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こひちろうの独り言


マネージャーの独り言を綴ってみたりします。
by forumhiroshima
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難波の姫島

半島で誕生した二人の姫神の伝承。(神の伝承って好きなんです)

ある女が太陽の光を受けて受胎し赤い玉を生み、その玉をもらい受けた牛飼いから、玉を奪った男がいた。男のそばで玉は美しい娘に生まれた。また、ある男がいなくなった牛を探して、その牛を食べてしまった犯人たちを見つけて、その代償に彼らが祀っている白い玉取り上げた。その石から美しい娘がうまれた。この二人の娘たちはそれぞれに男への不満から逃げ出し、難波に至って比売許曾の女神となる。一方、彼女を追いかけて海をわたった、それぞれの主人たちは、難波から遠く日本海に面した越の国の敦賀や、但馬の国の出石に鎮座している。二つの話はよく似た筋書きで古事記にも日本書紀にも書かれていて、神々のゴッシップぽくって面白いと思った。

女神たちのこの国での最終の鎮座の場所は散らばっていて、難波の上町台地のから東に大阪市平野の赤留比売社、東成区比売許曾社、深江稲荷社、中央区玉造の玉造稲荷社、深江稲荷社、天王寺区高津の宮など、いくつもが重なるようにして今もある。難波到来までには瀬戸内海を経由し、大分の姫島の比売語曾神社、広島の呉の亀山神社にも姫神の伝承が残っている。大阪の西淀川区の姫島神社は難波の瀬戸内海の入り口の西端に上町台地から離れて鎮座している。
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その姫島神社は鳥居は朱色でなく、真っ赤に塗られ反り返ってけっこう派手な印象だった。強烈な存在感の演出に違和感を失礼にも感じてしまった。姫神たちは、ひそやかに町の路地裏に鎮座されていることが、上町台地の姫神たちの鎮座地に感じていたからかもしれない。塗りたての朱色より、風雪にさらされた木目の古代を感じがふさわしい。
ところで西淀川区姫島神社が創建とされるころには、まだ淀川の国生みの神威は姫神の鎮座地とする島を用意されていなかかった、という。まだその場所は海だった、と。そういった創建の伝承の危うさが派手な印象をより強くさせたのかもしれない。
難波の姫島_d0089494_13562844.jpg
畿内のエリアという巨大な水域の膨大な全ての水流が淀川を一つだけの蛇口として水とともに吐き出す土砂から生まれてくる島々に、神の所在を感じて神の一柱を勧請することは、違和感はないと感じる。その流れの出口を姫島神社が、正面から受け止めている。洪水が去った朝に突然出現した砂州を目の当たりにしたとしたら、神の仕業と、に思いはゆく。そこに姫神の姿を見出す人はいたのではないだろうか。大地が生み出す国土の出現の神威を人は感じても不思議はないだろうな。広い氾濫原の平野にポツネンとあるお宮さんはどこにもある景色だ。たとえば、斐伊川の氾濫原の真ん中、出雲・斐川町の広い田園に森に囲まれて鎮座する熊野神社を思い出した。
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難波は成・ナル、生まれる土地(庭)の言葉で、西成と東成に淀川を挟んだ地名で呼ばれた。難波には押し照る・オシテルの枕詞がつく。歴史地理学者の大和岩雄は、「オシテルは太陽を仰ぐの意味があり、迎日・日神を祀る庭と解釈される。難波に到来した比売許曾の女神は、難波で日女・ヒルメに成れる。半島の古代国家の新羅の創生伝説の始祖・赫居世・カクキョセイの居世は許曾である。この王は海の向こうから(倭国)からやってきた伝承は稲飯命・イナヒノミコトであると「韓国古代歴史書・三国史記」にある。 神社と古代民間祭祀」
姫神は始祖の難波へむかったのか?日本側の記録にも、『新撰姓氏録・平安時代初期の815年(弘仁6年)に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族名鑑』において新羅の祖は鵜草葺不合命の子の稲飯命(神武天皇の兄)だとされている。まさに末期の真筆・カオスの登場である。

難波に鎮座した西淀川区姫島神社は、淀川の水が大地を初期に生成した、もっと東の場所にまずおられて、そのうち西へ移転、かもしれない。ならばとなると手掛かりに「日本書紀」を引き出してきて、その533年の条に「牛を難破の大隅島と媛島松原とに放て」とあることから、大隅島のそば、今の守口市の弥生時代の遺跡の森小路が媛島ではないか、と大阪の古代を調べた「大阪平野のおいたち」は述べている。弥生時代からの人跡が発掘されているここに想定されたのだろう。がそう見ても、このあたりに、媛神鎮座の神社は見いだせない。

