こひちろうの独り言 |
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江津の和木から津野津へ。和木は山口県岩国にも同じ地名がある。どんな秘密があるのだろうか?と。山陰道は地図では破線になっている。すこし不安と石見ではこんな道がけっこう生きてるというこれまでの感ですこし草が茂っている入口へ。
すぐに小さな祠,またすぐ祠と鳥居。こりゃ生きている。すっごくうれしい。やっと山陰道古道。 ブルドザーでひろげられている山肌がまだあたらしい工場横にでた。こちらから探しても,みつけられないだろうと,少しの幸運。民家のなかに細い路地となって山陰道があのゆるやかな曲線をつけて伸びている。すぐに大年神社。その前に枯れてしまった神事につかわれた松の説明があり,そばに地蔵堂。その隣の民家の壁にこの神社を基点とした巡礼ルートを掲示されている。 日本海の岬には八十八ヶ所めぐりのお地蔵さんをならべた巡礼道がたくさんある。ここまで海がきていて,この巡礼コースがいまにのこっているのだろうか。ここで山陰道は二つに分かれて山ルートと海ルートになる。 山ルートに路地を直角にまがると,つのつの里とかかれた標識。そこがひろい広場になって,祠が二つとその横に拝殿のような建物。柿本神社とあって,ここにあった人麻呂松の切り株が,神社横にちいさな小屋に大事に保管されている。この松は高さが13mもあったという。 なぜ枯れた松をわざわざ小屋や石碑までたてたのだろうか? 万葉集に柿本人麻呂は石見国鴨山で死亡したとかかれている。歌聖とまでいわれ,万葉集の中心にいるという人麻呂が死去した石見・鴨山はどこかと?論争がつづいている。 益田市沖の地震で沈んだという鴨島説,江津市神村・カムラからカモ連想説,湯抱温泉亀山説,奈良県葛城山説といろいろ。益田には柿本人麻呂神社と郊外の小野の柿本神社がある。 人麻呂の「石見のや高角山の木の際より,我が振る袖を妹見つらむか」の歌の高角山が津野津の高い山で,島の星山がそれだということも根拠になっている。益田では高津川そばの山,鴨山に柿本神社があって,そこが高津の山でもあると。 湯抱温泉の亀山と鴨を唱えた斉藤茂吉の説は梅原猛の水底の歌でコッテンパにやっつけられた。どうも形勢不利。 いろいろと江戸時代からの論争なんだけど,どれも確証なし。で,石見でも決ったわけじゃない。がそおうもいっておれなくて,津野津の柿本神社は人麻呂が袖を振った相手,依羅娘子ヨサミノオトメの生誕地だと。その祖先もおられて井上さんというのだ。 この江津にもう一つ人麻呂神社がある。 問題になる島の星山。地元では高角山の中腹にその神社がある。そこへは南をグルーっと回って,そこに入る谷間の古道をたどることにして,コース最後の登り。 神村から谷を巻いてのびる道は古道と民家の庭に柿木とで秋がせまってきて,ほんに満足して気分もグー。新しい車道の工事が中断している場所から,すこし道幅もせばまって,イヤな予感。これが当たりました。すこし入ってブッシュ。そして木立いっぱい。 ほかに迂回路はとさがしても,石見の特徴。一本道の設定だ。 くやしいけど,帰り予定の有福温泉直行か?も,イヤイヤ,完走せよと,不思議な気分が湧いてきた。ままよと,一度江津市内へくだる。そこから新しい車道の登り。自動車道路は,自動車でこそ,道路。自転車で斜度7%を続けられると・・・。 小さな標識で人麻呂神社をすぎているほど,集中???。 人麻呂神社は小さな祠。そのそばに高く柿本人麻呂,そのてまえの平地に依羅娘子と銅像。人麻呂さんは袖ふってなかったけど。 人麻呂神社はいくつか出会ってきた。人麻呂人気なのか,古代に柿本族が漂泊したのか?とおもっていた。ある人曰く。「ヒトマロ,は火止まる,火事災難予防」エー,ただのおやじギャグ!!
by forumhiroshima
| 2006-10-27 18:17
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