こひちろうの独り言 |
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大田市の喜多八幡の参道の石段はひろくて,その前の道も広い。その向うに家並みが続いている。大田は城下町でもなく(ただ城山という地名があるから豪族がいたのかもしれない)市がたつことで町になったときいている。
参道の正面の小山に鶴岡八幡神社もある。南八幡神社ともよばれるらしい。町はこの鶴岡八幡のある本町から発展してきたろうで,いまは寂れているのだが,郵便局と寺院の昔中心パターンはいまものこっている。 宮本常一が市の発展でこんなことをいっていた。「中南米あたりでは,ごく最近まで無言交易がおこなわれていたという。塩その他高地の住人がほしがるものをリヤマ(山羊みたいな動物)につみこんで,海岸地方から登ってきて,道端の約束された木,石の上などに品物を置いておく。かえりにそこにゆくと毛皮や織物のような高地でつくられたものが置いてあり,それを集めて帰ってゆく。取引しあう相手の顔をみることもないのだけど,それで間違いがおこることはない」 三瓶山,日本海海岸,そして静間川流域とたずねてきて,稲をつくってきた人々,海岸で漁業を営む集落,山で畑や鉱業のいとなみと,それぞれの神々にであってきた。稲をつくる人々はここでは海岸に上陸した神話をそれぞれにいまにつたえていた。 その人々は昔々には言葉もちがっていたかもしれない。三瓶川がながれこみ,小山でかこまれ,ラグーンの波根湖,そのむこうの日本海と豊な自然の恵みの交換がここではじまってきたのだろうと実感があった。 そんなこの土地の住人と石見銀山とは,まったくまざりあっていないような,そんな思いも,銀山へ入る谷をくまなく走ってみて,田んぼや集落には銀山の思い出もないような観想をもった。 江戸幕府は全国の主要な鉱山を天領として管理し,「たとえ名城の下たりとも掘り取り苦しからず」と鉱山師や山伏を野武士とし苗字帯刀を許し,関所もフリーパスにしている。 宮本常一は武士についてこんなことをいっている。「畑作や林業にたずさわっている人たちは,古い縄文文化を伝えてきた人たちです。それがのちに武士階級をつくりあげていった。と私はみています。というのは,平地からでた強い武将は織田信長と豊臣秀吉ぐらいで,彼らが天下をとったのは鉄砲をもったからです。それ以外は徳川家康をはじめ全部が山岳民族です。」 どこの城でも鉱山の鉱脈があるとわかったら,掘ってよい,なんて命令は,ふつうじゃない。こんなヤカラとは無言交易しかないかも。 石見銀山の山中央に山神社がある。サヒメ神社なんだけど,この神社は益田のサヒメ神社から勧請されたという。サヒメを信仰する鉱山師たちの移動がおもわれる。そしてサヒメ神社はサヒメ山・三瓶山とその川下,鳥井に鎮座している。 大田市周辺はそんな山岳民族の痕跡も多い。 常一さんのような眼があったら,走っててももっと面白いだろうな。
by forumhiroshima
| 2007-03-20 14:48
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