われて、その影をつくる太陽の方位、正位東西を追っかけると、暗がりの峠に行き着いた。摂津の笠縫の稲荷神社も古代の時間へと引っ込んくる。さらに西へ、次に現れたのが摂津玉造の玉造稲荷神社だ。輝く「珠」に御影の影が揺らめいている。それもこれも古代の天皇イクメイリヒコ由来の時代とされ、そして道が生まれてくる。

元興寺は古代豪族の蘇我氏の菩提寺として建立とされているが、その時代に僧侶はいなかった。まったく新しく寺院と僧侶が用意されることになった。
日本書紀に(588年)、百済から日本へ僧と技術者(寺工2名、鑢盤博士1名、瓦博士4名、画工1名)が派遣された。飛鳥の真神原(まかみのはら)の地にあった飛鳥衣縫造祖樹葉(あすかきぬぬいのみやつこ の おや このは)の邸宅を壊して法興寺の造営が始められた。同5年(592年)10月条には「大法興寺の仏堂と歩廊とを起(た)つ」とある。593年2月21日)の条には「法興寺の刹柱(塔の心柱)の礎の中に仏舎利を置く」ウイクペディア。(法興寺は元興寺の前の名。)寺は596年に完成。寺院と僧侶全てが渡来してきている。
蘇我馬子は自宅に仏を安置していたといわれるが、僧侶なき、いきなり仏教なんです。いきなり五重塔なんです。本尊の丈六仏像が鞍作鳥(止利)のよりできたのが609年だろうといわれている。それにしても寺院完成後18年後なんです。

1956-57年に行われた飛鳥の法興寺発掘調査で「刹柱(塔の心柱)」が掘り出された。「出土品は、挂甲(上古のよろいの一種)、馬鈴、刀子、玉類など、古墳の副葬品に共通するものが多い一方で、金銀の延板など奈良時代の寺院の鎮壇具に共通するものも含まれており、古墳時代と飛鳥時代の両方の特色をもっている。金銅(銅に金メッキ)製品 - 耳環23点以上、歩揺146点以上、鍔付半球形金具2点、円形打出金具14点、杏葉形打出金具28点以上、鈴7点。玉類 - ガラス小玉、ヒスイ製勾玉、瑪瑙製勾玉、ガラス製勾玉、碧玉製管玉、水晶製切子玉、銀製空玉、銀製山梔玉、赤瑪瑙製丸玉、ガラス製トンボ玉、その他 - 金延板7点、金粒1点、銀延板5点、銀粒7点、雲母片、琥珀片、蓋石片(凝灰岩製)。後日、従来材質不明とされていたものの中に真珠の小玉14点が含まれていることが奈良文化財研究所の調査で判明し、同研究所の2017年版紀要で調査結果が公表された。これらの小玉は直径1.5から2ミリメートルの微細なものであるが、穿孔されている。蛍光X線分析で主成分がカルシウムであると判明したこと、電子顕微鏡による観察で層状の構造が確認できたことから、これらの小玉は真珠であると判断された。ウイクペディア。」
飛鳥の瓦蘇我氏の玉造_d0089494_09564989.jpg
これほどの宝物を造っただろう場所が蘇我氏の本拠地に発掘調査されている。
飛鳥の瓦蘇我氏の玉造_d0089494_09562948.jpg
「曽我町の歴史より」
曽我町の西北にある宗我都比古神社は古く、弥生中期の遺跡群の中にあり、半世紀前頃までは田畑に土器片や石器が見られました。曽我の地名は8代孝元天皇の曾孫に当たる武内宿禰(タケウチノスクネ)の第三子・石川宿禰が“蘇我(そが)“の姓を頂いてこの地に住み着いたのが由来とされます。宗我坐宗我都比古神社(ソガニマスソガツヒコジンジャ)は蘇我石川宿禰夫妻を祀る神社で、石川宿禰より第5世の蘇我馬子(~626年)の頃、推古天皇の御世に創建されたと伝えられています。時は飛鳥時代でその頃の曽我集落はこの神社近く或いはもう少し北側(北曽我と言う条理地図名あり)が中心だと考えられます。曽我は蘇我氏発祥の地であり、蘇我氏宗家は乙巳の変(645年)での入鹿の死によって滅亡しましたが、宗我坐宗我都比古神社の宗我座講中各家やその縁戚は蘇我氏の子孫で、今に至っています。

曽我遺跡(そがいせき)ウイクペディア
宗我都比古神社そばの曽我遺跡(そがいせき)は5世紀後半から6世紀前半までの期間に営まれた大規模な玉造りの集落であったことが判明しています。滑石、碧玉、緑色凝灰岩、琥珀、水晶などの原石が遠方から持ち込まれ、玉類が生産されていました。玉類の完成品・未製品、さらには玉を研ぐための砥石、玉に穴をあけるための舞錐状(まいきりじょう)木製品などといった、玉造りに関わる多量の遺物が出土しています。ここで作られた玉類は勾玉、管玉、丸玉、切子玉、小玉など多くの種類が確認されています。
飛鳥の瓦蘇我氏の玉造_d0089494_09571433.jpg
この遺跡についてこんな話をブログでみつけた。
「朝鮮半島では、鉄が非常によく利用されています。日本では、鉄が必要で、その鉄を直接輸入するためにに勾玉をなどどんどん作って、ある種の支払い手段として、バーター貿易で取引が行われた。今で言えばドルとか円の代わりに通貨の支払い手段として、掘り出したものを大量生産して、それを朝鮮半島に支払って鉄の武器とかを輸入していたようだと言うことが分かっております。それから非常に興味を持ったのは、蘇我一族と言うのは、天皇家に楯突した大変な連中だったのか、よく調べましたら、そうではなく、むしろ蘇我一族は、天皇家の忠実な保護者であったと思われます。曽我遺跡に埋蔵されている勾玉管玉類はトラックに20台分世界的な量です。石の数は億です。それで、勾玉管玉完成品は、1300万個、気狂いじみた数です。それが末だに眠っている訳です。」曽我遺跡の勾玉~貴石の話いろいろ~民谷 晴亮

司馬遼太郎の「竹ノ内街道こそ・街道をゆく夜話」
・・・飛鳥期は蘇我氏の時代と言ってよく、その蘇我氏はこの山麓(二上山、葛城山)に盤踞し、この赤土の官道をにぎっていた。この官道ははるかに難波ノ津に通じ、難波ノ津には韓カラとも唐とも知れぬ蕃船が入津し、異国の神はきらきらしといわれた仏像その他の文物を運んできては、揚陸した。・・・この景色に、きわめて奇妙なことながら、異国がかぶさるようになった。たとえば長安というだけで、胸がときめくのは、強引な言葉をつかうとすれば、日本人の史的遺伝といっていい。・・・

奈良、元興寺の瓦に、蕃船の入港する飛鳥時代の景色がかぶさっている。



















by forumhiroshima | 2021-07-09 09:58
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