奈良時代の僧・行基が森小路辺りに比売嶋堀川を開削したという伝承があり、媛島の存在がより確かには、なってくるが、これも文献資料のみでその場所は比定されてはいない。大阪で最も低い位置にできた古代集落と言われる今の森小路の町は弥生遺跡址を公園として整備し区画整理がおこなわれて弥生遺跡の痕跡は全くなく、静かな住宅地だった。ただそこに居ると古代の景色を想像したるする。神武天皇東征の船団はこの集落の南の水路、いまの寝屋川を進んだことになるのでは。古事記・日本書紀では稲飯命・イナヒノミコトはこの軍団の船に乗船しているはずなのだが。稲飯命は紀伊半島の熊野の沖で海に身を投げて隠れられている。そののちは、知られていない。
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神武たちの船団の船の埴輪が出発地美々津の港の近くの古墳から発掘されている様な船だったのだろうか、そうなら、彼らの船団に森小路に暮らしていた人々は目を見張らさただろう。ただし、その神武東征紀元前667年はいかに、何でも無理すぎでしょう。淀川の氾濫原の低地に集った森小路の弥生時代の集落の営みの痕跡は新森中央公園公園に建てられた一本の石柱と教育委員会の表示カンバンだった。
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姫島神社とは結び付かないが、森小路遺跡の真北2.5kmあたりの京阪・守口市駅の西の淀川に行基によって高瀬大橋が天平2年(730年)に架橋と「行基年譜」にある。行基は橋を架ける場所に必ず寺院を建立している。「橋畔には高橋橋院と尼院が建てられた。”行基年譜”行年63歳 730年(天平3年)のこと」と記載。高橋橋院は淀川右岸の大隅島にあって、左岸の森小路遺跡の約1.3kmに高瀬神社がある。「高瀬神社は神社の社伝に行基により鎮座とある。ウイクペディア」
 
歴史地理の足利健亮「生馬直道 河内北部の東西横断・歴史の道の原型」に、高瀬橋院の淀川右岸に建立されたが、淀川左岸、森小路の媛島にも高瀬の地名が見いだせるとある。淀川を挟んで左右の岸に「高瀬」の地名がみられるという。左岸の高瀬は古代媛島にもある地名だとすれば、高瀬神社が比売許曾の女神の鎮座としても、いいのではないだろう、などと思う。チョット無理筋でしょうか。西淀川区姫島神社の真っ赤な鳥居がえらく印象にのこっている、からだろう。西淀川区の姫島神社が虚構とは思えない。神を新しく鎮座させるのは、そう難しくはない、が無くすことは難しい。

媛島の高瀬神社の祭神は天之御中主神だとある。「天之御中主神 平安時代の延喜式神名帳にはこの神を祀る神社はラインナップされていなく、この神への信仰の形跡はない。ウイクペディア・」。まさに、そうなら、奈良時代の行基活躍のころ、高瀬神社の祭神は不明ということになる。比売許曾神であってもいいのだ。
行基は誕生の地近く矢田の阿麻美許曾神社との関わりがあるといわれ、神社そばに今、行基大橋(昭和53年完成)がその由来から架橋されている。その神社の祭神は半島から渡来してきた比売許曾の女神たちと同じ許曾の名を名乗る。阿麻美許曾の神は渡来の神で行基も渡来の人の子孫だ。高瀬神社に最初の姫神の鎮座地にしてはどうかな。のち淀川に河口の海への進出により鎮座地も下って行ったのでは。
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西淀川区の姫島神社への冬至の朝日は生駒山系の高安山の山頂から上る。媛島の高瀬神社では生駒山頂から上る。日の出日の入りマップ・https://hinode.pics/で確認できます。※高瀬神社 大阪府守口市馬場町1丁目1−11
大分・姫島神社の冬至の朝日をマップで見てみると二つのピークの間を抜けて神社に伊勢の夫婦岩のように到達する。姫島は死火山の集合体で出来ている。神社には湧くが流れている。温泉として使われる。
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大地は火山から生まれ、水流で造形される。そこに神の所在を思うよね。

by forumhiroshima | 2021-10-14 14:07
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